14-48:高原にて エリザベート・フォン・ハインラインの場合 中
エルの言うことには一理あると思う。指導者は奉公滅私である人であるほうが好ましい。もちろん、誰かのために人の上に立って社会のかじを取ろうなどと面倒なことをやる訳だから、その中に私欲があって然るべきだし、何よりそういった損得勘定が無い人間は理想主義に突っ走りすぎる――そういう意味では、公私を混同させず、政治に関しては公正に行い、緊急の場合や大きな問題がある際には私欲を抑えて行動できるものが為政者として向いているとは言える。
だからといって、自分が人の上に立つというイメージは全く沸いてこない。一応、私欲を抑えて行動するという点は――自己評価にはなるが――自分にもできるのかもしれないが、元が世を忍ぶ暗殺者であったからこそ、公人となることが予想もできないというのが正確か。そうでなくとも、帝王学や政治学について詳しい訳でもないので知識もないし、なんやかんやで公人というのは品が――彼女は重要ではないといった立ち居振る舞いや言葉遣いなど――求められるだろう。
そういう意味では、自分には為政者としての才能は無いと思う。しかし同時に、これは何の話だったか――元々はエルの好みの話であったはずだ。それが絶妙に脱線してきたわけだが、彼女の伝えようとしたことの真意はなんだったのだろうか? そう思ってキャンバスから目を離して横を向くと、エルはこちらをまたじっと、静かに見つめていた。
「逆に聞いて良いかしら? アナタ、何故絵を描きたいと思ったの?」
「それは、単純に好きだから……というのが大前提なんだが……そうだなぁ……」
自分の絵を通して、世界の人々の役に立ちたいから――などという、ちょっと高尚らしい理由があったのも事実ではある。ただ、ここでそれを言うのも、少し格好悪いと思ってしまったのだ。あたかもエルの言う高潔さという物を自分で持っていることを、過剰にアピールしているような感じがあったからだ。
そんな風に口をつぐんでいると、エルはこちらのことを見透かしていると言わんばかりの視線でこちらを見上げてくる。
「ふふ、良いわ。何となくわかったから」
彼女が言葉を切って作業に戻るのに合わせ、こちらも自分の作業に戻ることにする。確かに自分は絵を通じて世界に自分の意見を言いたいという、何やら高尚らしい理由をもってその道を志したわけだが――この絵だけは別だ。これは完全に自分の我儘であり、ある種自分のための作品だと言っても良い。何故ならば、この絵はオリジナルの記憶を取り戻した自分が、最後になるかもしれないと思って筆を取った作品であり、今までの自分の集大成としてのみ描こうと思った作品だからだ。
そうなれば、自分はそんな高尚なもんじゃない。こんな自分の我儘に皆を付き合わせているのだから。しかしそれならばなおのこと、これはすっかり描きあげてしまわなければならない。進捗としては全体の七割ほどは来ているであろうか、最低でももう一日は欲しい。
エルは集中する自分に遠慮してくれているのか、ただ黙々と自分の作業に没頭してくれている。こんな風に思ったのも、ある程度筆を進め、詳細をどうするか悩んだタイミングで集中がやや切れたからだ。気が付けば日も既に随分と西側に進んでおり――まだまだ明るいが――恐らく二時間くらいは集中して進められたといったところだろう。
エルの絵を覗き見ると、すでに一枚目、二枚目のデッサンは済んでおり、少し方向を変えて三枚目に進んでいるようだった。枚数を重ねるごとに構図やバランスの改善が見られており、なるほど、彼女にも意外な才能があったのかもしれないと思い知らされる。
ただ、彼女の方も少し疲れが出てきている様で、手の動きも散漫になってきているようだった。そこで息抜きに、他の二人の少女にも聞いたことを――この戦いが終わった後はどうするつもりなのか――聞いてみることにした。
「そうね……二つあるかしら。一つはさっき話したように、この地に安寧をもたらすために行動しようと思っているわ。
そして、もう一つは……そうね……」
エルはそこで一度言葉を切り、木炭の先端で自分が塗っている絵を指し示した。
「アナタの描くそれと同じくらいのものが描けるようになるまで絵の腕を上達させること、かしら」
「ほぉ……大きく出たな?」
先ほど絵の上手さというのは相対的な部分もあると思ったが、同時に蓄積された経験とノウハウというのも確かに存在する。もちろん、エルが意外な才能を見せて――事実、二回目と思えないほど上達しているように見える――簡単に追いついてくる可能性だって否定はできないし、晴子にして曰く自分の絵は上手いだけらしいので、そういう意味では時間さえかければ確実に追いつけるものでもあるのだろうが――自分は十代の多くを絵に費やしてきたのであり、簡単に追いつけると思われるのは少々癪な気持ちが湧き上がってくる。
それ故に少々棘のある返しをしてしまったのだが、言い返してから違和感に気づく。果たしてエルがこんな風に人の神経を逆なですることを言うだろうか? 毒舌家としての一面もなくはないが、どちらかといえば周りがふざけている時にカウンターを入れるのが主であり、自分からそういうことを言うタイプではないはずだ。
そんな違和感が働いてエルの方を見ると、彼女は頬を上気させながら、はにかむような笑顔をこちらに向けていることに気づく。




