14-34:高原にて ソフィア・オーウェルの場合 下
「まず一つ目は、学院の再建。私自身、勉強することはやっぱり好きだし……何より、七柱の創造神達から世界が解放されれば、学問の場は必要になる。直近の食料生産についての研究もそうだけれど、神々に管理されていた社会が人の手に委ねられるとなれば、改めて社会の在り方を考えたり、論じたりする場所が必要になるから。
それは、ディック先生が望んでいた社会でもある……世間にもっと広く学問がいきわたり、人々が自分の生き方を決め、社会について考えられるようにする。その願いを叶えることが、先生に対する弔いになると思うから」
そこまで話してソフィアは視線を空へと向けた後、祈るように瞼を閉じた。しかし、ソフィアはやはり真面目だ。確かに彼女の言ったことは「やりたいこと」の範疇には含まれるのだろうが、それは彼女自身の願望ではなく、亡き師と社会とのためにその身と才能を捧げる覚悟があるのだから。
思い返せば、ソフィアは出会った時からこういう子だった。幼いころから世界のために戦うことを義務付けられたせいで、社会に奉仕するのが当たり前になっているのかもしれない。旅を続けていく中で我が出てきたように思う部分はあるのだが、自身の願望という点については希薄なのだろう。
もちろん、師の願いを継ぐという彼女の願いは貴い物だとも思うし、それについては掛け値なしに応援したい気持ちもある。ただ、もう少し年相応に我儘を言っても良いのに――もしそれに関して自分ができることがあるのなら、それはやってあげたいとも思う。
たとえば、学院の再編に対して手伝えることなどもあるかもしれない。自分の頭や知識では役に立たないかもしれないが、それでもソフィアを支えることくらいならできるだろう。とはいえ、まだ自分だって無事に戻ってこれると確約できる訳ではないので、あまり下手なことは言わない方が良いか。
しかし少なくとも、ソフィアのことは自分が守り、必ず惑星レムに帰ってこられるようにしなければならない。彼女の目標を聞く前からその想いはあったが、今は更にその決意が固いものとなった。
「アレイスターも喜んでくれると思うぜ……それで、もう一つは?」
「えぇっと、それはね……」
ソフィアは少し悩んだ風に視線を泳がせ――とはいえ、多分今のは考えた風を下だけのように思う――人差し指を唇の前に持っていってウインクをする。
「内緒だよ」
「えぇ? 気になるんだが……」
「決戦の前にあんまりこういう話をするとジンクス的に良くないんだって、昔そう言ってたのはアランさんだよ?」
「それもそうだが……でも、一個は言ってくれたじゃないか」
「学院の再建については、願いというより決意だからね。私が自分の在り方を決めて、ただその目標に向かって邁進していけばいいだけ。でも、もう一つは、私一人の話じゃないから。だから、今は大切に胸にしまっておくの」
ソフィアはそう言いながら、口元にあった手を胸へと移動させた。自然とその所作を目で追ったせいで、彼女が育ったことを認めざるを得ない部分を凝視してしまう形になる。
「……ねぇ、アランさん。私、大きくなったよ。もう子供じゃないんだから」
いかん、ジロジロ見ていたのがバレたか。そう思って視線を上げると、ソフィアはこちらへと潤んだ瞳でこちらを見つめ、身を乗り出してこちらにぐいと近づいてくる。今度は彼女の大きな目と美しい顔に視線が釘づけにされてしまう。
完全にソフィアにペースを握られてしまった、いや、思い返せばいつもこんな調子だった。ただ、以前は本当に妹のように思っていたし、事実彼女は幼かったので、あまり変な気も起きなかったのだが――恐らく昨日グロリアに色々と言われたことで、自分も変にソフィアのことを意識してしまっているのかもしれない。
しかし、ソフィアとは結構な歳の差もあることも事実だ。ここは一つ自分が冷静にならねば――そう思い、こちらは少し身を引くことにする。
「そんな風に言うのは、まだまだ子供の証拠さ」
自分に言い聞かせるようにそう言って、彼女の頭に手を乗せる。こうすることで、恐らくソフィアは「子ども扱いして」と頬を膨らませるだろう――と思ったのだが、少女はこちらになされるがままに髪を撫でられている。とはいえ、こちらを見上げる視線はやや不服そうなものになったので、やはり本心から言えばやや納得いっていないというところか。
そういった彼女の視線が冷静さを取り戻させてくれ、自分はしばらく彼女の柔らかい髪を撫でまわした。しかしふと、彼女が長くなった後ろ髪をまとめているリボンが視界に入ってくる。それは、以前に自分が彼女にプレゼントしたものであり、何度も激戦を共に駆け抜けてきたせいだろう、その繊維は大分くたびれてしまっていた。
「そのリボン、もうボロボロだな」
「……でも、アランさんからもらった大事なプレゼントだから」
そう言いながら、ソフィアは後ろ髪を掴んで正面へと持ってくると、くたびれたリボンがより近くに現れた。しかし彼女はそれをじっと見つめるだけで、ほどく気配は一切ない。とはいえ、折角の綺麗な髪にボロボロのそれは似合わない気がする。
「……今度また一緒に買いに行こうか?」
「……ホント!?」
こちらの提案が意外だったようで、ソフィアは驚きに目を見開き、一層こちらへ身を乗り出してきた。
「またアランさんが選んでくれるの?」
「あぁ。今のソフィアに似合いそうなやつを見繕うよ」
「うん! 約束だよ! 絶対だよ!!」
こちらの提案に満足したのか、ソフィアはやっと身を引いてくれ、しかし顔には大輪を咲かせて喜んでくれた。先ほどまで大人っぽくなってどぎまぎしてしまったが、今の彼女の笑顔は、自分の良く知るソフィア・オーウェルのものであり――それに嬉しさ半分、懐かしさ半分、ついでにぐいぐい来るのを止めてくれたことに対して安堵を覚えていると、ソフィアはようやっとボロボロのリボンを髪から外した。
「それじゃあ……これは宝物にして、大事に取っておくことにするね」
ソフィアはほどいたそれを大事そうに両手で包み、自身の胸へと押し当てた。そんなに大事にしてくれるとは恐縮に感じる一方で、贈り物のし甲斐があるとも言える。決戦を前に浮ついた約束をしてしまったとも言えるかもしれないが――逆にソフィアとの約束を果たすために、彼女を必ず守らなければならないとも言えるだろう。
柔らかい笑みを浮かべていたソフィアがふと視線をこちらからはずすと、彼女は「二人っきりの時間は終わりかな」と小さくつぶやき――彼女の視線の先から何かが飛来してくる気配を感じてそちらを見ると、機械の鳥が羽根をゆっくりと羽ばたかせてこちらへ向かってきていた。




