14-106:小夜啼鳥の決断 中
「ふふっ……やっぱり固かったわ」
「なっ、君は何を……」
うろたえるアランと同じように、自分も動揺していた。今、そんな事態でないことは重々承知なのだが――仮面の上からと言えども、そして魂の同居人がしたことと言えど、彼の唇に自分の唇が重なったのだから。
確かに以前、自分は眠る彼の額に口づけをした。ただ、それは彼を護るという誓約を自らに課すためであり、彼の唇を奪うことなど考えもしなかった。もちろん、彼のことを敬愛はしていても、本当は自分のことを選んで欲しくても――選んで欲しいからこそ積極的に頑張ってきたけれど――あくまで自分は彼に付き従うべき存在であり、選ばれるまではそういうことをして良いと思っていなかったから。
そして、先ほどまで聞こえなかったグロリアの魂の声が聞こえる――私にはこれが相応しいと。私が好きになったアラン・スミスは、いつだって仮面を被っていたから――その彼女の言葉がなんだか切なく、自分の心すら締め付けてくるような心地がしてくる。
「……ごめんなさい。ビックリさせたと思うけれど……ちょっと私が気合を入れなおすために餞別代りにって思って、ね」
そう言いながら、グロリアは身体のコントロールをこちらへ戻し、機械鳥の背をアランへと向けて魔術の飛び交う空間を睨んだ。
「さぁ、もう一秒も無駄には出来ないわ! 行ってアラン! 行って、右京の馬鹿を止めるのよ!」
アランはグロリアの背に向けて頷き返したかと思うと、すぐに轟音と共に姿を消した。二人のやり取りにどこか呆気を取られてしまい、何一つ口を挟むことが出来なかったが――すぐに立っている狭い場所にも魔術による攻撃が飛び交いだしたので、その攻撃を避けるために改めて円柱状の空間へと飛び出した。
そしてグロリアは肩といういつものポジションへと陣取り、肥大化していく八つの魔法陣を睨みつけた。
『ソフィア、目には目をよ! ダニエル・ゴードンの第八階層魔術に対して、私たちも同じ第八階層で対抗するの!』
『で、でも! それは私たちには出来そうもないって結論が……!』
『いいえ、やれるわ! 確かに人の身では第八階層魔術を演算しきることは本来なら不可能……二人になったところでその結論は揺るがない。でも、クラウディアが言っていたように、既存の第七階層に、最も馴染みのある構成要素を加えるならば……演算処理も抑えられるはずよ!』
『まだ課題があるよ! 仮に第八階層の魔術を編めたとしても、それがダニエル・ゴードンのジェネシス・レインボウを止められるか分からない……最悪の場合、より強大なエネルギーの力場が発生して、月を完全に破壊してしまうかもしれない。
仮に一方的に止められるような魔術が発動したとしても……第八階層を撃つのに、適切な媒体が無い。アルジャーノンは七十三発の強化弾で無理やり媒体していたけれど……再装填するには時間が掛かりすぎるし、同じようにやったとしても、果たして成功するか……』
『あるわ……この魔術を完成させるのに相応しい触媒は、アナタのすぐ近くにあるの』
先ほどの口づけの時と同様、彼女が何を言いたいのか最初は理解できなかった。しかし、すぐに何を意味するのか理解する――自分のすぐそばにある媒体、それはグロリア・アシモフの魂であると。
『……原理的には不可能じゃないはずよ。役目を終えた魂は高次元存在の元へと辿り着く。その瞬間は、高次元存在とのつながりが強くなるということを意味する……私が魂を燃やし尽くす瞬間、アナタはその瞬間を掴んで頂戴』
『そ、そんなのダメだよ!』
『いいえ、アナタは必ず未来を切り拓く道を選択するわ。その証拠が、アナタが以前私に話してくれた白昼夢だったのよ』
そう言われてハッとする。ここ最近、ずっと胸にあった違和感はこれだったのだ。喪失への予兆を感じ取っていたのか、はたまたこの時が来ることをグロリアが予感しており、それを隠していたのか――恐らくは後者であろうと思う。
もちろん、ここで彼女の魂を媒介とすることと、過去の自分が彼女と出会っていたこととの関連性を理論的に説明することは難しい。しかし、直感が告げている――第八階層魔術を放てば、この場に大きな力の奔流が発生する。その衝撃で、燃え尽きる直前の彼女の魂が過去へと飛び、同様に巨大な力場を発生させていたガングヘイムへと現れた。原理的な部分の詳細は分からなくとも、少なくとも――この地点からグロリアが過去に飛んだのだとすれば、白昼夢の中で出会った彼女が自分のことを知っていたことに関しては説明がつく。
自分はこの後に彼女の魂を媒介とし、魔術を編む。それは不可逆的な決定事項である。同時にそれは、グロリア・アシモフとの別れを意味する。ダニエル・ゴードンの第八階層魔術を止められるかも分からないのに、自分は彼女の魂を犠牲に賭けに出るというのか。
いや、そうせざるを得ないことは分かっている。このまま行けばジェネシス・レインボウが月を破壊してしまう。確証のない賭けであっても、それに賭けざるを得ない。
それでも――。




