14-67:月の女神が夢見るもの 下
「貴様と一蓮托生というのは気に入らんが……他に選択肢などあるまい」
そう返答すると、目の前の隔壁が一つ、二つと上がっていき、目の前に長大な通路が現れる。力を授けるのには、直接手渡しする必要があるということだろうか――実は自分の領域へとこちらを踏み入れさせ、寝首を掻くという算段がないとも言い切れはしないのだが、ままよとその無機質な長い廊下を進み続ける。
「ちなみに、興味本位で聞きたいんだけれど……君は何でも叶えられる力を得たとして、その先に何を望むんだい?」
廊下の天井に設置されているスピーカーから、出し抜けにそんな質問が飛んできた。自分は、その質問にすぐに答えられなかった。その理由は単純であり、自分よりも他者が有利になることを避けたかったから。それが最大の理由になるが、この世界の支配者たる自分の本心がその程度のものであるということを――その程度であるとは流石に自覚せざるを得ない――長年の同僚に言うことは、どうしてもはばかられたからだ。
そもそも、自分は何故に一万年の時を超えてここまで来たのか? その動機は、その原初はなんであったか――今となっては思い出せない。もちろん、説明することは容易であり、旧世界では達成されえなかった知的生命体の真の平等を実現するべく、自分は惑星レムの社会における管理者としての任務をこなしてきたのであるし、そこに対しては一定の誇りもあったように思う。
だが、何故にそのような社会を実現しようと思ったのか、その源泉を思い出すことができない。長い廊下に反響する自分と従者の足音だけが反響し、その単調な音が返って返答を急がせているように感じられ、ただ取り繕うように「永久の王国を、秩序ある世界の創造を望む」と言葉を返した。
もちろん、それは自分の願望の端緒は現しているはずであり、完全に嘘な訳ではないはずだ。しかしやはり焦って返したのが良くなかったのか、スピーカーから男が微かに笑う声が――アイツのことだ、こちらのことを知った気になってシニカルな思考に耽溺しているに違いない――聞こえる。
「……何がおかしい?」
「いや、ごめんよ。正直に言えば、君のその言葉が本心とは思えないんだけれど……ただ、一個だけ確かなことはある。君にとっての理想は王国であり、世界である。これは嘘じゃないんだろう。
そして、王国だとか世界だとか言う言葉の裏には、必ず自分以外の誰かが居る……つまり、君の理想には他者が必ず介在しているんだ。そう思うと、それは中々上等な事じゃないかと思ってさ。少なくとも、一人で完結してしまうよりは余程いい」
その言い分は、こちらへ向けられたというよりも、むしろ彼自身へと向けられているように感じられた。思い返せば、星右京という人物にはそういう面があった。他者をよく観察こそしているものの、そのすべては最終的に彼自身に帰結する。それ故に、常に誰かといるようで、同時に常に孤独であり、常に一人で完結する――そう言った人物であったように思う。
いや、この表現は適切ではないかもしれない。真に一人で完結しているのなら、星右京は伊藤晴子という伴侶を求めなかっただろう。旧世界のように社会通念上、いっぱしと認められるには結婚していることが条件という――その慣習は過去と比較すれば廃れていっていたものの、依然として人々の心の奥深くにはあった――ことなど、もし孤独でいられるのなら気にすることも無かったはずだ。
そして恐らく、それを自覚しているからこそ、彼は自分自身を嘲ったのだろう。彼のそういう気質が常に自分にとっては癪だったことを思い返す――星右京が自己批判に陥っているのを見ること、それはすなわちこちらの在り方までもが批判されているような気持ちにさせられるから。
しかし、そんな男が一万年もかけて追い続けたその宿願とは、一体何なのであろうか? ふとそんなことが気に掛かったタイミングで、また天井から声が降り注ぎ始める。
「……思い返せば、僕らは一万年も一緒にいたのに、互いのことを全く理解していなかったね・表面的な肩書や、行動や略歴から勝手に相手の気持ちや理想を分かった気になって、その実全く分かり合おうともしなかったんだ」
「えぇい、黙れ痴れ者めが!」
確かに腹を割って話したことなど一度もなかったが、それよりもこれ以上この男に話させると無駄に気分を害する。穏かな口調で窘められているかのような――いや、どうにも小馬鹿にされているような気持ちにさせられるからだ。
「そうだね、君を怒らせるのも本意でもないし、黙ることに……いや、その前に一つ忠告だ。君が王国を作りたいのなら、その臣下を無下にするべきじゃないよ。傍から見ていて、彼がちょっと気の毒だったからさ」
右京はそれきり黙った。首を回すと、そこにはどこか意気消沈した様子のルシフェルが肩をすぼめてこちらに着いて来ており――しかしすぐにコイツのせいで小娘たちに辛酸をなめさせられたことを思い出して通路の先を見ると、星右京の居る彼の領域の扉が目の前に迫っているのだった。




