12-52:ある母娘の物語 中
「聞いていましたね、この地に集いし戦士たちよ。今、貴方達の在り方を歪めていた悪神レアは……貴方達を縛り付けていた邪悪なファラ・アシモフはこの世を去ります。
もしそんな愚かな咎人の最後の我儘を聞いてくれるのなら、お願いです。貴方達は私たちのように……旧世界の人間たちのように力の使い方を間違えないで欲しいのです。私たちは己の弱さと傲慢さゆえに互いを滅ぼし合い、あまつさえ生命の神秘を冒涜し、この宇宙を支配しようとしました。
それは知的生命体の進化の過程における必要悪だったのかもしれない……科学の発達はいたずらに人に万能感をもたらし、自らが神に並ぶという錯覚を起こさせてしまうのかもしれない。
そういう意味では、貴方達も進化の果てに、私たちと同じような道を辿ってしまうかもしれないけれど……同時に人には過ちに気づき、それを是正する力がある。犯した罪は消えないかもしれないけれど……自らの子供達により良い未来を託すことはできるはずなのです」
話を続けるファラ・アシモフの顔には、自身を悪神と罵ったように自らの行いを悔いているといった罪人といった様相があり、同時にやるべきことをやり遂げたという満足感に溢れているように見えた。
ただ、自分としては彼女にまだ死んでほしくないし――それに、彼女の罪が何をもって贖われるのか。それを決めるのはきっと彼女以外の何者かであるべきであり、如何にアシモフ自身がやり遂げたと思っていても、それは結局自己満足でしかないと蔑む者もいるのかもしれない。
だが、この場において彼女を蔑む者はいないようだった。彼女を慕ってこの地に集まり戦い続けたレムリアの民たちはもちろん、自分も、イスラーフィールも、彼女を押しつぶしてしまったアズラエルも、何よりも――上から母を見下ろすグロリア・アシモフでさえ、彼女の最期に絞り出している言葉に心を奪われているようだった。
一息ついたタイミングでアシモフは再び口から大きく吐血してしまった。聴衆が動揺する中で、しかしアシモフは大きく息を吸い、毅然とした態度で周囲を見回した。
「既にこの地には、七柱の創造神たちに……いいえ、道を誤った愚かなる旧世代の人々に対抗できるだけの力は揃っています。私が死んだあとはマリオンの指示に従いなさい。
さぁ、行くのです、我が子らよ。貴方達は自らの足で歩き、その手に自らの権利を取り戻すのです」
アシモフの演説が終わっても、人々はただ黙って彼女の姿を見つめていた。その沈黙は、自分たちの指導者がいなくなってしまう事に対する不安から来ているようではあるが――しかし、みな彼女の決意を汲み、彼女を見送った後も戦い続けようという覚悟を決めているようだった。
それを見てアシモフは満足そうに頷き――そして自身を見下ろしている機械の姿をした娘の方へと戻した。
「これで本当に私の役目は終わり。貴女は私のことを殺してやりたいほどに恨んでいたはず……さぁ、一思いにやりなさい」
アシモフは巨人の額に手を当てながら、穏かな表情で話を続ける。グロリアの方は機械が故に表情は分からないが――ソフィアの肩の上で困惑したように首を横に振っている。
「待ちなさい、待って。そんなの意味がないわ……私の知るアナタは、アンドロイドの研究にしか興味が無くて、そのために卑劣なことをする卑怯な女なの。真理を追究できるなら、他の者などどうなって良いと思っている冷酷な女で、我が身の可愛さに罪から目を背ける浅ましい女……そうでなければ、殺す意味なんかないわ」
「どれほど罪を贖おうとしても、私が貴女にとって良い母親で無かった事実は覆らない。研究のためにネグレクトし、あまつさえ貴女を人体実験の道具にし……原初の虎を誘導するため、貴女の居る鳥かごに誘導したいというクラークの意見を二つ返事で了承した女なのよ、私は」
「どうして……どうしてなの! 全然納得いかない! 貴女はそうやって、アンドロイドたちとは心を交わして、我が子のように大切に想っている……でも、実の血を分けた私にだけは優しくしてくれなかったじゃない!」
「えぇ、その通り。だからこそ、貴女は私を殺す権利がある」
