14-102:愛はさだめ、さだめは死 上
恐ろしい目に会った。夢野七瀬のクローンが持つ機構剣が気象コントロールを打ち破るほどの一撃を放つことは了解の上ではあったのだが、一度は攻撃を止めきっていたので油断していた。正確には、膨れ上がっている自分の力に対して理性を失い、完全に暴走してしまっていたとも言える。
今しがたの逃走劇の正体は次のようになる。クローンの放った一撃を結界で止めた後、本体を保管しているシリンダーを僅かに攻撃の軌道の下へと逸らし、やられたふりをして時を待つ。そして本体からの指令で天井の一部分を開き、内部の重力を操作して、見事に逃げおおせてみせた訳だ。
結局、チェン・ジュンダーの一派に極限まで追い詰められてしまったと言えるが、まだ再起を図ることは不可能ではない。あの右京が開いたであろう次元の穴へと侵入し、今度こそ高次元存在の力を手中に納める。そうすれば、全ての可能性を掌握できると同義――散々辛酸を舐めさせた相手を押しなべて殺してやることもできる。
いや、殺してやるなどと生易しいことすら言わない。彼奴等には神に逆らった報いとして、永劫の苦しみを与えてやろう。神話に語られる様な本物の地獄を創り出し、輪廻など勿論こと、消滅も許さず、万の刃で切り刻み、億の鞭で打ち、兆度の炎で焼き続けてくれる。
とはいえ、まだ課題はある。ここに関しては完全なる不利を認めざるを得ないが、このようなガラスの中に浮かんだ老いさらばえた身一つで、星右京を出し抜くことが可能かということだ。奴はここまで連れ添った誼みに、こちらの願いも叶えてくれると言っていたが、自分が奴の立場ならそれを実行することは無い――とくにこのような絶対的に不利な立場にいる相手なら尚更だ。
しかし、今は奴の言葉を信じる他ない。それに、力を得るまでは従順なふりをしてやったっていい。右京などにへこへことするのは屈辱の極みではあるが、好機を失うよりはマシだ。それに、自分が真に許せないのは右京などではなくチェンの一派。とくに自分をコケにした小娘共のことは、本当に、本当に、本当に許すことが出来ない。
ソフィア・オーウェルはあの生意気な碧眼を抉りだし、鼻を削ぎ落して醜いと笑ってくれよう。クラウディア・アリギエーリはその四肢を切り落とし、胴をブクブクと太らせて頭からヤスリで削り続けてくれる。そして夢野七瀬のクローンは、あの長い髪を全て引きちぎって、妾にしてきたようにその肉を何度も切り刻んでやる。許しを乞うて来ても、決して許さず、永遠の責め苦で苛み続けてくれる。
あぁ、しかし忌々しい。このように宇宙へと這う這うの体で逃げ出し、一切身体を動かすこともできず、醜い老婆の身体で活動しなければならなくなるとは。事態が落ち着いたらすぐにでも新たな美しい器を用意しよう。それも、万能の力を使って、今まででは実現できなかったような素晴らしい器を創りだすのだ。
すべての可能性を追究できるとなれば、史上で最も美麗な器を作ることだってできる。そもそも、この本体を残すという忌まわしき慣習すら捨てることが出来るはず。今までは自己の同一性を保持するために本体と器は分けてきたが、高次元の力を使えばこんな煩わしいことをするまでもない――自分は今度こそ、真の意味で蛹を破り、麗しい蝶へ生まれ変わることができるのだ。
そして、自分の美しさを認めてくれる理想の相手だって創り出せる。女神ルーナと歴代教皇を兼任している間に、万にも及ぶ者たちを相手にしてきたが、終ぞ自分を満足させてくれる相手に出くわすことも無かった。
惑星レムで教皇として君臨する時、若い器に宿ったのは器を入れ替える頻度を落とすのが当初の目的だったが、それ故に劣情を催す男たちが居たことが最初の始まりだった。最初こそは教会の規律に従えない者が居ることに嫌悪感を覚えつつも、同時に激しく求めてくる者たちを憐れにも想ったのだ。
肉の器にある者は、どれ程に理性的であろうとも、戒律で縛ろうとも知識を与えようとも、結局はその本能に抗うことが出来ない。最初期に自分を求めて来た者たちがいたのはそういうことだし、それをどれだけ矯正しようとも、教会内では秘密裏に欲に溺れる者たちが――その相手が自分であれ他の者であれ――横行した。
むしろ、普段は戒律や社会通念によって縛られているからこそ、タガが外れた時に熱く燃えるとも言えるのかもしれない。それが己の目指す社会を否定されている様で心の折れる心地もしたのだが、何のことは無い、結局は人というのはそういうものだと認めてしまえば、あとは簡単だった。
最初のうちは自分の派閥の権威者どもを相手にしていたが、徐々に若い蜜を吸いたくなってきた。それが存外によく、若いうちから楽しみな芽を剪定するために、齢七歳の内から神聖魔法の才能がある者たちを教会へと集めるルールを課し、見目麗しい若い少年たちを骨抜きにするハーレムを作成した。
だが、万を超える数の男を相手にしても、決して自分が満たされることは無かった。奴らは教皇である自分を敬愛し、愛しているだとか護るだとか支えるだとか何だと言いながら、結局は劣情をこちらへと向けてくるだけ。そしてこちらが幾分か心を晒しても――最初こそは己の肉欲を満たすために素直に話を聞いてくれるが――徐々に考えを改めるべきだとか、こうしたほうが良くなるのではとか、上から目線で説教を垂れだす。もちろんその対応に個体差はあったが、概ね自分のことを完全に受け止めてくれるだけの器量が無かったことだけは全員一致していた。




