14-26:聖剣の勇者の虚構について 上
グロリアを描いた翌日、目が覚めると日は既に高くなっていた。別荘へと移動した時には、エルとシルバーバーグ、それにチェンは出かけていた。エルとシルバーバーグは麓へ食料の調達へ行き――エルは主に荷物持ち兼、親しかったエマなどの家来達のみに顔を合わせに出たようだ――チェンは昨日の約束通りにクラウディアを迎えに行ってくれたらしい。
さて、一夜明けた世情としては次の通りである。世界中で黄金症が解消されたこと、また七柱の創造神たちを月へと追いやることに成功したということが、各地の教会や軍の駐留地にある通信網を用いて世界中に公布された。
ひとまず、塔の制圧における功労者はアガタ・ペトラルカとソフィア・オーウェルを筆頭とし、その他は協力者という形で報告された。レムの復活やチェン・ジュンダーの名は伏せられた。レムの名を挙げてしまえばレム派の増長とルーナ派の失墜を招き、また古の神の名を挙げてしまえば――この世界において知名度は無いが、七柱の創造神を退けるだけの神格を持つ者の出現となれば――信仰の対象が入れ替わるだけになってしまうことを避けた形である。そのため、レムとしては今後も自身の復活は伏せておこうと考えているようだ。
ソフィアとアガタは世間的な認知もあるほか、実際にこの一年間で彼女たちの活躍が目撃されているため、説得力のある人物として名前を使わせてもらった。その他のメンバーに関しては、折りを見て公表すべき者を――たとえば世間的な評価を考えればエルなどは名前を挙げたほうが不信の緩和に貢献するだろう――決めるべきという方針で決まっているようだ。
レムには「アランさんの名前を挙げておきましょうか?」と聞かれたが、丁重にお断りしておいた。彼女曰く、一年前に光の巨人に突撃した自分の名を挙げれば人々の心を鼓舞できるとは言われたのだが、自分はこの一年は海で揺蕩っていただけで、最後の最後で良い所だけかっさらっただけ。此度の混乱に立ち向かった英傑としては相応しくないし、そもそもアラン・スミスは世を忍ぶ暗殺者であり、勇者だとか英傑だとかいうのは相応しくない――それこそ何なら一年前に死んだことにしておいてもらった方が何かと気も楽な位だ。
しかし、旧世界においても惑星レムにおいても、自分は一度死んだことになっているというのは中々に皮肉が効いているとも思う。ともかく、自分の辞退に対しては「アランさんならそう言うと思っていました」と割とすんなり要望は受け入れられた。
世間的な状況を一言で言い表せば、やはり混乱の一言に尽きるらしい。昨日懸念した通り、黄金症に罹っていた者たちは初めて光の巨人が現れた日のことを――アルファルド神の神託を――おぼろげに記憶しているだけであり、まだ七柱の創造神たちが自分たちを見限り、あまつさえ利用し、そこから一年もの時が過ぎていること自体を呑み込めていないとのことだった。
ただし、この一年間の爪痕は現実に生々しく残されている。魔獣や天使たちによる襲撃の跡はそこかしこに残り、都市や城壁は破壊され、農地は荒れ果ててしまっている。黄金症に罹らなかった者たちの中には多くの死傷者がおり――何より黄金症に罹らず残っていた者たちがこの一年のことを克明に記憶している。
それ故に、眠っていた者たちも現実を受け入れざるを得ない。神々が世界を見限ったことを納得できなくとも、少なくとも自身が目覚めた時に辺りに残された痕跡が昨日の今日で刻まれたことでなく、意識を失っている間に世界は一変してしまったということは認めざるを得ないだろう。
そうなると、やはり主な懸念は黄金症を発症していなかった者たちと発症してしまった者たちとの軋轢になる。すでにその兆しは見え始めているらしい。とくにこの一年の間に戦い続けた者たちとしては、海から帰ってきた隣人たちに対する優越感や侮蔑の感情などが出てきており、すでに非常に散発的であるものの衝突もあったようだ。この軋轢の解消が為政者や指導者たちにとっては一つの大きな課題になるのは言うまでもない。
以上の事柄を朝食を摂っている間に共有され、今日はまずナナコ、T3、ソフィアと共にテオドールの墓参りに行くことになった。T3は昨日も行ったのだろうが――主にエルに殴られるためにだが――ナナコがどうしても行きたいということで、押されて行くことになったらしい。ナナコが自分とソフィアにも着いて来てくれと言うので、それを了承した形だ。
テオドールの墓に着くと、ナナコはしっかりと墓を洗い始め、その後は花を添えて墓前の前でしゃがみ込んで掌を合わせた。その作法は完全に自分たちの祖国のアレであり、やはり慣習は魂に刻まれているのかと思わされる。しかし彼女の様子は真剣そのものであり、恐らくT3がしてしまった罪の分まで彼女が精一杯祈っていることは容易に想像できた。
不謹慎ながらに少し笑いそうになってしまったのは、ナナコに施されてT3も同じように墓前にしゃがみ込み、丁寧にその手を合わせていたことか。テオドールだって、自分を襲撃してきた暗殺者が、まさか自分のために手を合わせてくるなど困惑の極みだろう。ただ、この男の良い所はこの生真面目な所であり、ナナコと並んで真剣に祈っている様子を見ると、むしろ自分の方が申し訳ないような気持ちになってきた。
この申し訳なさの正体は、主には先ほど面白がってしまった部分もあるのだが、一方で自分が命を奪ってきた者たちに対して祈りを捧げていないということに気付かされたからだ。もちろん、殺した相手の墓前に祈りを捧げたからと言って、自分のしでかしてしまったことが清算されるわけではない――ややもすれば、暗殺のターゲットに対して祈りを捧げるなど、ただの自己満足とも言えるだろう。
だが、それでも真剣に祈る男の背中には感じ入る物があった。T3に感化され、自分も改めて男の隣にしゃがみ込み、掌を力強く叩いてから祈った。祈ったと言っても、どちらかと言えば無心であり、しかしテオドールの背後にいる、虎によって奪われた魂たちに対して、ただ無心に――許しを乞う訳でもなく、彼らの魂の安らぎを祈る訳でもなく、ただ心を無にして、自分のしてきたことと彼らの魂に向き合うつもりで手を合わせた。そして恐らく、T3も同じようにしているだろうと思った。
死人に口なし。それに、この世界の構造的に、ここに既にテオドールの魂はなく、恐らく次の輪廻に向かっていることだろう。仮に自分やべスターのように未練があって現世に魂が残ってたとしても、恐らくテオドールの未練は暗殺者の存在などより愛娘の行く末だろう。その件に関しても、エルは始祖にすら認められるほどの成長を見せたのであり、テオドールもきっと鼻が高いに違いない。
そうなれば、死者への祈りというものは、どちらかと言えば自分の内面に向かっているもの――生きている者が墓前に立つことで心の整理をしているだけなのかもしれない。ともあれ、ナナコが呼んでくれたおかげで一つ心の整理ができたことを思えば、自分もここに足を運んでよかったと思う。
気が付けば、ソフィアも同様に自分の隣に並んで手を合わせており、都合四名の男女が横並びにしゃがみ込んで手を合わせているという、傍から見たらやや異様そうな光景が出来あがった。




