14-18:ソフィアの戸惑い 上
自分は奇妙な感覚に戸惑っていた。朝目が覚めた時から――恐らくアランが海の底から蘇ってから――いや、もっと正確には、恐らく彼女の母であるグロリア・アシモフがその魂を燃やした時から、その違和感は生じ始めていたのだと思う。
何が起こっているのかと言えば、この身に宿る同居人であるグロリア・アシモフの思考が読めなくなってきているのだ。もちろん全く分からないという訳ではないのだが、以前は思考が駄々洩れであったのに対し、今は時々靄がかかったように彼女の思考が読み取れない時がある。戦闘時など緊急の時にはクリアなのだが、それ以外の時には彼女の思考が聞こえにくくなることがあるのだった。
それは、本来なら望ましい変化といえるのかもしれない。思考が駄々洩れというのは、文字通りにプライバシーが侵害されているのも同義だから。しかし、自分にはこの状況が何か悪いことの兆候のように感じられた。
自分と同様の症例として、たとえばテレサ姫が最も近いはず。とはいえ今彼女は身近にいないし、本人から話を聞くことも難しい。それにテレサが居たところで、なんとなく――グロリアがいる前では聞きにくい部分もある。
一応、テレサとグロリアのケースをもう一度整理してみると、彼女たちの場合は精神が徐々に融合していっていたはずであり、段々と彼我の差が薄くなっていったはず。今、自分が体験しているのはむしろ逆という印象である。自分とグロリアとが明確に分けられていっているような、そんな溝を感じつつあるのだ。
彼女が少し眠っている間に――肉体的には寝る必要のない彼女だが、たまに精神を休ませるのに意識を休止させている時間がある――こうやって状況を整理しているわけだが、ついでに左腕に撒かれている包帯を一時的にほどいてみる。
主が眠っているその腕は、今は完全に自分の物として自由に動かすことができる。その一方で、この腕が明確に別人のものであるという証拠のように、いつまでも消えぬ縫合の痕が肘の上あたりに残っている。他者のものを無理やり神経を繋げたこの腕だが、自分の身体の他の部分が成長するのに合わせていつの間にかサイズもぴったり合うようになってきている。施術をしたチェンは、アミノ酸で作られた繊維で縫合したので、そのうち消えるだろうと言っていたのだが、結局縫った痕は一年経っても消えないままだ。
わざわざ包帯をほどいてみたのは、いつか消えると思っていた縫合の痕が、むしろより広がっているのではないかと懸念したからだ。それ自体は杞憂であったが、どうにも胸騒ぎが治まらない。
自分が何故彼女の思考が読み取れないことに焦りを感じているのかと言えば、それには二つの理由がある。一つは、単純に彼女の存在が自分にとっては大きいモノであり、彼女がどこか遠くに行ってしまいそうな雰囲気が辛いというもの。意地の悪い部分も確かにあるが、それ以上の優しさと温かさで自分を支えてくれた彼女のことを、自分はかけがえのないものと思っている。
もう一つの理由は――これこそがある意味では自分の中の最大の不和であるのだが――自分たちが同じ人を愛し、そしてその人が戻ってきたということ。アラン・スミスは一人しかおらず、自分たちは二人いて、そしてその身は一つであるということ――この複雑な事態にどう折り合いをつけるべきか、自分は大いに葛藤していた。
もちろん、まだ戦いに決着が着いたわけでもないし、浮ついた気持でいるのも不謹慎かもしれない。それに、強力なライバルは他にもいる。だが、自分にとってはグロリア・アシモフこそが最大の身内にして、最大のライバルでもある。
外に焦がれる籠の鳥に空を与えてくれた人。人の優しさを知らなかった彼女に温かさをくれた人――グロリアとアランの想い出は自分にも余すところなく共有されており、それはある意味ではまた別の出会い方をしたグロリアに対する羨望の気持ちと、また同時に彼女のアランを想う気持ちの強さにたじろいでしまいそうになるほど――その事実が自分にとってはどうしても重く圧し掛かり、どうやって折り合いをつけるべきか悩ませてくるのだった。
同時に、自分にとってグロリア・アシモフは、この一年間で分け難い大切な自分の一部となっているのもまた事実。できることなら、彼女にも幸せになって欲しい。そんな気持ちも間違いなく存在する。




