12-79:タイタンの妖女 下
「待って、ジブリール……待って」
横から割って入ってきた声に、チェンとジブリールは動きを止めた。とはいえ、両者とも警戒体制のままではあるが――二人の間に立つイスラーフィールは左腕を損傷したようで、右腕で露出してスパークを発している部分を抑えている。
対するジブリールの方にはすすや土埃はついているものの、ほとんど損傷はない。最強の矛と最強の盾は矛が勝利したとも言えるのか、はたまたイスラーフィールの方に手心があったのか――いや、熾天使が互いに本気を出せば、こんなものでは済まなかったのかもしれないことを想定すると、互いにまだ全力を出していなかったのかもしれない。
ともかく、イスラーフィールは繰り返し声を掛けるが、ジブリールはただ黙したまま銃口をチェンに向け続ける。僚機の説得が不可能と悟ったのか、水色髪の熾天使はどことなく嘆願するような視線を男の方へとむけた。
「お願いです、チェン・ジュンダー。これ以上、あの子を傷つけないで……」
「いいえ、それは出来ません。貴女と彼女の関係性は承知ですが、この好機を逃すほど私は甘くはない。ローザ・オールディスにトドメを刺すのに邪魔をするというのなら、力づくでもどいてもらいますよ」
そもそも熾天使に対して私の全力が通じるかも分かりませんがね、チェンは眼をわずかに開き、鋭い視線を向けながらそう続けた。確かにチェンはルーナを圧倒する程の力を見せたが、それが最強格の第五世代型に通じるとは限らない――チェンが分からないと言ったその真意としては、本来彼は参謀なのであり、高い戦闘能力を有すると言っても、戦闘特化した個体に敵わないという客観的な自己分析の結果なのだろう。
ただ、それはあくまでも自己分析の結果であって、チェンからは全く引く気配を感じられない。それこそ、ルーナを倒すためならばジブリールごと倒すのも厭わないし、また同時に相手してもやれるというだけの確信も持っているように見える。
それでもすぐさま攻撃に移らないのは、彼なりにイスラーフィールのことを慮ってのことか。はたまた、ジブリールとルーナの二体を同時に相手にするのが厳しいという判断から、どうするか策を巡らせているためか。
いや、そもそもチェンにすべてを任せることが間違っている。自分だって戦える力がある――確かにこの星の趨勢を決める超越者達に自分の力は届かないのかもしれないが、それでも敵を分断して時間を稼ぐくらいのことはできるはず。
そう思い、砕かれずに残っている方のトンファーを握りしめ、まだぐったりしているルーナの方へと――恐らく回復魔法を掛けており、すぐに復活するだろうが――向けて駆けだした。
「ティア!?」
「アガタ、ボクらがアイツを倒すんだ!」
ルーナは岩壁を背負っているせいで背後を取ることは出来ない。そうなれば、せめて側面から周るべきだ。アガタが自分の背後から着いて来てくれる気配もあるし、挟撃すれば有効打になるかもしれない。
そんな期待はすぐさま打ち砕かれた。恐らく防御プログラムが作動しており、自分が突き出した武器もアガタの棍棒も止められてしまった。ただ、異様なのは結界で受けとめられたのではなく――ルーナはその細く小さな手で、トンファーどころかアガタの巨大な金棒を握って止めたのだ。
いや、腕は先ほどまでよりも太くなっているように見える。それは幻覚などではなく、ルーナの腕は激しく蠢き、急速に筋力を増強させているようだった。引き抜こうにも恐ろしい力で握られており、武器を相手から引きはがすこともできず――ただこのままだとやられる、そう思って自分もアガタも獲物を手放して背後へと跳んだ。
「クソが、妾を舐めおって……どいつもこいつも……!」
こちらの着地に合わせて自分たちの武器にヒビが入り、そのまま音を立てて崩れ去り――ルーナが長い前髪で表情を隠しながらやおら立ち上がると、腕どころか全身が蠢き始めた。
「良いだろう、見せてやる……何者にも負けん……妾の全力を……タイタンの妖女!」
元々可愛らしかったルーナの声に、獣のような重低音が混じり始める。あからさまに怪しい動きをしているのだから、本来ならすぐさま攻撃をくわえるべきなのだが、その異様な雰囲気にどうにも近づくことができない。チェンもルーナの様相に驚きが隠せないようだが、ジブリールからも眼を離すことが出来ずに動けなくなっているようだ。
ルーナは身体の細胞を変質させ、筋力を一気にあげているのか――元々は自分やアガタよりも小さかったルーナの体は膨張を繰り返し、気が付けばブラッドベリと並んで遜色ないほど、いやそれ以上の巨体へと変貌したのだった。
「この姿を見たからには、貴様ら全員生きては帰さんぞ! 全員縊り殺してくれる!」
男性のように低く聞き苦しい声でルーナは叫び――対する自分はほとんど直感に身を任せてアガタの前に移動し、急接近してくる巨体に向けて気を練って腕を突き出した。
絶影、ホークウィンドが自分に残した技。まだ完璧には遠いが、それでも巨大な魔獣を一撃で止めるくらいの威力はある。ならば、あの筋肉達磨と化したルーナにも、幾分か届くはずだ。
何より、死が間近にあるせいなのか、今日は勘が冴えている。相手の振りかぶる巨大な腕を紙一重ですり抜けることには成功し、相手のがら空きな腹部に必殺の掌底打ちを繰り出す。相手の足が止まり、接触した掌を起点に気を送り込み、相手を体内から破壊しようと試みるのだが――。
「……貴様、何かしたか?」
上から低く冷たい声が聞こえる。こちらが全力で撃ちだした一撃は、相手の身体を傷つけることすらできなかったようだった。危険を察知して身を引こうとしても遅く、ルーナは突き出していた腕でそのままこちらの後頭部を掴んできた。
「ティア!?」
アガタの叫びが聞こえるのと同時に、鈍い痛みと共に身体が浮き――ルーナの巨大化した掌が自分の頭部をまるまる覆い、そのまま持ち上げられてしまったのだった。




