14-47:高原にて エリザベート・フォン・ハインラインの場合 上
「ねぇ、さっき少し話に出てたけれど……アナタの好みってどんなのなの?」
そう言われてみると、異性の好みというのはあまり明確には思い浮かばなかった。具体的には――こんな風なのはまた変な格好つけのような感じもするが――割と男ばかりの環境にいる時間も長く、なかなか同世代の女性を相手にすることも無かったので、本気で異性に惹かれたという経験がないせいかもしれない。
もし本気で誰かを好きになった経験があれば自分の好みを言語化できるとも思うのだが、如何せんその相手がいなかった。もちろん、なんとなくこういうのが好きというのは無くもないのだが――ふと隣でこちらをじっと見つめる金の瞳を見つめると、彼女は恥ずかしそうに頬を染めて俯いてしまった。
たとえば、そう、エルのようなタイプは――好きというのとはまた少し違うかもしれないが――少なくとも自分と性格的な部分は合うなという気がする。強気そうな釣り目からは想像しにくいが、彼女は誰かの意見を尊重し、信じてくれるタイプ。その彼女の在り方に、自分は何度も救われたし、同時に彼女はこちらの実力を見誤らずに正確に判断しているからこそ、先日見事な反撃をしてきたとも言える。
つまるところ、彼女は自分の最大の理解者であるようにも思う――そういった相手と一緒にいられるのは楽だし、安心できる。
とはいえ、それはこちらの一方的な考えだ。実際の所、彼女の優しさに甘えていたら、いつか愛想をつかされてしまうかもしれない。それこそ、グロリアが言ったように、正面からガンガンに来るタイプの方が、常に意見を出し合えて良いのかもしれない。他にも隣にいてくれるタイプなら、対等な立場で歩んでいける――など、様々な考えが脳裏を駆け巡ったが、結局はまとまることはなかった。
一言で言えば、やはり自分の中で答えが明確になっていない、というのが一番なのだろう。あまり自分のことが言語化できていないのもいかがなものかと思いつつも、ひとまず意見もまとまっていないので、お茶を濁すのに相手に質問を返すことにする。
「相手のことを知りたいなら、まずは自分からだぜ」
「なんだか上手くはぐらかされた気もするけれど……そうね……」
こちらの質問に対し、エルは一度こちらから視線を外して何か考え込み――右手で木炭をクルクルと回しながら言葉をまとめているようだった。そして何を話そうか決まったのか、木炭をピッと止めて、改めてこちらを下から覗き込むようにじっと見つめてくる。
「笑わないで聞いて欲しいのだけれど……実は、あまりそういうことって考えたことって無かったの。本当ならそういうのに一番焦がれる時期に、私は復讐のために剣を取ってT3を追っていたから」
「……そうだよな。でも、言い寄ってくる男はたくさんいたんじゃないか?」
「えぇ、冒険者なんてそんなものだしね。でも、言い寄ってくる男たちは魅力的に感じなかったわ。乱暴されそうになったことはあるけれど、別に簡単に御すこともできたし……そういう意味じゃ、まず第一の条件として、私より強い相手じゃないと駄目ね。
あとは、消去法的な言い方にはなるけれど……気品がある人かしら」
「気品……まぁ、エルと並ぶとなれば当然だよな」
先ほども考えたように、エルには品がある。確かに寝坊助な所があったり、何となく隙がある部分もあるのだが――それが彼女と接しやすい理由でもあるのだが――やはり生まれ持った気品という物は損なわれることは無い。その所作や表情の一つ一つには、どこか気高いものが感じられるのだから、彼女を見ていると品性という物は金で買えないものの一つなのだと改めて思い知らされるくらいだ。
そんな風に思いながらエルを見つめていると、彼女は微笑みを浮かべながら静かに首を横に振った。
「勘違いしないで欲しいのは、気品といっても家柄が良いとかマナーがなっているとか、私はそういうのを望んでいるわけじゃないの。
やり玉にあげるのも可哀そうではあるけれど、たとえばカール・ボーゲンホルンなんかは貴族中の貴族であって、家柄や作法に関しては問題ないと言えるでしょう。でも、私は彼にも魅力を感じなかった……それは、彼に高潔さが無かったからだと思う。
だから、そうね……気品というよりも、その魂が高潔であるかどうかが、私にとって大切なことなのかもしれないわ」
「参考までに、どういうのが高潔なんだ?」
「多分私にとっての憧れであり、そして規範であるのは、やはり父であるテオドール・フォン・ハインラインその人であるのでしょう。父は、奉公滅私の人であり……世俗的に強い力を持っていたとしても、それは守るべき規範や人々の生活のために。剣聖と呼ばれるほどの剣の腕前を持っていたとしても、それは力無き者の護るために使っていたわ。
つまり、私の言う高潔というのは、その力を誰かのために使おうとすることを指すのだと思う。強力な力を持っていても己の欲に溺れているようでは、それはむしろ質の悪い暴力になってしまうもの」
もちろん、チンピラみたいな話し方はしないに越したことは無いけれど。エルはこちらをどこか呆れたような目で見ながらそんな風に締めくくった。そしてエルは手に持った木炭をスケッチブックに走らせ――こちらも筆を取って色塗りを再開する――ややあってから、「でも」と独り言のように呟く。
「貴族というのは……指導者というのはそうあるべきだとも思うの。もちろん、人間なのだから、無欲でいられるわけでもないし、また私欲を全く捨てる必要があるとも思わない。たとえばお父様がこんな風に絵を描いて、自分のための時間を持つことだって、それは必要なことだと思うの。
でも……多くの人達の代理として、何某かの宣誓を前に人を統べるを行うということは、自らの持つ力を誰かのために振るうことを求められる。そうなれば、きっと……その人自身の欲が誰かのためにあろうとするか、または自然と誰かのために行動できる人こそが、真の意味での指導者なのだと。
高潔さというのは、生まれや育ちだけで決まるものではない。むしろ、その魂にこそ素養がある……そういうものだと思うのよ」
魂にこそ素養がある、そんな風に言っていたのは誰だったか――ともかく、以前にも同じようなことを言われたことを思い出す。今のエルの言葉は、半分は自戒のために言っている様でもあるが、残り半分はこちらへ向けて言っているように感じられる。




