14-86:暴食の女神 下
奥歯を噛んで音速を超え、今度こそ最奥部を目掛けて走り出す。残った肉壁に向けて精霊弓の放ち、焼き爛れたその隙間を縫うように奥を目指していく。だが、こちらが通路へと足を踏み入れた瞬間、奥から迫り来た存在に阻まれてしまう――奥から二体のルシフェルたちがこちらへ目掛けて攻撃を仕掛けてきたのだ。こいつらこそ、女神の居城を守る最後の砦といったところか。
だが、その強さは一体で侮れないものであり、それが二体ともなれば状況はかなり厳しいといっていいだろう。幸か不幸か狭い通路での迎撃であり、こちらも超音速で動き回っている以上は横や背後を簡単に取られはしないが、それでも正面から強力な相手が二体来たともなれば、防戦一方にならざるを得ない。
精霊魔法を使いながら上手く立ち回ったものの、ルシフェル達の決死の反撃に弾き押し返され、セブンスたちのいる場所まで戻されたタイミングで神経が限界に達して加速を切る。すると、薄皮一枚で繋がっていた繊維達が繋がり始め、膨らみ、凄まじい速度で再生を始める――その再生能力は、ブラッドベリすらも遥かにしのぐと言っても差し支えないほどだ。
そしてたったの数秒で、肉の壁は確かな厚みと面積を取り戻し、再び通路を完全に覆い隠してしまったのだった。その正面には三体のルシフェルが構えており、まさしく敵の体制は今こそ万全といったところだろう。
「そ、そんな……!?」
「くっ……くくく……認めてやるぞ、夢野七瀬のクローン……今の一撃は、なかなかに効いたが……じゃが、妾の軍勢を屠るには足らんかったようじゃな!
貴様から受けたダメージなど、すぐさまに回復してくれる……こうやってな!」
壁からまた触手が伸び、辺りに残っている器や残骸を再び取り込み始める。その様は、この世のすべてを呑み込んでやろうとする貪欲な意志を感じるほどだ。そしてその飽くなき欲望は、彼女の同胞まで呑み込もうというのか――あろうことか、彼女を必死に守ろうとしていた三体のルシフェルにまでその食指が伸び始めていた。
「る、ルーナ様!? 何をなさるのです!?」
「知れたこと! 全てを呑み込み、我が糧としてやろうというのじゃ!」
ルシフェルはしばらくの間は肉の触手から逃げ惑っていたが、しかし最終的には女神の腕に抱かれることになった。ルシフェルがその足を止めたが故に捕まった、というのが正しいのだが――恐らく、ローザがルシフェルのAIに命令を下し、動けなくさせたのだろう。
「喜ぶがいい、ルシフェル! 役立たずの貴様すら、我が血肉としてやろうというのじゃからな!」
「そんな、止めてください! 私は、今のままでも十分に役に……」
「うるさい黙れ! 妾が作ったものを、妾の好きな様にして何が悪い!?」
三体のルシフェルが肉の壁の元へ引き寄せられ、その身が徐々にぶくぶくとした筋繊維の中に沈んでいく。金属が砕けるその音は、あたかも何かを生きたまま骨ごと食らうようなグロテスクさがあり、最後の熾天使の顔は引きつって――それは敬愛したものに最後まで利用されるという精神的な痛みであったのか、それとももっと別の感情が要因なのか――歪んでいた。
二体の機体が完全に肉に沈み、残りの一体が虚空へ――いや、こちらへ――手を差し出してくる。
「あぁ、私が消えて……い……」
最後に絞り出すようにそう呟いて後、天使長の身体が完全に肉の海に沈んだ。そしてこの部屋にあった全てのものを――自分たちという異分子を除いて――取り込んだ暴食の神は、更に肥大化して壁一面を覆い、耳障りな高笑いをあげたのだった。
「はーっはっはっは! 素晴らしい、この力! 最高の素体たちに最強の熾天使を取り込んだこの器は、まさしく最強じゃ! この力さえあれば、すべてのウジ虫どもを殲滅し、いけ好かない右京の奴をも簡単に縊り殺すことが出来じゃろう!」
そう言って後、ローザは再び大きな高笑いをあげた。彼女のその残虐な精神に呼応してか、はたまた理性がコントロールできなくなっているのか、何十本もの触手が伸び、舞い、床や壁を叩いて部屋を破壊しつくしている。
いや、それどころか周囲の壁や床の材木すらも取り込み始め――このままいけば、女神ルーナはまさしくこの月を全て取り込み、一つの惑星として化してしまうかもしれない。それこそある意味では月の女神として相応しい在り方とも言えるのかもしれないが、全てを食らいつくす悪食の女神ともなれば、まさしく宇宙の癌とも言える厄介な存在とも言い換えることが出来るだろう。
「ははハは……殺してヤる、コロしてやル、コロシテヤルゾ!」
「完全に理性を失いましたか……しかし、ラグナロクの一撃すら耐えきるあの化け物をどう仕留めたものか……」
もはやローザにはこちらが視界に入っていないのか、ただ本当に全てを力のままに呑み込み続けていくだけ。狙いが散漫なせいで肉の触手を避けること自体は容易であり、チェンは器用に足を開いて身をかがめて敵の攻撃を避けながらも、あの巨大な塊をどうしようか考えているようだった。
自分も――恐らくこの場にいる全員が――あの巨大な物体を仕留めきる方法を考えているのだが、やはりそれも簡単なことではない。こちらの持つ最大火力を防ぎ切られたのはもちろんだが、そこに敵の攻撃の激しさが上乗せされており、思考に集中している暇がないとないというのもある。強大な力にかまけて扱いは雑になってきてはいるが、確かにルシフェルを飲み込んだことによって光学兵器の類も撃ちだすようになってきているので、相手の攻撃を捌くのに集中する必要がある。
しかし同時に、こちらが対抗策を出せなければ事態は悪くなっていく一方だ。周囲を飲み込むことでローザ・オールディスの力が徐々に肥大がしていくのであり、それに比例してこちらのチャンスも削れて行ってしまうからだ。
どうする――焦る中で周囲を見回すと、セブンスが一人、ほとんど動かずに相手の攻撃を刀身で受けているのに気づく。まさか、先ほど全力を出したせいで動けなくなっているのか――そう思って彼女を援護するべく近づくと、そんなことはないと気づく。
彼女は毅然と立ち、ただ最小の動きで相手の攻撃をいなしていただけだ。その背に静かな、しかし確かな怒気をこめて、小さく「許せない」とこぼしたのだった。




