表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
949/992

14-96:もう一頭の虎が生まれた日 上

 ローザ・オールディスは自らの管理する月を無限に食らい続け、有機物と無機物との化合物が――もはや無機物の質量の方が大きいはずだが、その外観にはどこか有機物の内臓らしいグロテスクさがある――更なる獲物を求めて巨大でかつ無数の食指を伸ばし続けていた。


 それに対し、銀髪の少女は怯むこともなく――その攻撃を避けるわけでもなく、ただ黄金色の光を纏った剣を最低限動かし、彼女すら取り込もうとする触手を弾き返している。


「私は、誰もが戦う理由を持っているって思ってました。正義の反対は悪ではなく、別の正義であって……相容れないことがあったとしても、どちらも間違えているわけではなくって、だからこそ戦わざるを得ないんだと思ってたんです。

 ですが、あの人は違います。ただ己のために全てを食らい、自分のために仕えていた人すら呑み込んで、今もなおその邪悪なエゴを増大させている……己の欲にだけ囚われて全てを踏みにじる存在を、私は許すことができません」


 その怒りはどこか静謐で厳かだった。口調は落ち着いており、声量も最低限で、ただ淡々と自らの感情を吐露する彼女は、いつもの溌剌はつらつとした様子とは正反対だ。


 ただ、なんとなくではあるが、彼女自身も己の感情に困惑しているのではないかと思う。常より怒りという感情から遠くにいるせいで、自身のうちから湧き出る感情を上手く処理できず、それを理性の力で無理やり押さえつけようとしているのであり――それ故に彼女の怒りはどこか静かな様子に感じられる、そんな風に思う。


 しかし、彼女の内であがっている炎は本物だ。腹の底が煮えくり返りそうになるのを理性で抑えようとはしているものの、その感情は彼女の瞳に現れている。自分は彼女のあんな目を見たことは無い。冷たく凍りつくような殺気の裏に、灼熱の激情の秘めている――その引き金となったのが、人々に散々辛酸を舐めさせてきた天使長の死というのはなんとも皮肉なように感じられるが、逆に身内を護るという獣ですら持っている情すら失った月の女神に対し、彼女は明確な怒りを覚えたということに違いない。


 少女の怒れる様子に対し、何故だか逆に自分は不思議な程に冷静になっていた。それこそ、ルーナこそ夢野七瀬を殺害した首謀者にして実行犯であり、最も自分が怒りを向けていた仇の一柱であるはず。それが、つい先日までは自分の中にあった燃えるような怒りがそっくり銀髪の少女に移ってしまったのかと錯覚するほど、自分の思考はクリアになっており――そしてその思考の中でもっとも最初に出てきた言葉が「勿体ない」であった。


「……落ち着け、セブンス」

「いいえ、T3さんのお願いでも……」

「落ち着けと言っている」


 静かに、だが彼女に届くように意志を込めて声を掛ける。それが功を奏したのか、こちらの様子にセブンスはやっと冷たい表情を崩し、いつもの様子を多少取り戻して目を見開いた。


「お前の言う通り、人の争いというのは、単純にどちらが悪と断言できるほど単純なものではない。実際に、私が復讐を誓った七柱たちも……実際にエゴにまみれ、他者を利用した連中でこそあるが……奴らも間違いなく、この世界に苦悩する人間だった。

 だが、確かに奴は……奴だけは違う。成程、元々はローザ・オールディスという人間も苦悩する一本の葦だったのかもしれない。しかし奴こそは、周囲から養分を吸い上げ、ただひたすらに欲望のために自己を肥大化させ、本来備わっていた人間性すら喪失させた、本物の化け物だ」


 そこで一度言葉を切り――切らざるを得なかったという方が正しく、今立っている場所も触手に呑まれ始め、一同で一旦増大する塊から距離を取る――そして振り返り、なお伸びてくる一本の触手に対して出力のあげた光の矢を放って後、改めて塊を見つめなおす。


「だからこそだ、セブンス。奴に対して怒りをぶつけるべきではない。怒りというのは、強い感情だ。どうすることもできない現実に対して答えを見つけることもできずに、自分を慰めることも出来ない葛藤が生み出す、強い力なんだ……その感情を、あんな悪食にくれてやるなどと、勿体ないというものだ」


 それが自分が勿体ないと思った要因だ。怒りという感情が崇高なものだと言いたいわけでもないし、その感情が引き出す暴力性を正当化したいわけでもない。だが、本来怒りという感情は、人と人との間にこそ発生する物だ。もしかすれば、両者の間にはヒエラルキーの差があって、片方の怒りなどもう片方の側からしてみたら取るに足らない、ということもあるかもしれないが――だからこそ、怒りというのは相手への恨みや世の理不尽だとか自分の至らなさとか、そういった不足に対する行き場のない感情の慰めるために存在する、非情に人間的な感情ということが出来ると思う。


 それに対し、ローザ・オールディスはもう人ですらない。つまり、怒りという感情を介在させるほど上等な存在ではない。そんな相手に誰よりも優しいナナセの怒りなど奴にくれてやることもないし、またこんな下らない相手のために誰よりも高潔なナナセが手を汚す理由もないのだ。


 ならばこそ、アレを滅するのは他の者であるべきだ。ただ冷徹に、ただ作業のように、ただ屠殺するかの如く、あの肉の塊を葬る――三百年もの間、自分の根底で燃え続けた復讐の炎はすっかりと消え去り、ただ自分でも驚くほど明瞭になった視界の奥に屠るべき獲物の中心をとらえて、再び弓を構えて矢を番える。


「覚悟するがいい、ローザ・オールディス……いいや、堕ちた女神ルーナよ。貴様は私のターゲットだ」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