13-74:夏への扉 上
「俺の勝ちだな、リーゼロッテ」
「……変身している時に攻撃するなとか言ってきたくせに、こっちには容赦ないのね」
「あのな、あからさまに危険そうな技をみすみすと見逃せるかっての……ただ、あの反撃は全然予測できなかった。驚かされたよ」
そう言いながら、アランは肘の先が無くなった左腕をぶらぶらとさせながらこちらへと見せてくる。しかし凄まじい再生能力があるのか、その切り落とされた先端はボコボコと煙を立てており――勢いよく左手が生えるのに合わせて、男の体表を覆っていた黒い皮膚が剥がれ落ちた。
「……その反撃は私じゃなく、エリザベートよ」
「なるほど……それじゃ、お前は完敗だな」
変身が解けたアランは、ものすごく意地の悪い笑顔をこちらへ向けてきた。先ほど見えた顔の入れ墨は消えており――恐らく気分が高揚している時にだけ出てくるのだろう――しばらくこちらを見つめてくるが、リーゼロッテは納得がいなかなかったのか、ぷい、と顔を背けてしまう。
もしかしたら、自分はとんでもない水を指してしまったのではないか。我武者羅にアランの接近に反応したものの、もしもリーゼロッテの奥義が完全に決まっていたらどうなっていだろうか? 彼女には勝てるだけの算段があったのに、それを邪魔してしまったのなら――。
『……いいえ、アナタが反応して見せなかったら、それこそ一矢報いることすらなかった……最強に爪痕を残せたのは、間違いなくアナタが彼の強さを信じたから。胸を張りなさい、エリザベート』
リーゼロッテは男からそっぽを向きながら、どこかすがすがしい様子でそう自分に語り掛けてきた。とっておきの一撃を破られた故に諦めもついたのか、それとも別の何かがあったのか――その視線の先には、海と月の塔と陸とを繋いでいた橋の残骸が見える。
「ダンマリかよ……まぁ、いいや。俺はアンタに伝えなきゃならないことがあったんだ」
後ろからそう声が聞こえるのと同時に、アランはナイフを引っ込めたようだ。それに合わせてリーゼロッテは大の字で寝ころんだまま、やっと声のする方へと首を戻した。
「アンタはさ、俺が望まない暗殺家業をやっているのが納得いかなかったんだろう? 俺が戦いたくもないのに戦っているのが不憫だったから……俺が誰かの言いなりになって、その手を血で染めているのを不憫に思って、それで俺を止めようとしてくれていたんだと思う。
だけどさ、今の俺は違うんだ。俺は俺の意志で、この星を守るために戦いたいと思ってる。俺の意思で、この星に生きる人々の明日を繋ぐため、このディストピアを壊そうと思っている。それに……」
アランはそこで言葉を切り、座ったまま身体を回して塔の方へと向き直った。その先には、武神リーゼロッテ・ハインラインとアラン・スミスの決着を見届けた者たちが――この激戦を乗り越えてきた者たちが、青年に向かって手を振っていた。
「今の俺には、一緒に戦ってくれる仲間がいる。俺の隣に立って、背中を守ってくれる仲間がいるんだ。だから、アンタはもう俺を憐れむ必要なんてない……不憫に思う必要なんてない。俺を止める必要なんか無いんだよ」
リーゼロッテは首を回して天を仰ぎ、腕で視界を覆った。
「……アナタは勘違いしているわ。私は、アナタからの借りをキチンと返そうと思っただけ……戦場で敵を見逃すとどうなるのか、その身に叩き込んでやろうと思っただけよ」
「それだけで一万年も俺を待ってたのか? ご苦労なこって」
「別に、アナタを待っていた訳じゃないわ。ただ、成り行きで生き残っていたところに、たまたまアナタがもう一度現れただけ……自意識過剰なんじゃないの?」
「くそ、相変わらず可愛げが無いな……でも、アンタも見つけたんじゃないか。戦い以外の何かをさ」
「……そうね」
短い返答の後、腕に覆われて暗くなっていた視界が徐々に色づき始め――気が付けばいつもの二人の空間、彼女の何度も語り合った真っ白な世界へと移動していた。
「……私にとってタイガーマスクは、勝っても負けても良い存在だった。もしも勝てれば、とんだ甘ちゃんを戦場から追放することができるし……もし彼に殺されるのであれば、それは最高の戦場で死ねることと同義だったから」
声のしたほうへと振り返ると、リーゼロッテ・ハインラインが立っていた。その表情はいつものシニカルな様子ではなく、穏かな様子である。
「戦場で育った私にとっては、戦い以外の生き方が分からなかった。引き金を引いて命と血とを奪い、奪われることだけが私のすべてであり……壊すこと、殺すこと、それ以外の生き方を知らなかった」
彼女は一度言葉を切り、こちらから視線を逸らして呟くように語りだす。
「少しだけ考えたことがあるわ。もしゲリラなんかに捕まらずに生きられたら、もっと違う生き方ができただろうって……誰かと人並みに恋をして、人並みに家庭を持つだとか、そんな生き方もあったんだろうってね」
「……アナタは、それを望んでいたの?」
「いいえ……自分が生きるために人を殺しておいて、人並みの幸せを享受するだなんて虫が良いことだけは間違いない。それに、もう女らしさだなんて分からなくなっていたから……実際に人並みになるだなんてあまり想像できなかったのは確かね。
逆に、人の命を奪って動揺するような奴が、無理して戦う必要なんかないとも思った。いつも戦場で一人で抗い続ける甘ちゃんの坊やが、汚い大人たちのパワーゲームに巻き込まれて、傷つき続けるのが……もしかしたら自分と重ねて見ていたのかもしれない。
それで……」
それで、彼女はタイガーマスクを止めようとした。アランが彼女と同じように、戦いの中でしか生きられない者にならないようにするために――自分の意志を持たず、何者かの意志で暴力をふりまく存在にならないようにするために、彼女は何度もタイガーマスクの前に現れ、そして止めようとしていたのかもしれない。
ただ、それは自分の想像でしかない。肝心のリーゼロッテは自嘲気味な笑みを浮かべて首を振り、腰に下げている剣を鞘ごと外して両手に持った。
「でも、それも終わり。彼はもう、戦場で震えていた坊やじゃない。それなら、私の役目ももう終わり……彼への憐憫がいつの間にか執着に変わって、こんな想いも忘れてしまっていたけれどね」
そう言いながらこちらへと歩いてきて、女は赤い宝石の短剣をこちらへと差し出す。
「私は彼と戦いの中でしか語り合えなかったけれど……彼と味方として出会ったアナタは違う。そして、私は何かを傷つけることしかできなかったけれど……アナタならきっと、ハインラインの技を何かを守るために使うことができると思うの。
最後の技だけは継承できなかったけれど、その一端は見せた……後はアナタが完成させなさい、エリザベート」
微笑みながら宝剣を渡そうとする彼女に対し、自分は簡単には受け取れなかった。この一年で共に居て分かったのは、彼女は決して邪悪な存在ではないということ。本心は中々見せてくれないし、全く素直でないのだが、それでも蓋を開けてみれば、彼女はふさぎ込んでいる自分の傍らに存在し、そして厳しく自分を鍛えてくれていたのだから。
もちろん、元々リーゼロッテはこちらの身体を支配していたのだし、彼女が消えれば自分の自由が戻ってくる、それは歓迎すべきことなはずである。何より、生半可な憐憫など彼女が望まないことは分かっている。それでも――このまま彼女が消えてしまうのは、なんだかあまりにも寂しい気がするのだ。




