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14-49:高原にて エリザベート・フォン・ハインラインの場合 下

「そうかしら? 確かに、我流や他の師をつける場合はかなり時間もかかるでしょうけれど……描き手がつきっきりで教えてくれれば上達も早いわよ、きっと」


 一瞬、その言葉の意味を呑み込むことが出来なかったのだが、一度言葉を反芻してようやく彼女の真意が呑み込めた。彼女は別に本気でこちらと絵の腕を並べたいわけでなく――いや、もしかしたらこっちも本気なのかもしれないが――要するに今後も側にいて欲しいと告白してきたのだ。


「ふぅ……こんな風に言うの、凄くドキドキしたけれど……でも、案外勇気を出して言ってみるものね? アナタのそんな間抜けな顔が見れるの、貴重だから」

「……まさか、君からそんな直接的な言葉が出るとは思ってなかったから。流石にびっくりしたよ」

「ふふ、言ったでしょう? 恥ずかしがるの、克服していかないと思ってるって」


 克服していかなければと以前に言われた時には彼女の真意がまったく分かっていなかったのだが、なるほど、そういうことだったのかと今更ながらに納得する。しかし、やはり少々無理をしているのだろう、恥ずかしそうに目線を泳がせたり、横髪を撫でながら所在なさそうにしているその姿が何ともいじらしく、こちらも心臓の鼓動が早くなってきてしまう。


 以前にエルは安心すると言ったことがあるが、前言撤回する必要があるかもしれない。大胆そうな見た目に反して奥ゆかしいのが彼女の美徳だと思っていたが、その殻を破ろうとしているのだから。しかしやはり性根にある恥じらいがあるので、そのアンビバレントな様子はなかなかにくるものがある――まさかこんな風にどぎまぎさせられるとなれば、エルの目論見は全く成功したと言ってもいいだろう。


 同時に、実際に彼女の言う様子を――彼女と共に歩む道というのを想像してみる。普段は不器用ながら、しかし懸命に領主としての勤めを果たそうとする彼女を支えることなら自分にもできるかもしれない。それに、羽休めにはこの美しい自然に囲まれて、彼女の隣で絵の描き方を教えつつ、自分も思いっきり描きたいものに打ち込むことができる――そんな未来が脳裏に浮かんでくる。


 しかし、他の二人の少女に関しても、同じように「ありえるかもしれない未来」を思い浮かべた。それらは確かな色彩を持って自らの心に浮かんできて、そしてそのどれもが魅力的で――もしかしたら自分は無意識的に、自分がこの先に戦う覚悟を鈍らせないようにするために、彼女たちと共に生きる未来について質問して周っていたのかもしれない。


 それは自分にはもったいないと思えるほど美しい未来であるとも思う。それに、結局選べる道は一つしかないはずなのに、こんな風に聞いて回るなどというのは、碌でもないことをしてしまったとも言える――彼女達の好意にはある程度は気付いていた訳であり、きっと彼女たちが思い描く未来の中に自分を関係させてくれることを分かっていて、敢えて言わせて意識させるというのは、趣味が良いとは言えないだろう。


 そんなことまで見通しているのか、エルは自嘲的に笑い、視線をスケッチブックに落として木炭を走らせながら口を開く。


「……大丈夫、この場で答えをくれとは言わないわ。きっと、他の子たちも同じようなことを言ったのでしょうし……大切なのはアナタの意志だもの。でも……一つ覚えておいて欲しいの」


 エルは木炭の動きを止め、こちらを見上げ――その瞳に強い意志を秘めて自分を居抜いてくる。


「アナタが選ぶ未来を私は尊重するわ。でも、それはアナタが幸せになる未来だけ。もし悲劇的な結末を選ぼうというのなら、そんなことは許さないし……そんな結末を選ぶくらいなら、私の隣にいなさい」


 大丈夫、悪いようにはしないから――そう結んで、エルは再び視線をスケッチブックに落とした。自分は、ただ彼女の有り様に圧倒されてしまった。どちらかといえばいい意味でだ。


 今までのエリザベート・フォン・ハインラインは、よく言えば相手の意志を尊重する人物であったが、悪く言えば他者の在り方に干渉しないタイプであった。それはどちらかといえば消極的な意味合いであった――彼女自身に自信が無いとか、他者の在り方に責任を持ちきれないとか、自身の意見がよりベターでないとか、そういった部分から人に対して断言を避けていたように思う。


 もちろん、それは一つの処世術だと思うし、彼女の良い性質は変わっていない。アナタの意見を尊重すると言ってくれていて、そしてそれは本心からの言葉のはずだからだ。同時に、悲劇的な結末は許さないという結論を持ち、そしてそれを明言するというのは、以前の彼女には出来なかったと思う。


 もっと単純に言えば、ここ数日で一番ガツンとやられたと言ってもいい。ハンマーで脳を叩かれたような衝撃で何も言い返せないでいると、エルは少し気まずげに唇を尖らせながら、目だけでこちらを睨んでくる。


「……ちょっと、何とか言ったらどうなの?」

「いや、イケメンだと思ってな……ちょっと圧倒されていた」

「何よ、それ……でもまぁ、少しは響いたみたいだし、良しとしましょうか」


 エルは満足そうに頷いて、再び彼女の父が愛した景色を紙に降ろそうと作業に戻った。自分の方はと言えば、動揺でしばらく作業に戻れなかったのだが――その動揺の正体は、エルの中に見えた彼女の遠い祖先の資質だった。


 自分がリーゼロッテに惹かれていた部分は、その美しさや、戦場で出会ったというそのロマンチックさ――それは倒錯した感情だろうが――などが主な要因だと思っていた。しかし、思い返せば、自分と対等以上に居てくれるその在り方に惹かれていたのかもしれない。


 そしてその強さは、今間違いなくハインラインの末裔に受け継がれている。その強さがある以上、もはや彼女のことを妹のようだなどと侮ることはできない。しばし動揺は続いたが、しかしその原因を言語化したことで落ち着きを取り戻し――後は日暮れ近くまで互いに絵をひたすらに描き進めた。


 なお、彼女の絵の上達は早く、本当にすぐにでも追いつかれてしまうのではないかと思わされるほどであり、そう言った意味でも圧倒されたことを追記しておく。

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