「違うわ! どうしてその優しさを、少しでもいいから……私に向けてくれなかったのよ!」
「……申し訳なく思っているのは確かだけれど、今更謝りはしないわ。それで納得してもらえる訳ではないと思うし……」
話している途中でアシモフは再び口から大きく吐血してしまう。見れば、起爆を抑えるために突き出している腕も振るえ、力が抜けてきているようである。ソフィアは痛ましい表情を浮かべながら翼をはためかせて空へと舞い、魔術杖のレバーに手を掛けた。
「……グロリア、時間がない。アシモフさんはもう助からない……彼女の意志がこと切れたら、大惨事が起こってしまう。だから……」
「待って、ソフィアお願い!」
グロリアの悲痛な叫びにソフィアは手を止め――というよりもグロリアの意識がソフィアの身体のコントロールの一部を奪ったという方が正確なのだろう、少女の体は中空で制止して動かなくなった。
「待って……もうママと少し話をさせて、お願いだから……」
「グロリア……」
ソフィアとグロリアのやり取りを、アシモフはどこか崇高なものを見るかのように仰ぎ見た。
「ソフィアの言う通りよ……一刻も早く私ごとユミルを破壊しなければ甚大な被害が出る。だから……貴女に私を終わらせてほしいの」
「いやよ、できない……私にはできない……今のママは、私が求めていた……強くて優しい人なんだもの……」
娘の消え入るような悲痛な声に、アシモフは息を呑んだようだった。瞳を僅かににじませ――しかしすぐに自虐的な笑みを浮かべて首を振った後、決然とした様子で辺りを見回した。
「見ているのでしょう……私の首を取りなさい、T3!」
「……T3さん!?」
予想外の名前が出たことで、思わず自分も声を上げてしまった。アシモフの視線の先――広場の付近にわずかに残った建物の屋根の上には、確かに自分がこの一年のあいだ探し続けた銀髪のエルフの姿があった。
「私は貴様の娘と違って情けはかけん……しかし一度だけ聞くぞ。良いんだな?」
「えぇ……もはや思い残すことは無いわ」
「……分かった」
「……優しい貴方のことだから、きっとこのことを気に病むと思うのだけれど……これは私の望んだこと。貴方は私の願いを叶えてくれた……だから、気にしないでね」
T3はアシモフの言葉に肩を揺らしたが、すぐに精霊弓を取り出して光の矢を番えた。アシモフはそれを満足そうに見つめ、一度視線をこちらへと降ろす。その先には、彼女を護っていた水色髪の熾天使と、一人の女性が――何となくソフィアに雰囲気が似ているところがある――いる。
「イスラーフィール。貴女はこの一年の間、私によく仕えてくれました……レム、後のことはよろしく……マリオン、きっと貴女なら、やり直すことができるはずよ」
マリオンと呼ばれた女性は、頷くこともせず、ただ一人の母親が凄まじい覚悟で最後の時を迎えようとしているのを緊張した面持ちで見守っているようだった。そしてアシモフは最後に再び天上の天使へと視線を浮かべた。
「そしてグロリア……ありがとう。貴女の優しさに触れられるなんて、大罪人の身に余るほどの幸福だったわ」
「待って……これで終わりなんてイヤ……」
懇願するようなグロリアに対し、今度はソフィアが身体のコントロールを奪い返したようで、安全圏内に逃れるように翼をはためかせて移動した。その時になってようやっと、このままではマズいと――このままではT3に仲間殺しの汚名を着せてしまうという事実に気付き、何とか止められないかと走り始める。
もちろん、止めたところで状況が良くなるわけでもないことは重々承知だが、それでも――しかし制止は既に遅く、走り始めるのと同時に、向かいの屋根から鮮烈な光の波動が照射されてしまった。
「あぁ、そういうことだったのね……高次元存在は我々に意味を見出せなどという命題を子供らに課したのか、それは……」
光の波動が消え去る前に、ファラ・アシモフの呟くような声が聞こえた。そして眩い光が消え去ると、巨人の胸から上と腕が――ファラ・アシモフを握っていた手ごと跡形もなく消え去っていた。




