12-91:朽ちゆく世界で咲いた花 下
「私は確かに、未だにルーナ神の教えを信じています……ですが、それは今のアナタへの信仰でも、尊敬でもありません。私が信じているのは、女神ルーナが古の昔に創り出した慈愛の教理です。自己愛に溺れて慈しみを忘れ、あまつさえ他者を利用する卑怯なアナタを敬愛しているわけではありません」
「ぬ、ぐぅ、うぅ……!」
やはり、予想通りだった。クラウディアはルーナ教の教えそのものに共感を覚えているのであり、ローザ・オールディスに対する個人崇拝はしていないのだ。教会内では敵対勢力であった自分も、ルーナ派の教義そのものが悪いと思っていた訳でもないし――そもそも、レムだって元のローザのことは尊敬していた程であり、その教理が間違えているわけではないのだ。
それを鑑みれば、クラウディアの感情だって十分に理解できる。一言で言えば、ローザ・オールディスが三千年前に創り出した思想そのものは共感できるが、今のアナタは尊敬できない、そう突き付けたのだ。
ローザとしては堪えるだろう。目の前の少女は、昔の自分が創り出した思想を確かに肯定しているのに、今の自分の在り方は否定されているのだから。思考が読めるのなら尚更、クラウディアは嘘偽りなくそう思っていることをむざむざとつき返されているともなれば、単純に言葉で否定される以上の拒絶感を味わっているはずだ。
その証拠に、かつてセレナと呼ばれた者の顔には、怒りと悲しみとが同居したような感情が――それはクラウディア自身が女神ルーナに味わされたものと同じ感情だ――浮かんでいる。
ともかく、これならもはや心配することも無いだろう。クラウディアは七柱の創造神に操られることも無いし、心身ともにローザ・オールディスを完全に上回っている――そんな風に思って安堵の息を漏らすのと同時に、肝心のクラウディアは自分が予想もしていなかった行動に出た。
「……もしもアナタが初心を取り戻し、罪を認めて贖罪に生きるというのなら……今まで踏みにじってきた者たちに誠意を見せることを約束してくれれば……私も拳をおさめます」
「クラウディア!? ルーナに……ローザ・オールディスに、そんな殊勝な心が残っていると思うのですか!?」
クラウディアは構えを解き――もちろん、まだ警戒は解いていないようだが――あろうことか相手に情けを掛け始めた。確かにかつてのローザが悪人でなかったことは事実なのだろうが、もはや彼女の性根が矯正できるものだとも思えない。
それはきっと、何度も裏切られてきた彼女自身が一番痛感しているところだと思うのだが――クラウディアはこちらを向いて小さく首を横に振った。
「誰もが心を強く持ち続けられる訳ではありません。元来あったはずの高潔な精神だって、時間の中で摩耗していく……初心を持ち続けることは難しいもの。そうなれば、あの人だってモノリスがもたらした超科学の犠牲者と言えます。
人の身に余る長さを生きてしまえば、誰もがあの人みたいになりえると思うんです。きっと私だって、一万年の時を生きてきたら歪んでしまうでしょう。
そう思えば、彼女の今の姿は、肉の器にある者であれば誰もが堕ちうる末路とも言える……それを一方的な悪と断じて救いが無いのは、あまりにも悲しいですから」
クラウディアが言葉を切ったタイミングで、離れたところで巨大な光の柱が立ち昇った。アレは、ナナコが新しい剣で放った一撃か――その柱を中心に、空を覆っていた雲が一気に晴れ上がり、クラウディア・アリギエーリは暁を浴びて神々しく輝いている。
対する失墜した女神は、かつての信徒が見せる慈愛に対して肩を震わせている。しかし、アレが感謝から身を震わせているわけでないことは明白だった。
「アンドロイドの人形風情が、この妾に情けを掛けようというのか……!? 舐めるなよ、小娘がぁぁぁああああ!!!」
「やはり、言っても無駄ですよね……それなら、私も容赦しません」
クラウディアは相手がどう出るか予想していたかのようにすぐさま構え直し、鋭い眼光をローザへと向けた。多分、彼女はこうなることなど百も承知だったのだ――堕落した女神ルーナは、情けなど掛けられたら逆上し、必ず反撃に転じてくるなど分かり切っていたのだろう。
むしろこれは、クラウディアなりの復讐だったと言えるのかもしれない。人として更生できる最後のチャンスをあえて与えて、それを踏みにじらせる――そうなれば、もはや遠慮などする必要などない訳だ。彼女がわざわざローザの攻撃に付き合って一つ一つ丁寧に心を折っていったのは、偏にこの時を待っていたのかもしれない。
その証拠に、クラウディアから発せられた容赦ないほどの殺気は、味方である自分ですらすくみあがってしまうかと思うほど強烈なものである。それを直に浴びたローザ・オールディスも命の危機を悟ったのか、急停止して両手で七枚の結界を――それがもうクラウディアに通じないということを知っているはずなのに――展開した。
「全力で防ぎなさい、ローザ・オールディス……」
「……ひっ!?」
「これが私の集大成……いきます!」
クラウディアは大きく息を吸い込んで、偽りの女神に向かって一気に前進した。桜色の結界をまとった右手から繰り出された鋭い手刀が偽りの女神を守る結界の一枚を砕き、今度は入れ替わるように突きだされた左の拳がまた一枚の結界を砕いた。
しかし、クラウディアの動きには見覚えがある。少女の繰り出した蹴りがまた一枚の結界を破り、肘がまた一枚と砕き――徐々に防護壁が剥がされていくローザの側は、ヘイムダルでホークウィンドと対峙していた時と同じように恐怖に顔を引きつらせている。
そして最後の一枚を回し蹴りで勢いよく破壊すると、ルーナは突きだしていた両腕を弾かれて無防備になった。対するクラウディアは八体に分身し――多分、アレもホークウィンド仕込みの忍術なのだろうが――ともかく相手を取り囲み、がら空きになっている相手に向かって一斉に掌打を繰り出した。それも、各々が結界を突き出してだ。
「ひっ……まっ……」
「これで極める!」
叫びながら分身たちがすれ違うと、クラウディアが突き出していた結界が互いに衝突し、砕けて花弁のよう舞い散り――同時に、ルーナの体はきりもみをしながら上空へと撃ちだされた。
細かい原理などは分からないが――そもそも理解不能だろうが――恐らくはあれらの分身は互いに質量を持っており、撃ちだした結界も本物。互いに結界を打ち合って、超強力な反作用の力場を発生させ、その中央にいるルーナへとぶつける――多分、そんな感じに違いない。
その威力は絶大のようで、自分が全く傷つけられなかったルーナの体はボロ雑巾のようになっている。あれだけの威力に押しつぶされて一応肉塊と化していないとは、ルーナも相当頑丈なのだろうが――ともかく分身もいつの間にか消えており、落下してきた相手を見ることもしないで、我が友は手を胸元に当てながら天を仰ぎ見ていた。
「見ていてくれたかい、ホークウィンド。これが、クラウディア・アリギエーリの見つけた答え……神薙流最終奥義、終の型……桜花絶影陣だ」
亡き師を偲び、悩み続けた彼女が紡ぎ出した答え。長い雌伏の時を経て、この朽ちゆく世界に大輪の花が咲いた――結界が花弁が舞い散るように辺りに降り注ぎ、その中心で誇りに満ちた表情で頷く彼女を見て、そんな言葉が胸をよぎったのだった。




