12-53:ある母娘の物語 下
自分を含めた全員が、しばしファラ・アシモフが居た場所を呆然と見つめていた。まるで、彼女が消えてしまったのが嘘かとでも言うように――そして静寂が支配していた辺りの様子を最初に破ったのは、アシモフにトドメをさしたエルフの青年だった。T3は屋根から飛び降りて、自分の近くまでゆっくりと歩いてくる。
「T3さん、どうして……まだ何か方法が、あったかもしれないのに……!」
「……そうだな」
「えっ……?」
自分が驚きに声を上げてしまったのは、いつもの彼なら、こちらの言い分に対して必ず冷たい返事をしてくると予想していたからだ。その予想に反して、エルフの青年は呆然自失の様子で自らが穿った巨人の上半身を眺めていた。
「私には、他にどうすればいいか分かりませんでした……レア様、申し訳ありません……」
T3の言葉を聞いた瞬間、自分はなんと浅はかだったのだろうという後悔の気持ちが一気に湧き出てきた。アシモフとT3との関係性は、自分が想像していたよりも深く、複雑なものだったのだ――彼はその上で彼女の最後の願いを聞き届けたのだ。
思えば、彼は世界樹で育ち、ファラ・アシモフを女神レアとして敬愛して育ってきたのだ。T3は世界の裏側を知った時、一度はアシモフすら屠ろうと復讐に身を焦がした訳だが――それでも今一度味方として立ち上がったエルフの長に対しては、愛憎入り混じる想いで合ったに違いない。
何より、彼がアシモフに向けて弓を取ったのは、娘であるグロリアや、その魂の宿るソフィアの手を汚させるわけにはいかないという判断があったからのようにも思う。そんな深い覚悟を読み取れず、自分は彼を非難してしまったのだ。
もっと言えば、自分がもっと注意深くしていれば、アシモフはユミルに捕らえられず、こんな悲劇を防げたのかもしれない。そんな自分が情けなくて、同時に大切な人を手に掛けざるを得なかったT3のことを思うと、感情を上手く処理できなくなり――自分はただ青年の胸を叩きながら泣くことしかできなかった。
自分がひとしきり泣き終わるまで、T3は自分をどけることもせず、呆然とした様子で立ちすくみ――少し落ち着いて辺りを見回すと、みな悲痛な様子で自分とT3を見つめていた。
しばらくの間、沈黙が場を支配する。多くは彼が女神の最後の望みを汲んだのだと理解しててくれているようだが、決して少なくない人々もまた、彼女を失った悲しみを、怒りを、突如して現れた彼に向けようとしている――そんな一触即発の空気を割くように、ソフィア・オーウェルが羽を羽ばたかせて地面へと降り立った。
「皆さん悲しんでいる時間はありません……私たちは女神レアが見せた強さを胸に、戦い続けなければならないのです。
本来なら、私はこの場にもっと早く立つべきだったのに、今更かもしれませんが……女神レアの言う通り、この場にはアルファルド神達に立ち向かえるだけの戦力が集結しつつあります。
ですから、レア様の死を悼むのなら…………心に希望を持ち続けて、今一度私たちに力を貸してほしいのです。アナタ方が心を絶望に呑まれずに戦い続けてくれれば……きっと私たちがこの世界から邪悪な意志を振り払って見せると約束します」
ソフィアの演説は、ファラ・アシモフの死を悼むように静かであり――しかし同時に良く通る声で紡がれた。ソフィアは以前、この街で司令官をしていたと聞いている。だからこそ、今この場にいる者たちの心を再び奮い立たせられるのは自分だけと、またT3に対する不当な怒りを収められるという判断があったのだろう。
少女が語り終わって少しの間、再び耳が痛くなるような静寂が訪れるが――人ごみの奥から「おう!」と威勢の良い男性の声が聞こえた。一同の視線がそちらへと向くと、戦槌を持った中年の男性がソフィアに向かって手を振っているのだった。
「オレの命、アンタに預けるぜ、大将!」
「准将ですよ、バーンズさん……もはや階級なんて、何の意味もありませんけど」
「まだるっこしいことは無しだぜ! オレ達にはまだ、命を預けるに値する相手がいる……それだけで十分だ!」
少女と男性の軽妙なやり取りに元気づけられたのか、他の者たちも活気づき始めたようだった。とくに軍人らしい制服に身を包んだ者たちがソフィアの元へ駆けつけており――しかし活気を取り戻した人々の輪の中で、ただ少女の肩で頭を垂らして黙っている機械の鳥の様子こそが痛ましく、鮮明に映るのだった。
◆
こちらの襲撃を退けた城塞都市の様子を、少年は壁に立てかけてある巨大なモニター越しに眺めていた。彼は変わらず海と月の塔の最下部に陣取っており、海底のモノリスのコントロールに尽力しており――ソフィア・オーウェルによって事態が収束したのを見て映像を切った。
「キーツ。ファラ・アシモフが逝ったよ」
そう声を掛けると、少年の目の前にあるコンソールに旧世界の文字が浮かび上がってきた。
『どんな風だった?』
「立派な最期だった。その身を挺して第六世代型を護り、多くの子供たちに……グロリアにその最後を看取られたんだ。満足そうだったよ」
『それなら良かった』
端的な表現ではあるが、キーツとアシモフの関係性を鑑みるに、その感情は複雑なモノと想定される。
そもそもフレデリック・キーツは、旧世界においても惑星レムにおいても、人々を使った実験や管理社会に対しては懐疑的な人物であり、本来ならこの場にいるのが不思議な人物だ。それでも彼がここまで着いてきたのは――今は無敵戦艦の旗艦に本体である脳のみが残っている形だが――偏に想い人であるファラ・アシモフの身を案じていたからに他ならない。
もっと正確に言うのならば、彼女が最後に満足して逝けるよう、支え続けたというのが正確な様に思う。彼の無関係な所でそれが達されたのは皮肉というほかないのだが。しかしキーツがここまで繋げたからこそ、アシモフが満足して逝くことができたと取ることもできる。
しかし、わざわざ報告することも無かったのだが、少年は一万年来の友人に対する同情を抑えられるほど冷血漢でもなかった。それ故の連絡だったのだが――次にコンソールに映った文字は、『次はオレの番だな』であった。
その言い分に少年は違和感を持った。アシモフが呪縛から解放されるというキーツの悲願は達されたのであり、そう意味では次は彼自身がその魂をあるべき所へと返そうというのは違和感は無いのだが――その言葉の裏には、彼も心残りを払拭したいという願望が見え隠れしているように思われたのだ。
「まさかとは思うけど、アラン・スミスとの決着にこだわっているのかい? でも、そのチャンスは二度とこないよ……リーズが蘇らそうとしているみたいだけれど、僕がそれを許さないからね」
『虎は必ず帰ってくる。それを誰よりも知っているのはお前のはずだ』
少年はぎくりとして、思わずキーツとの通信を切ってしまった。アラン・スミスが戻ってくるわけがない――自分が二度も彼を殺し、今もこうやっておかしなことが起こらないように深海のモノリスを監視しているのだから。
確かに、深海のモノリスの狭間に解析不能の領域があり――もう一年もアプローチを続けているのだが、依然としてその詳細は不明だ――レムは人格をコピーして健在、それにチェン・ジュンダーは本体を残して暗躍していたようだ。何よりもレヴァルの映像に映っていたジャンヌ・アウィケンナ・ネストリウスの存在が気に掛かる。自分のあずかり知らない所で、何か大きな力が動いているのも違いない。
(……いいや、何を恐れるというんだ? この場を支配している限りには先輩が蘇ることも無いだろうし、仮に復活したとしても……いくらでも抑え込むことはできるはずだ)
いくら原初の虎に得体の知れない力があると言えども、自分はその奇跡を二度も退けてきたではないか――しかし、計画を万全に進めるためには不確定因子は無い方が良い。
幸いにも、ソフィア・オーウェルの出現で、チェン・ジュンダーの狙いと潜伏場所の目星は着いた――今度こそ敵対者たちを根こそぎ刈り取ってしまおう。少年はそう考え、次の方策を思い付き、ファラ・アシモフを倒したと狂喜しているルーナに連絡を取り始めたのだった。




