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12-58:小さな納戸にて 中

「あの、T3さん、周りの人のことは気にしないでくださいね。そもそも、私が連れ出したのが悪いんだし……」

「……私は大丈夫だ」

「もう、全然説得力もありませんよ? ともかく、座りましょう……ほら、これなんか頑丈だと思うので」


 自分が平らな箱の上をぽんと叩いても、T3は変わらず立ったままの姿勢を崩さなかった。あのスタイルが落ち着くというのもあるのだろうが――壁と接していれば背中を取られないという安心感があるのと同時に、今は落ち着くことすら自省しているという雰囲気がある――立たれたままではこちらが話しにくい。そのため諦めずに箱をポンポンと叩き続けると、T3も最終的には観念したようにそこに腰かけてくれた。


 自分も彼の対面の荷物の上に座って落ち着き――しかし何と声を掛けたものかと悩んでいると、気が付けば視線が落ちてしまっていたようだ。納戸の小さな窓から僅かに差し込む採光が、自分と彼との間に横たわっているのが視界に入ってきて――幾許かその明かりを眺めていると、向かいから「私は」と掠れた声があがった。


「私には、迷わずアシモフを屠る覚悟があった……はずだった」

「それはその、一年前までは……の話ですよね? アシモフさんは味方になった訳ですし、覚悟が鈍るのも仕方ないと思います」

「……三百年だ」

「……えっ?」


 T3はそこで一度顔を上げた。瞳は光なく濁っており、どこか焦点があっていない。


「三百年の間、私は全ての七柱をこの手で葬ることばかり考えてきたのだ。母同然に慕ってきたレアですら、頭の中で何度もその首を落としてきた。現に私は、仇である自分に対しすぐにトドメを刺さなかったエリザベート・フォン・ハインラインをあざ笑ったものだが……それが、この体たらくだ」

「でも……私はT3さんがそういう人で良かったと思ってますよ」


 この人が無感情に他人を殺せる人でないことが分かったのは、自分にとってはポジティブであるのは間違いない。それに、今回の場合は敵を討つのとは訳が違うのだから、ショックを受けるのが当然だと思う。


 しかしこちらの返答が意に沿わなかったのか、T3は再び視線を落としてしまった。彼はこちらの感情を知りたかったわけでなく、三百年も恨み続けた相手を手に掛けて動揺してしまったことに対して複雑な心境でいるのだろうから、自分はとんだ見当違いのことを言ってしまった訳だ。


「あ、あのあのあの! ごめんなさい、また言葉を選ばずに失礼なことをば! でも、でも……やっぱり、皆それぞれの事情があるってだけなのかなぁと。七柱の創造神も何かを悩んで、苦しんで、それで高次元存在に手を伸ばそうとしているんだと思うんです」

「……しかし、それは誰だって同じだ」

「はい、そうですね……自分が苦しいからって、誰かを傷つけていい理由にはなりません。だから、私もあの人たちと戦う覚悟は決めてますけど……でも、アシモフさんに関しては、自分のやってきたことに向き合ってくれたわけですから……T3さんが傷つくのも、無理ないと思います。

 それに、T3さんが矢を放ったのは、ソフィアやグロリアさんにアシモフさんを手に掛けさせないためですよね? 何よりも、アシモフさんはT3さんに気にしない様にって言ってましたし……亡くなられたことは寂しいですけど、T3さんはアシモフさんの願いを叶えたんですから。そんなに気を落とさないでください」


 それに、元はと言えば、自分がアシモフを護れなかったことにだって責任はあるように思う。自分は危険にさらわれるアシモフの近くにいたのだから。いや、そもそもとして――。


「そもそも……私がアナタを独りにしてしまったから、今回みたいなことに……って、あぁ!」


 そう、自分は彼がレヴァルに来ているのも知らなかったし、行動を共にできていればもう少し違った結末になったようにも思う。しかしその原因を作ったのは他ならぬT3自身なのだ。


「そうだ、私怒ってるんですよ! ヘイムダルで私だけ脱出させて! この一年間ずっとT3さんを探してたんですから!」

「……私を?」

「そうです! T3さんを独りにしないって約束したじゃないですか! それなのに、なんで独りで無茶しちゃうんですか、アナタは!」


 荷物から降りて身を乗り出し、男の前で膝まづいてその手を両手で取る。


「捕まえましたから! もう離しませんよ!」


 そのまま強く手を握ると、T3は困惑したように瞳を揺らした。こちらとしては怒り半分、決意半分で結構な力を込めて握っているのだが、彼の手は義手であるから痛みはないはず――ともかく振りほどかれないようにと握っていると、男は視線を横へずらしながら口を開く。


「……この手は血で汚れている」

「それなら、私だってそうです……私も自分が正しいと思うことのために戦ってきたんですから……その分、誰かを傷つけてここまで来てるんです。そして、これからも……今度はアナタがこうやって落ち込まないように、一緒に戦っていきたいんです」


 この戦いは、誰か一人が背負うべきものではない。もうこの人が独りで悩まないで済むように――改めて手を握り直すと、T3はハッとしたような表情を浮かべ、今度は皮肉気な笑みを口元に浮かべながら首を横に振った。


「……貴様に気を使われるとはな」

「むっ……気を使っちゃダメなんですか?」

「いや、おかげで少し落ち着いた。感謝するぞセブンス」

「な、なんだかそう素直になられると、それはそれで調子が狂いますねぇ……」


 かつてないほどの柔らかな雰囲気に照れくさくなってしまい、思わず片手を離して頬をかいていると、T3はそのままゆっくりと手を引いてしまった。いつまでも握っているわけにもいかないし、それは自然な行為とも思われるのだが、先ほどの自虐的な表情が気にかかる。まるで、こちらの言葉で何か新たに決意したように――男はこちらから離した手を少し見つめてから、微笑みを浮かべながらこちらを見つめてきた。


「……大丈夫だ、もう断りも入れずにどこかに行ったりはしない。だが、同時に……今の私にはお前の手を握る資格はない」

「それは、アナタだけが決めることじゃ……」

「今は、と言っただろう?」


 そう言って立ち上がり、T3はいつもの仏頂面に戻ってしまう。そしてそのまま小さい窓の所まで移動して外を見つめた。


「ファラ・アシモフの決意は見事だった……彼女の意志を継ぐためにも、私は虎として戦い続けなければならない。そのために力を貸してくれ、セブンス」

「ほぇ……? は、はい! 喜んで!」


 予想外な言葉が出てきたせいで反応が遅れてしまったが、今の言葉に嘘はなさそうだ。それなら、もう一人でどこかへ行ってしまったりはしないだろう。


「あの、今更ではありますけど、虎ってどういうことなんですか?」

「ADAMsを駆り、暗殺を行うものに対するコードネームだ。アラン・スミスが原初の虎、私は三番目なのだが……」

「あぁ、それでT3なんですね!」

「本当に今更だな」

「あ、あははぁ……」

「……元々はゲンブのこだわりだったのだがな。しかし、今は自分でも気に入って使っている」

「あ、分かります! 私も、最初はセブンスってちょっと格好つけてるなーって思って避けてたんですけど、T3さんに言われ続けて慣れちゃいましたから!」


 それが、自分が初対面の相手に二つの名を名乗る理由だ。ナナコという呼び方はどこか懐かしさがあり、セブンスという呼び名も大切な人からの呼び名だから――いつの間にかどちらも大切な名前になっていたのだ。


 しかし、T3についてはどうだろうか? どちらかと言えば気に入っているというより、彼は自身が虎であると暗示を掛けることで、生来持つ優しさに蓋をしているような気もする。


 然るべき時が来たら、彼のことも本当の名で呼びたいように思う。繊細で優しい彼に相応しい名を――ただ、きっと今はそれを彼自身が嫌がるだろうから、自分も彼のことを引き続きT3と呼ぶことにしよう。


 そんな風に我ながら珍しく空気を読んだ結果、静寂が部屋を支配した。T3はこちらから話さないと何も喋ってくれないのだ。とはいえ、先ほどまでと違って雰囲気も柔らかく、気まずい感じでもないのだが――せっかくならこの一年のことを共有しようと話題を切り替えることにした。


 しかし結局、日が暮れるまでほとんど自分が話しっぱなしで、T3は時おり相槌を――何なら皮肉なような気がしないでもない――返すだけの時間が過ぎていき、気が付けば窓の外が暗くなり始めていた。

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