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12-55:雪解けの時 中

「戻ったのね、ソフィア。そんなところで呆けていないで、座ったらどう?」


 母はこちらに一瞥だけくれ、すぐに手元に視線を落として作業に戻った。正直、一対一で話す心の準備はまだできていなかったのだが。なんだか母の声色にいつもと違うものを感じ、自分は誘われるように執務室のソファーに腰かけた。


 しばらく無言の時間が続き――壁にかけてある時計の秒針が妙にうるさく聞こえる――自分はただ膝に視線を降ろして母が何か言うのを待っていた。こちらから何を言えばいいのか分からなかったから。


 何かこちらから言うべきだろうか? どうしてレヴァルに来たのかとか、そんな事務的な話でもするべきだろうか。もしくは、思い入れのあるこの場所を護ってくれていたことに関する感謝を述べるべきか――そんな風に悩んでいると、マリオン・オーウェルはおもむろにケトルを手に取り立ち上がって、自分の前でコーヒーを注いでくれた。


「すっかり冷めてしまっているけれど……お疲れ様、ソフィア」

「あっ……お母様も、お疲れ様、です……」


 今まで労いの言葉など掛けてもらったことが無かったので、思わず返答が遅れてしまった。母の方も言いなれていないせいか、苦笑いを浮かべながら執務机に戻り、彼女の手元にあるカップに冷めきったコーヒーを注いだ。


「……私は、あの人のようにはなれないわ」

「えっ……?」

「だってそうでしょう? あわや自分の命が危ないという時に、我が子のために歯を食いしばってその身を差し出すなんて……母親ってなんて大変なんだろうって思わされた」


 彼女も緊張で喉が乾いているのか、マリオンはすぐにカップをあおって中の液体を飲み干してしまったようだ。そしてカップをゆっくりと置き、胸元で腕を組みながら話を続ける。


「レア様に言われたの。娘が怖いんでしょうと……言われた時には何を言っているのか本気で分からなかった。親は子供を好きにする権利がある、私はそういった世界で生きてきたし、それが当たり前だと思っていただけで……貴女が怖いだなんて思ったことは無かった。少なくとも、レア様に言われた時はそう思っていたわ。

 だけど、彼女の言うことは正しかった。貴女は私なんかと比較にできないほど賢い子だから……普通の人間であると思われ、見下げられるのが怖くて、高圧的な態度を取ってコントロールしようとしていた部分はあると思う。

 だって、他の子にはアナタほど厳しくはしなかったし……それは貴女ほどの才覚を認められなかったが故に期待していなかった部分もあるけれど……今にして思えば、夫や他の子どもたちは神経質にならずとも御せると思っていたことの裏返しなのかもしれない」


 母は小さな声で、ゆっくりと――何かに懺悔するかのように告白した。きっと昼間の出来事がきっかけで、アシモフの言葉をずっと思い返していたということなのだろう。


 自分としては意外だった。自分の知るマリオン・オーウェルは、本当に自分のことを道具か何かだと思っているのではないかと感じていたからだ。というよりも、幼いころから厳しく接されていたせいで彼女の前に居ると委縮してしまうあまり、母の心理状態を客観的にとらえることができなかったという方が正確か。


 それが、まさか母が自分を恐れていることの裏返しとして冷たく接していたとは。思い返してみてもあまりそういう感じはしないが、何にしても母自身が自らの在り方を見直し、自分とこうやって向き合ってくれていることは僥倖だろう。自分だって、母と対立したかったわけではないのだから――今なら色々と話を聞いてもらえるかもしれない。


 だが、いざその時が来ても、こちらからは思うように言葉が出てこない。幼少のころから培われてしまった彼女に服従する気持ちが先行するせいで、いざゆっくり話そうと思っても何を言って良いのか分からなくなってしまっているのだ。


 それは母も同様なのか、またしばらく互いに無言の時間が続き――気まずくなって視線をカップに落としていると、母の方から沈黙を破ってきた。


「ソフィア、七柱の創造神たちと戦う気なのでしょう?」

「はい。本当なら、この地に集った人たちを護るべきとも思うのですが……」

「それは私に任せなさい。貴女は、貴女の信じた道を行けばいい」


 思わぬ提案に驚き、自然と視線が上がってしまった。まさか、母から「自分の信じた道を行け」と提案されるとは――母の方も照れくさそうに苦笑いを浮かべ、しかしこちらから視線をそらさずじっとこちらを見つめている。


「もちろん、それは娘を死地に送り出すという行為に他ならないけれど……同時に、貴女を傷つけ続けた私にできることは、せめて貴女のやりたいようにさせてあげることだけ。どれだけ謝罪を並べても、自らが犯した罪は消えはしない。

 だから、別に貴女に対して謝るつもりはないわ。レア様が……いいえ、ファラ・アシモフという一人の母親がそうしたのと同じように、私も娘に生き様を示す。それだけなのだから」


 話を続けるうちに、母の表情は段々と決意に満ちたものへと変わっていった。不思議なことだが、謝るつもりはないと言われたおかげで、少しこちらも気持ちが楽になった。きっと、自分は母に謝って欲しかった訳ではないし――何より、彼女が過去を悔いるのではなく、未来に視線を向けてくれたことが嬉しかったのかもしれない。


 そしてようやっと、自分も彼女に対する素直な気持ちがあふれ出てきた。後はそれをこちらから視線をそらさず見つめている母にぶつけるだけだ。

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