14-107:小夜啼鳥の決断 下
『ソフィア……私のために悩んでくれるのは嬉しいけれど、迷っている時間はないわ。幸い、他の防衛機能と並行しながらゆえに、ゴードンはジェネシス・レインボウの演算に手間取っている。でも、タイムリミットは刻一刻と迫っているのだから。
アナタは、たった一つの犠牲のために、皆が積み上げてきた物を台無しにするほど愚かじゃない……そうでしょう?』
ダニエル・ゴードン、もといこの場で暴れている魔術神アルジャーノンが編み出した思考領域は、第八階層魔術の演算に大部分の処理を回しているのか、飛び交う攻撃魔術の量は大分減っている。それでも、なお攻撃が熾烈なことには変わらず――迫りくる炎の隙間を掻い潜りながら、グロリアはなお優しい声で続ける。
『いつかは、こんな日が来るのは感じていたわ。その予感は、確かに最初こそ恐ろしいものだったけれど……ママが子供たちを護った時に、恐怖は確信へ、そして覚悟へと変わったの。
私は、ファラ・アシモフの娘として、彼女と同じように……この魂を燃やし尽くし、愛する人たちを守る。一万年間彷徨い続けた魂の終着点としては、なかなか上出来じゃないかしら』
彼女の言う通り、全てを無に帰されるくらいなら、苛烈な決断も止む得ないはずだ。ソフィア・オーウェルならそうするはず。魔王と戦うために研鑽を積み、最前線司令官の肩書を持ち、七柱の創造神に復讐を誓った彼女であれば――そうでなくとも論理的に考えれば、たった一つの犠牲で他のすべての可能性が繋がるのならば、本来の自分ならそれに躊躇することはなかったはずなのである。
自分は今までそうやって生きてきたし、苛烈な決断の連続であっても、それでもなお世界はいつだって過酷だった。だから、希望などないと――ただせめて、自分の大切なものを奪った者たちを滅ぼし、創造者たちの一万年にも及ぶ計画を叩き潰してやる。この一年の間は、それしか頭に無かったはずなのに。
それが、いざグロリアを失うとなれば、迷いが生じるとは。それはある意味では自分には覚悟が足らなかったとも言えるのかもしれないし、公平性が足りていない証左とも言えるかもしれない。
ただ、それでも――この一年の間、ずっと側にいてくれたグロリア。自分がどんなに破滅的な道に突き進んでも、いつだって手を差し伸べてくれた彼女。最初は同じ境遇で、同じように世界に対して復讐を誓った輩であったはずなのに、気が付けば彼女にいつも支えられていた。そんな彼女のことを大切な半身として、分かちがたい大切な人と考えてしまうのは、果たして罪なことなのだろうか?
そんな自分の迷いを察してか――いいや、彼女はこちらの心などお見通しなのだ――グロリアは小さくため息を吐き、また聞き分けのない子供を諭すように続ける。
『それじゃあソフィア、こういうのはどうかしら? きっと私たちは、もう一度巡り会う……アランが右京を止めてこの世界を守ってくれれば、人の魂は再び巡りだす。そうすれば、私たちが再会できる可能性だって、ゼロじゃないでしょう?』
『……そんなの、非現実的だよ。同じ時代に生まれるだけでも天文学的な確率を引き当てないといけないし……その上に、同じ星に、近い地域に生まれる必要があるんだよ?』
『何を言ってるの。それを言い出したら、私たちは千光年の距離をものともせず、一万年の時を超えて出会った……既に一度は天文学的数値を超えてるんだから、それがもう一度起こるってだけの話でしょう?
それにもっと未来には、惑星間の距離なんか関係なくなっているかもしれないじゃない。もちろん、仮にそれが実現したとしても、なお出会える確率は極小の単位でしょうけれど……私たちは今までだってどんな細い可能性の隙間だって飛び続けてきたんだから』
機械鳥はそこで一度言葉を切り、肩の上からこちらを見つめて頷いた。
『だから大丈夫、希望はあるわ。アナタが望むなら、私は必ずアナタに会いに行く。ただ、それはきっと遠い未来の話。ここではないどこかの場所、いつかの時……それでもきっと、アナタとはもう一度巡りあうから』
希望はある――その言葉が自分の心の奥にすとんと落ちてきて、先ほどまでの悲しい気持ちを落ち着かせてくれた。確かに、彼女の言う通りだ。極地基地で重傷を負い、アランを失い、もう世界には絶望しかないと思っていた。同じように母に道具として扱われ、ただ戦い続けることでしか自分の存在を証明できなかった自分と彼女。一万年の時を超えて出会った合わせ鏡のような存在であった自分達。
それでも、戦い続けた先には、抗い続けた先には、多くの光があった。互いに母と分かり合うこともできたし、もう一度愛おしい人と出会うこともできた。それなら――此度は彼女と別れることになったとしても、もう一度奇跡は起こるのではないか?
それはあまりに楽観的すぎる公算かもしれない。ただ、それでも信じたいと思う。自分達は出会い、同じ景色を見て、同じ絶望を――そしてそれを覆すだけの希望を見てきた。もちろん、右京がその願望を叶えれば、宇宙がどうなるかなども分からないが――そこは絶対に大丈夫と確信して言える。最後の七柱の創造神の元へは、あの日、レヴァルで燻っていた自分の元に現れた、私の、私たちの勇者様が向かっているのだから。
「……グロリア、私、怒ってるんだよ」
「勝手に話を進めたことに対して?」
「うぅん。急にキスなんかするから、一人で行くアランさんに対して何も言えなかったことに対してだよ!」
そう言いながら、自分はわざとらしく頬を膨らませながら魔術杖を構えてみせる。もちろん、彼をきちんと送ることが出来なかったことに対しては恨み言の一つでも言いたい気分であるのは間違いないのだが。
アランを送ってからここまで、ほとんどを思考内でやり取りしていたため、かかった時間は十秒程に過ぎない。その時間内で悲喜こもごもの様々な感情が渦巻いたので、まだどこか落ち着きはしないのだが、覚悟を決めたからには、後は目の前の事に集中するのみだ。




