11-78:ボヘミアン・ラプソディー 上
旧世界におけるアラン・スミスの最後の光景を見て、エディ・べスターは痛ましい表情を浮かべた。自分の方は冷静だった――どちらかと言えば、臥して見上げるよりも今の方が楽に状況を見れる、くらいの感覚だった。
というのも、自分はこの先の顛末も知っている所が大きいだろう。現在の右京も同じ心持ちなのかは分からないが――未だに高次元存在に手を伸ばそうとしているのなら、多少の紆余曲折や変化はあれど、根本的な部分はこの時と変わっていないと推察できる。
ともかく、這いつくばっているアラン・スミスは、残った右腕で身体を支え、なんとか上を見上げ――寒さからなのか身を震わせている少年を見つめていた。
「……いつから裏切ることを考えていたんだ?」
「そのいつから、というのが何を指すのか次第にはなるけれど……誰かにクラークを倒してもらおうと思ったのは、アナタが改造出術を受けたのと同じくらいのタイミングだ。
その具体的な手段として、第五世代型アンドロイドの警護を掻い潜り、あらゆる困難なミッションを達成するアナタを見つけだし、近づいた……そして絶対のカリスマのいなくなった組織をこれから乗っ取り、クラークのやろうとしていた高次元存在の降臨を自分の目的のために行おうとしている。事の顛末としてはこういうことさ。
裏切り、という点で言えば……難しいな。僕は僕なりに自分の目的を達成するためにいつも動いてきたわけだから。ただ、クラークと結んだように見せかけたのは、ジム・リー暗殺時と同じくらいの時期だよ。彼がアナタをここに運んでくるようにと依頼してきたから、これが僕の目的を達するチャンスになると踏んだわけさ」
「つまり、DAPAのデータベースにアクセスして、追跡されているから保護してくれというは嘘だったのか?」
「いいや、本当だよ。DAPAのサイバーセキュリティに目をつけられていたのは事実さ。ただ、その気になれば足跡を残さないことだって出来た……僕はモノリスとその解析結果を、すでに三年前には誰にも気付かれずに入手していたんだから」
「敢えて二課に入る口実を作ったんだな。しかし、どうして、そんなことを……お前の、目的は何なんだ……?」
アラン・スミスの核心に迫る質問に対し、右京はため息交じりに首を振った。
「ベラベラと自分語りをするのもナンセンスだと思うけれど……でも良いか、こんな最低なことを引き起こした理由が分からなければ、先輩も気持ちが悪いだろうしね。
僕の目的は……この世界から完全に消滅することだ。その手段として、高次元存在を滅ぼす。そうすれば魂はこの世界から消滅し、永遠の苦しみから解放されるんだ」
真意が分からなかったのだろう――今の自分ですら、未だに彼の心の底は分かりかねるのだから過去の自分が困惑するのも無理もない――虎は押し黙ったまま少年を見つめ続けた。その視線に居心地の悪さを感じたのか、少年はまた首を振り、臥す虎から視線を外して口を開いた。
「分かっているよ、死にたいなら勝手に野垂れ死ねばいいって思うだろうし、そんなことに周りを巻き込むんじゃないと、そう言いたいんだろう? 僕だってそれは重々承知さ……でもね、星右京という男の器が滅びるだけじゃ、魂の苦しみは終わらないのさ。
器が死を迎えると、知的生命体に宿っていた魂は原初へと還り、再び肉の器に生を受けて生まれ変わる……高次元存在が存在する限りね」
本来なら、そんなものは迷信だと言ってやりたいところだが――今、自分とべスターが置かれている状況こそが、皮肉にも少年の言葉が真実であることを裏付けている。自分たちは輪廻に取り込まれずに残ってこそいるものの、器が死ねば魂は高次元存在に引き寄せられ、このような人知の及ばぬ空間へと辿り着くのだから。
「以前にも同じようなことを話したけれど……僕は幼いころから漠然とした希死念慮に苛まれていた。楽しいことや嬉しいことが全くない訳じゃないけど、それ以上に苦しみの多い世の中。戦争による政府の失墜と、DAPAによる経済と情報の寡占から世間にも停滞感に溢れて、明日に生きる希望を見いだせない時代……世間には絶望が溢れている。
そう、僕だけじゃなく、誰もがこの苦しみから脱却を求めているんだ」
「……お前から見た世界はそう見えるかもしれないが……全部ってわけじゃないだろう」
「本当にそうかな? 先輩だって、つい先日死にたがっていたじゃないか」
「お前が道を示してくれたんだ」
「違うよ。クラークとの決戦を前に、精神的動揺があると困るから、心にもないアドバイスをしたに過ぎない……仮にアレが僕の心からの激励だったとしてもだ。きっと先輩はこの先何度も傷つき、何度も世界に絶望することになる……言っただろう、ポジティブな感情なんて一時のものだと」
「俺は……」
「絶望したことがないとは言わせないよ。もちろん、アナタは立派だ……急に両親を失って、妹の医療費のために夢を諦め、見知らぬ誰かを助けたと思ったら暗殺者なんかやらされて、その傍らで誰かを救っていたんだから。
そう言う意味じゃ、アナタは何度絶望しても立ち上がるだけの強さがある。それは認めるよ。でも、皆が皆、アナタみたいに強い訳じゃない……誰もが不屈のヒーローになれるわけじゃない。
それに、換言すれば……何度も絶望の淵から立ち上がったってことは、それだけアナタが傷ついたことには変わりないじゃないか」
少年の畳みかけるような言葉に対し、過去の自分は視線を落として押し黙ってしまった。クラークのように攻撃的な相手なら――自分を知らない相手になら、いくらでも言い返すことはできる。人の意見など相対的なものであり、反対の立場からなら無限に言い様など出てくるからだ。
対して少年は、こちらのことを知りすぎている。冷静な傍観者たる今の自分からしてみれば、今はお前の目的の話をしているのであり、論点をすり替えるんじゃないの一言で済むのだが、如何せん信用していた仲間に裏切られたショックで頭が回らなくなっており、過去の自分は反論する余地を失ってしまったのだ。
そんなアラン・スミスを見かねてか、少年はまたため息を一つ、「僕の目的の話だったね」と前置きを置き、暗い海を見ながら話しを続ける。




