12-50:師の抵抗 下
『ソフィア、待ちなさい。私が……』
『……うぅん、大丈夫。私が……やらなきゃいけないんだ』
今あの身体に攻撃をくわるのは精神的に厳しいかと思い、自分が変わろうと思ったのだが――ソフィアは、そう低い声で返答してきた。確かに、これは千載一遇のチャンスと言える。個人的な感情でこの機を逃せば、もっと多くの被害が出ることだって予想されるからだ。
何より、元より師匠殺しになるという覚悟をもっていたことには変わりない。その汚名を被ってすら、自分たちは戦い続けると誓ったのだから――先ほどは動揺を見せたが、それでも決意を揺らがせるソフィア・オーウェルではないのだ。
弟子の決意の固さに満足したのか、アレイスター・ディックは微笑みながら頷き、ソフィアが魔術を編んでいる傍らで小さく声を上げる。
「少しだけ……私は、この一年間、アルジャーノンの求道者として凄まじさに圧倒され……同時に、彼の怒りと孤独に、少しだけ触れました。
その感情は、私のような者が完全に理解できるとは言い難いのですが……少しだけ、共感してしまった部分も、あるのです。同時に……彼に必要なのは、安らぎです。ですから、どうか……一万年の、彼の怒りを、孤独を……ここで終わらせてあげてください」
少女が「希望などない」と名づけた杖の先に六つの魔法陣が集まり――この距離で素早く威力を出すなら、冷気よりも電撃の方が良いと判断したのだろう――先ほどの重力波でダメージを受けた体で、しかし力強く少女は陣を叩き、そこから強烈な電撃の束が師の身体を目掛けて照射された。
電撃の先に一瞬だけ見えた男の瞳には、まるで娘を見守るかのような穏かな光が浮かんでおり――しかし、自分の機械の目は見逃さなかった。その稲妻がその身を焼こうとする直前に、アレイスター・ディックが自由に仕切らなかった右腕が動いたことを。
結果として、男の払った左腕の前にソフィアの魔術は霧散してしまった。男の表情は驚愕に変わり、そして再び首ががくんと落ちると、男はそのまま握っている杖の先端をこちらへと向けてきた。
「……いやはや、何ともつまらない結果になってしまったね。君に会いに来たことで、僕は愛すべき同居人を失ってしまったんだからさ」
低く乾いた声と同時に、上から猛烈な速度で何かが接近してくる。それは風の拘束具であり、寸分たがわずソフィアの四肢に絡まり――大気の拘束具がそのまま地面へと刺さり、少女の体は地面へと縛り付けられてしまった。
「くっ……!?」
「良かろう、君の精神力に敬意を評し、君の愛弟子を見逃してやろうじゃあないか」
そう言いながら、アルジャーノンは右手をレバーから離し、左手で杖を振り回して背中に刺した。
「彼の記憶は完全にイレースした……鉄火場でもう一度さっきみたいなことをやられたら、今度こそ危ないかもしれないからね。つまりだ、ソフィア君。君はディック君に感謝したほうが良い……彼が魂を賭したから、僕は見逃してやろうっていうんだ。
ただ、覚えておきたまえよ。次はない……次に僕の目の前に出てきたら、今度こそ君を殺す。ま、こんな忠告をしたところで君は抵抗を止めないんだろうが……精々頑張って、次こそはもう少し僕を驚かせてほしいね」
男はひらひらと手を振って、高速で西の空へと飛び去って行った。早くソフィアの拘束具を解いてあげないと――そう思うのだが、こちらも機械の体が満足に動かないためにどうしてあげることもできない。
ややあって、魔術神の気配が完全になくなった頃、魔術は世界に対する影響力を失って霧散した。そしてソフィアは魔術神の去った方を見上げて、しばし呆然としたようにそちらを眺め――次第に一滴だけ、頬から雫を落とした。
「届かなかった……先生、ごめんなさい……!」
ソフィアは悔しそうに声を上げながら地面を叩いた。彼女の抱く悔しさの原因は、力の至らなかった自分への怒り、また自分たちの在り方を否定された怒り――何よりも、師匠がその魂を賭してチャンスを作ってくれたのに、それを活かしきれなかった不甲斐なさからきている。
確かに、彼女は自分の手でけりをつけないと焦るあまり、安易な道を選んでしまったかもしれない――アレイスター・ディックは完全に身体のコントロールを取り戻していた訳ではなかったのだから、魔術を放てばディスペルされることも予測はできたかもしれない。それこそ、折角この一年で接近戦を鍛えてきたのに、最後にはいつものように魔術に頼ったことこそが敗因というのなら、それこそ皮肉というものだろう。
とはいえ、自分としてはひとまずソフィアが無事でよかったという気持ちが勝る。それに、彼女の決意は肯定してあげたい――愛弟子にとどめを刺されることを望んだ師に対して報いようと苛烈な決断をしたその強さは、きっと自分には無いものだから。
同時に、安易な判断から師の決断を無為にしてしまったという想いがソフィアの中に――あった、という方が正しいか。ソフィアはやおら首を横に振り、光のない碧眼で自分の機械の体を眺めてくる。
「……先生の抵抗は無駄なんかじゃないよ、グロリア」
「えぇ、そうね……私たちは生き残った。そして、まだやれることはあるのだから」
今自分が口にしたことは、ソフィアが思い直したことを一言一句つ同じように紡いだだけだ。アルジャーノンが予測したように、自分たちは抵抗を止めることはない――むしろ、あの男に対して因縁が一つ増えた。必ずそれを清算しなければならない。
しかし、アレイスターが言っていたことはどういうことなのだろうか? 魔術神の怒りと孤独とは――そこまで考えて、またソフィアが頭をふった。復讐をする相手に対して、理解など必要ないというのが彼女の意見であり、実際その通りだと自分も思った。
誰にだって事情はある。誰にだって過去があり、想いがある。しかしそれらの全てに目を瞑り、相手を撃ち倒すことこそが復讐だ。奪われたものは返ってこないかもしれないが、奪われて踏みにじられた尊厳と、その無念とは晴らさなければならない――そこに相手の事情を慮る必要性など無いのだから。
身体の回復も済み、師の仇を打つという決意を新たにして、ソフィアは杖を握って立ち上がった。自分も機械の体を動かし――羽が破損してしまったが、重力を操作して少女の肩に戻り――飛翔して城塞都市を目指す。
視界に城塞都市が入ってくるのと同時に、強烈な閃光が視界に入ってきた。直後、全てをなぎ倒す轟音とが聞こえる。光が落ち着いて様子を見ると、城塞の向こう側、街の東側が灰燼と化しており――その攻撃を放ったであろう巨人が広場の中心に居り、そしてその手の先には白髪の老婆が血を流しながら捕まっているのが見えたのだった。




