13-70:潮風の吹く海峡の上で 中
『ねぇ、エリザベート。無茶を承知でお願いするのだけれど……私に力を貸して欲しいの』
それはどういう意味なのか。クラウに敵に塩を送るとはと言った彼女が、他人の力を借りようというなど違和感がある。そもそも、自分が彼女に対して貸せる力など何一つない。結局彼女から本気の一本を取ることは叶わなかったのだから。
正確には、先ほどクラウを地下に行かせる時、深層心理内で一瞬だけ彼女を抑え込んだが――星右京が指摘したように、アレはリーゼロッテは手を抜いていたように思う。もちろん、自分の抵抗があってこそ道が拓けたとも思いたいが、彼女が本気ならば簡単にねじ伏せられていただろう。
『そんな風に自分を無駄に卑下するべきじゃないわ。自己肯定感が過剰なのも考えものだけれど、卑屈なよりはずっといいのだから。
ともかく、私が言いたいのはこういうこと……アナタの身体はオリジナルの私と近いから、適合率はかなり高い。その一方で、どうしてもコンマ以下の誤差を埋められない。タイガーマスクとの決着をつけるのに、そのコンマ数パーセントの誤差を言い訳にしたくない……長く待った、折角のデートだからね』
『要するに、決闘の邪魔をするな……というだけでなく、身体のコントロールを完全に譲渡しろって言うこと?』
『いいえ、違うわ。私と貴女、二人で挑むのよ。伝説の暗殺者にして無敗の虎、アラン・スミスにね』
原理的に言えば、ソフィアとグロリアの形が近いだろうか。異なる魂が一つの器にあることで、互いに死角を埋め合おうと。だが、しかし――。
『もう一度言うけれど、過剰に自分を卑下する物じゃない。アナタはこの数日で、私の戦いを見て、そのかなりの部分を体得した。才能のある戦士じゃなければできないし、そんなアナタだからこそ、私は背中を任せることができる。
それに、アナタにとっても悪い話じゃないはずよ。アナタには、原初の虎との決着を待ち望んだハインラインの血が流れている。今までは彼との戦いに罪悪感があったでしょうけれど、今度の戦いは彼も戦いを受け入れているし、彼に刃を向けたのは妄執の戦士であって自分でないと言えばいいだけ。
何より……最強に立ち向かおうって言うのよ。一人の戦士として、チャレンジしてみたと思わない?』
リーゼロッテは穏かに、ある意味では子供を諭すようにまくしたててくる。それだけ、彼との決着を大事にしたいということなのだろう。そもそも、彼女がこの数日で自分を鍛えていたのは、この時のことを予測してのことだったのかもしれない。
そうなれば、自分は結局いいようにリーゼロッテ・ハインラインに利用され続けていることになるのだが――なんとなくだが、そんな感じはしなかった。リーゼロッテが自分と手を組もうと思ったのは、恐らくクラウの一言による思い付きだ。最高のコンディションで挑むためにできることを考えた結果として、ハインラインとして原初の虎に挑む策を思いついたも違いない。
しかし、こちらに協力を申し出るのはやはり意外だ。彼女は自分一人の力でアラン・スミスとの戦いに決着をつけたいと考えているのではないかと思っていたし、事実邪魔されるたびに怒っていたことを思えば、決闘に第三者が介することは認めないとも思っていたのだが。
逆を言えば、彼女は虎との決着に自分が介入することは認めてくれたということだ。彼女なりに自分を信用してくれているという事実こそ意外であるものの、悪い気はしない。
思い返せば、リーゼロッテ・ハインラインには借りもある――仮に彼女が自分に宿らなかったとして、以前のままの自分が戦場に立っていたなら、熾烈になる戦いの中で自分など簡単に死んでいただろう。敵中に居ながら戦場をかき乱し、最終的にアランを蘇らせられたのは彼女のおかげでもある。
唯一、彼を手にかけてしまう可能性こそ気がかりだが、それこそ杞憂というものだろう。何故ならば――。
『……分かった、力を貸すわ。いいえ、私も全力で彼と戦う……一応断っておくけれど、私はアナタの決着にも、最強にも興味は無い。けれど……』
『百を尽くしたとしても、彼の勝利を疑わない。それでいいわ……ありがとう、エリザベート』
もちろん、負けに行くつもりなわけではない。それでも、自分は彼の勝利を確信している。アラン・スミスならどんな障害や困難も切り抜けられると信じている。だから、この不器用な遠い祖先に対して力を貸しても良い――そう思ったのだ。
彼女に力を貸そうと心を決めた瞬間、妙な感覚が生じた。相変わらず身体を動かしているのはリーゼロッテだが――今は連絡橋の上を歩いている――その気になればいつでもこちらの意志で身体を動かせる感じがする。
その証拠に、身体の感覚器官がきちんと自分に対しても機能している。今までは視覚と聴覚は問題なかったが、嗅覚や触覚に関してはかなり鈍くなっていた。それが、今は海峡に吹き付ける風の冷たさを一身に感じられる――実際に右手を上げようとしてみると、その通りに身体が動かせた。
別々の魂が一つの体に宿り、それぞれが身体を動かそうとするのは無理がありそうだとも思うのだが――この数日の間で何十、いや何百と打ち合ってきたリーゼロッテ・ハインラインの動きの癖は、自分の身体にも叩き込まれている。彼女が永遠のライバルと目していた原初の虎よりも、自分の方が彼女の動きを理解していると言えるだろう。
つまるところ、結局は彼女と自分がまったく同じように動くということであり、それでは先ほど考えたように互いの穴を埋め合うという形にはならない訳だが――そんな風に思っていると、ちょうど奥から互いの穴を埋め合っているコンビがこちらへ向かって歩いてきた。ソフィアは小さく会釈しただけで通り過ぎようとしていたのだが、グロリアの方が少女に「ちょっと待って」をかけた。




