13-108:花に込めたる願い 上
「エルさん! クラウさん! 私が魔術を編んでいる間、時間を稼いで!」
そう叫ぶと、無重力の向こうから――片や重力を上手く操り、片や結界を足場として蹴って――仲間の二人が自分の前へと跳んできてくれた。
「了解よ!」
「覚悟を決めたんですね……それがアナタ達が出した答えなら、ナイチンゲイルのお二人が全力を出せるよう、私もサポートします!」
エルは力強く頷き、こちらに向かってきていた氷の刃を切り落とした。クラウは自分達の行く道を予感していたのであろう、こちらを心配するように見つめてから、やはり頷いてから自分を護るように結界を張り巡らせてくれる。
二人が自分を守ってくれるのなら、演算に専念することができる――初めて使う魔術、それもぶっつけ本番で扱う故に集中が必要になるし、何よりいつも空中での難しい制御をしてくれているグロリア本人も、飛翔に専念という訳にはいかない。ともなれば、エルとクラウの二人が自分を守ってくれてこそ、第八階層魔術の詠唱という大仕事が初めて可能になる。
魔術杖の先端を操作し、外套から取り出した一発の実包を弾倉に込めてレバーを引く。肩に乗っていた機械鳥が杖の先端に融合し――杖を一度高く掲げて――。
「第七魔術強化弾装填……そして……」
『こっちは準備万端よ、ソフィア!』
「うん……いくよ、グロリアスケイン!」
大切な半身の名を冠する杖の名を叫ぶと同時に、杖を正面へと力強く振り下ろす。弾倉に込めた魔術弾に、いつも以上の力が宿るのを感じる。それに合わせて、杖を持つ左腕が熱くなってくる。あたかも、燃え上がってしまうかのように――同時にその炎は、徐々に腕から杖へと伝わっていく。
「構成要素、冷気、凍結、電気、光、強化、魔術、分解……そして……」
そして――最後の一つは? 以前クラウは、自分にとって馴染みのある要素ならば比較的簡単に上乗せできるのではと言っていた。直感にはなるが、クラウディア・アリギエーリが第八階層魔術を編むために付け足した最後の構成要素は――彼女自身も認識していないのであろうが――それは「奇跡」であるように思う。
それなら、自分に、自分達に相応しい要素はきっと――ただ、そんな抽象的な構成要素が魔術の要素足りえるのか?
『大丈夫、アナタは私と、ここまで頑張ってきた自分自身を信じれば良い……アナタは心に浮かんでくる言葉を、そのまま言霊にすれば良いの』
自分の迷いを察してか、グロリアはこちらを安心させるように優しく、しかし同時に力強く声を掛けてきてくれる。そうだ、自分は信じると決めたのだ――まだ熱く燃え滾るような左腕に力を込めると、確かに心の内から自然と吟ずるべき詠唱が浮かび上がってくる。
「我開く、七つの門、七つの力……そして、我が魔術に一片の願いを載せて……玉塵の下に眠れる滴、大いなる可能性の萌芽達よ……我が呼びかけに応え、静かに芽吹き……力強く咲き誇れ!」
詠唱を完成させると、六つの魔法陣が辺りに飛び交い、中央の柱とジェネシス・レインボウの巨大な陣ごと取り囲むように展開される。あの柱は全てを識る者であり、既存の第七階層の魔術ならディスペルされてしまうはずだ。しかし、グロリアスケインより飛び出した陣はいつもと違った黄金色の光を放ち、魔術神の解呪をものともせずに、強くその場に滞空し続けている。
『ソフィア、見せて頂戴。アナタの想いを……その心の奥底でずっと育んできた、強く気高い魂を!』
『違うよグロリア。私だけじゃない……これは私とアナタで紡ぎ出す、最高の魔術なんだから!』
演算が完了するのと同時に、目の前に巨大な銀色の魔法陣が現れる。直後、機械鳥が黄金色の粒子を纏い――そして、杖の先端に小さく、しかし力強く輝く金色の魔法陣が浮かび上がった。
刹那、瞼を閉じてこれまで歩んできた道を想う。私達は共に暗い時代に生まれ、籠の中で育った。権力者の元に生まれたといっても自由はなく、時世という大きな奔流の中で翻弄されてきた。
そんな闇の中で、私たちは同じ光に出会った。どんな困難にも立ち向かう、力強い炎。以前はその強さに守られるだけだったけれど――私たちは決して、その背中を見送るだけの存在になりたくはない。その背中を守って、その信念に寄り添って――それでも先に駆けていってしまうアナタの後顧の憂いを断ち切って、誰よりも早く、約束の言葉を言うために――!
「……これが、私たちが絶望の底で掴んだ光! 花に込めたる願いは希望【スノードロップ】!」
願いを胸に瞼を開き、正面にある巨大な魔法陣を叩くと、そこから黄金色の粒子を纏った白銀の光が展開された。光線は辺りを舞っていた六つの魔法陣へと走り、それぞれ乱反射して、中央の柱へと降り注いだ。それらの光線は柱を下部から徐々に凍らせていく。
一見すれば、それはいつもと同じ第七階層魔術のように見えるが、根本的に違うのはそれが物理的な現象としてだけでなく、本当に全てを凍らせ、停止させている点だ。放たれた銀と金の閃光により、空気や音すらも凍てついていき、風花の中に閉じ込められていく。
自分とグロリアが紡いだ魔術は、ダニエル・ゴードンが編んでいた第八階層魔術の魔法陣すらも凍らせ、完全にその動きを止めてみせた。それだけでなく、自分達の魔術は完全な指向性を持っている。全てを無差別に凍らせるわけではなく、こちらに向かって害を成すもののみを完全に停止させ――そして辺りを飛び交っていた全ての攻撃は、魔術神が編み出した最大の魔術を含めて完全に凍ってしまった直後、それらは淡い粒子となって霧散していった。
そして――。
『……遺せるものは、全部アナタに託していくわ。腕も、思い出も、彼への想いも……アナタはこの世界で幸せになるのよ、ソフィア。そして、またいつの日か……』
その声が聞こえた瞬間、自分の中で決定的な何かが切れる感じがした。心の中で彼女の名前を呼んでも、いつも返ってきていた皮肉交じりの優しい声は、もうどこからも聞こえない。
「……グロリア?」
こうなることはわかってたし、覚悟もしていたのに――それでも、まだその事実を受け止めきれなくて、もしかしたら音にすれば返ってくるのではと思って、自然と彼女の名前を口にしていた。
しかし後に残るのは、ただ沈黙のみ。魔術神が操っていたエネルギーは全て塵となって去り、中央に残る柱が徐々に徐々に凍っていくだけ。機械を覆うのはただの氷ではなく――死者を弔うための氷の花となって、一万年の時を生きた男の棺を一杯に包み込んでいった。




