13-17:空席の会議室にて 下
「人のプライベートを覗き込むなんて、良い趣味しているわね。凄腕さん」
「それは失礼……ローザの調子は?」
「既に次の器に転写を完成させているわ。以前の器がもう少し損壊していたら危なかったでしょうけど、ギリギリ移植が間に合ったわね。今は最終調整中よ」
「そうか……それなら、それが終わり次第迎えに行くよ。その時まで、そこで少しゆっくりしていてくれ」
「……エリザベートの人格を消せとは言わないの?」
その一言にぎくりとしてしまう。自分は変わらずリーゼロッテから身体のコントロールを奪い返せていないし、今のところは脅威に思われていないから残されているだけだ。もっと言えば、暇つぶしの相手と思われている程度の存在にしか過ぎない。
とはいえ、今後の作戦において、不確定因子は排除しておきたい星右京ならば考えるだろう――リーゼロッテもそう思って質問をしたのだろうが、少年はシニカルな笑みを浮かべながらゆっくりと首を横に振った。
「そう言おうかと思ったが、止めておくことにしたんだ。理由は二つ……一つ、消していないということは、君にとってエリザベートの人格は何かしらの意義があるのだということ。もう一つは、君は誰かからお願いされると反発したくなるタイプだからだ」
「確かに消せと言われたら、意地でも消したくなくなるわね」
「そもそも、僕は君の上司なわけじゃない。対等な協力者なんだ。命令なんかできないさ」
「他人のことを駒程度にしか思ってないくせに……ま、いいわ。今はオフなの。他に要件がないなら、とっとと失せて頂戴」
「もちろん、色々と言いたいことはあるけれど……言うだけ墓穴を掘りそうだ。それじゃ、よろしく頼むよ」
それだけ言い残し、星右京のホログラムはその場から消え去った。リーゼロッテは「なんだか興覚めね」と呟いて後、ややあってから独り言のように話を始める。
「デイビット・クラークが死んだ日、アラン・スミスが死んだ日。私はその現場に居合わせていて……雨中でただ一人立っていた右京を拘束した。彼の供述によれば、前作戦の段階からACOの逆スパイとして暗躍しており、タイガーマスクを招き入れたのはクラークにほかならず、そのままクラークは暗殺されてしまったのだと。
実際、クラークの通信履歴にはそれを証明できるものはあったし、右京の証言は誤っていないと判断された。また、最大の脅威であるタイガーマスクを仕留め、虎と同列の脅威であったハッカーの協力が得られればということで、右京は招き入れられたのだけれど……私は納得がいっていなかった」
『それは、怪しかったから?』
「それもある。でも、それ以上に……私が止められなかったタイガーマスクを、なんの変哲もない少年が仕留めていたから、かしらね。もちろん、右京とタイガーマスクは元々仲間同士だった訳だから、その虚をついて倒したといえばそれまでかもしれないけれど。
それに、本当はあの雨の降る屋上で、私は右京を殺してやろうと思った……右京が二重スパイになっていることを私は知らなかったし、そうなれば不審者として始末しても問題ないかと思ったから」
『でも、それはしなかった……その理由は?』
「……雨中で震えている彼が、誰かさんに被ったから」
閉じられた瞼の裏に、一万年前の情景が蘇ってくる――雨中で臥す男の側で、うろたえる様に「先輩」と繰り返している少年。状況証拠的には彼が虎を殺したとしか言えなさそうではあるが、こんな弱い姿を見たら右京が人を殺したとは思えないかもしれない。とくにアラン・スミスの強さを目の当たりにしたリーゼロッテからしたら、この情景は異様に映ったことだろう。
同時に、これだけ見たら、まさかこんな震えている少年が、全宇宙を巻き込む壮絶な計画を裏で操っていたなどというのもにわかには信じがたいようにも思う。その在り様は、七柱の創造神などという言葉は似ても似つかない、どこにでもいるような普通の少年という感じであるのだから。
だからこそ、リーゼロッテ・ハインラインは星右京のことを拘束するに留めた。雨の中で震えていた少年の姿は、初めて暗殺のミッションをこなした時に、人を殺したという事実に怯えていたアラン・スミスにそっくりだったから。
また、だからこそ納得いかなかったのだろう。リーゼロッテが言っていたように、デイビット・クラークという傑物を倒すほどの実力者である虎を仕留めたのは、一見するとどこにでもいるような少年だったのだから。
もちろん、この情景は遥か過去のものであり、今の星右京を表している訳ではない――そう思った瞬間、現在の星右京が提案してきたことが心に蘇り、急な不安に駆られてしまった。
『私のこと、消去しないの?』
「消してほしいの? もちろん、アナタが望むならそうしてあげるとは言ったけれど」
『……アナタから一本取るまで、消える気はないわ』
「ふふ、そう……」
瞳の裏の世界が崩れ去っていき、視界が急転した後、気が付けば辺りは真っ白な空間へと一転していた。そしていつものように――最近は日がな一日このようにしている――足元にある二対の剣を握ると、奥に立っている女性が振り返り、自分と同じように二本の剣を握り構えた。
「それじゃあ、一本取って見せなさいな」
「いつまでも調子に乗ってるんじゃないわよ!」
気迫を乗せた長剣の一撃は、いとも簡単に防がれてしまう。それでも、最初のころに比べれば幾分か相手をできる様になってきてはいる。彼女の動きを、技を見て、少しでもそれに近づき、上回るようにと――もしかしたら、徐々に武神の技が自分の魂に刻まれてきているのかもしれない。
その事実が、幾分か自分の心を慰めてくれる。以前は武神の血に振り回され、仲間を傷つけてしまうこの血を忌々しいものだと思っていた。しかし、それを自分がコントロールできるとなってくれば――この力を御せるだけの力が自分にあるとなれば話は違ってくる。
彼女が何を考えてこんなことをしているのか。本当にただの暇つぶしなのか、はたまた何か別の意図があるのか。その真意こそ分からないが、せっかくチャンスがあるのなら、少しでも強くなって――然るべき時に逆転を狙う。その時が来るまで、自分も彼女を利用し、少しでも強くなって見せる。
そんなこちらの魂胆など見透かしているだろうが、リーゼロッテ・ハインラインはただ、刃を交わす中でこちらを見ながら不敵な笑みを浮かべているのだった。




