11-76:想い出の海辺にて 上
自分が波打ち際に腰を降ろすと、背後でべスターも椅子から立ち上がってこちらへ移動してきて、隣へと腰かけた。そして男はいつかの日のように胸ポケットから煙草を一本取り出し、おもむろに火をつけ――こちらをじっくりと見てから、海の方へと煙を吐き出した。
「ずっと不思議に思っていたんだ。いくら同じ遺伝子情報を持つからと言って、自身の記憶を持たないクローンが、ここまでオリジナルと同じようになるものかと。もしかしたら、お前は……」
「恐らくお前の推察の通りだ。クローンには本来思い出なんてないから、記憶喪失というのはおかしな状態だろうが……レムに旧世界の常識だけを入れ込んだ脳を作られたせいで、俺は……俺の魂が記憶を失っていたんだ。
しかし、今全てを思い出したよ。自分の本当の名前も、思い出も……」
言ってみれば、今の状態はオリジナルとクローンが融合したことを示すのだろう。互いに失った部分を補い合い、こうやって存在している――もちろん、肉の器の方は互いに欠損したまま、ガラスに隔てられたままになっているはずだ。現世で復活するには、何かしらの外圧が必要になるのは間違いないだろう。
そんな風に思いながら、互いには見慣れた、しかし同時に存在するには不格好な非対称の両手を見つめていると、隣から「そうか」と男の声が聞こえる。
「お前は……オレの知るアラン・スミスだったんだな」
「ま、それも半分そうだし、半分違うとも言える。俺はお前と再会するまでの間に、また色々と経験していた訳だし、レムのおかげで事故前の身体を取り戻していた訳だしな。
とはいえ、暗殺者時代に培った技術は間違いなく継承されていたし……まぁ、まだるっこしいのはなしだ。要するに、俺もお前と同じように、一万年のあいだ魂だけで彷徨って、そしてレムによってクローンが創り出された時、移植されたDNAと共に復活したんだ」
そう、少なくとも、自分はオリジナルの記憶を継承した存在であるはずだ。人が人の記憶領域を改竄するだけの科学力が発展する傍らで、上位存在などと言う人智を超えたモノの介入まである中だと、人の記憶などというものは何のあてにもならないかもしれないが――しかし、自分が感じた感覚や、そこから湧き出た感情は、魂は、嘘偽りない真実だと断言できる。
「だからこそ言えることがあるんだ、エディ・べスター。お前は、お前の最善をいつも尽くしてくれた……旧世界でも、この星でも。
お前自身は俺の枷になってるんじゃないかと心を痛めていたようだが……俺はどうにも、割と本能のままに動いちまうからな。お前は確かな常識と冷静な判断で、俺が踏み間違えないようにサポートしてくれたんだ。ありがたく思っていたよ。これは嘘偽りない、アラン・スミスの本心だ」
この言葉は、自分がオリジナルの魂を継承していることを証明してからの方が響くだろう、そう思ってこの時を待っていたのだ。このナイーブな男が悔恨の渦から脱却するには、きっとオリジナルの言葉が必要だろうと思っていたのだが――しかし、男は相変わらず自嘲的な笑みを浮かべて、申し訳なさそうに明後日の方向に煙を吐き出していた。
「そう言ってくれるのは、こちらとしてもありがたいがな。しかし、オレがいたらなかったという事実は変わりないさ」
「かーっ! しみったれたこと言ってんじゃじゃねぇよ!」
砂浜の上を座ったままで移動し、自分は男の背中を強くバンバンと叩いた。実体もないから痛みもないはずだし、無論それっぽく形どっているだけで気管なども無いはずなのだが、べスターは背中から与えられた衝撃に煙を上手く吐き出せずにむせ返っているようだった。
「一万年間、俺に顔向けできないって後悔してたんだろう? まったく、お前らしいと言えばそれまでだが……旧世界でも、この世界でも俺はたくさんお前に助けられてきたんだ。だから、もう自分のことを責めないでくれ」
「だが……」
「お前を許せるのは、お前自身しかいない。少なくとも俺はお前を恨んじゃいないし、むしろ感謝してるんだ……それが、お前が自分自身を許す切っ掛けにはならないか?」
そう、この男に必要なのはこちらからの許しではない。必要なのは、彼自身が自らを許すこと――もちろん、この男の後悔のすべてが原初の虎に向けられたものでない以上、自分が気にしていないと言ったところで全ての重荷を外してやれるわけではないだろう。
とはいえ、唐突に彼らの前から居なくなってしまった男の意思がふいに聞けたというのなら、多少は感じる所もあるはずだ――いや、そうあって欲しい。
「自分を許すのは自分、か……そうだな、そうかもしれないな」
自分の願いが通じたのか、べスターは穏かな笑みを浮かべた。そこには卑屈さや自嘲的なものは感じられないが――しかしすぐにすました顔になり、煙を吸い込みながらこちらを見つめてきた。




