11-56:虎が存在した理由 中
「モノリスというものは……正確には、それらを知的生命体が発見するメカニズムはよくできていてね。ある知的生命体が進化の停滞期に入ったタイミングで発掘されるように巧妙に隠されていたんだ。
何故そんな風に隠されているのか、それはモノリスを最低限解析し、理解できるだけの科学技術を身に着けている必要があるからだ。モノリスは進化の停滞を打ち破るための装置であり……それらを活用すれば、人は更なる進化を遂げることになる」
「だが、お前はそれを秘匿した。それは、他の者たちに利益を享受させず、人々を支配するためか?」
「……そう思うかね?」
質問に対し、デイビット・クラークは今度は無表情をアラン・スミスへと向けてきた。
「いいや、思わないな。お前は人を支配することに対して何の興味もなさそうだ。ならば……高次元存在とやらを降ろすのに、人々が進化をしたら困るって訳だな?」
「その通りだ。戦後の社会秩序の構成は、偏に情報統制と技術の寡占により人々を形骸化し、その進化を抑制することにあった……とはいえ、我々は手を下さずとも、遠からぬ未来に人類は結局限界に来ていたと思うがね」
再びクラークが踵を返すと、スクリーンには古の遺跡や近代の絵画、白黒の写真などが映し出される――それらは人々の技術の進化の歴史を現すとともに、むごたらしい戦争の爪痕を映し出しているようだった。
「有史以来、人々は様々な思想を持ち、科学技術を発展させ、諸々の政治体制や経済体制を試してきた。しかし未だに人が生きるという哲学的命題に対する答えを出せていないし、タイムマシンも開発することはできなかったし、世界から貧困や格差、戦争を根絶することはできなかった。
それもそのはずだ。人類には肉の器という制限があり、拡大してみれば三次元の檻という限度が絶対的な壁として存在する。物質世界では光の早さを超えることはできないし、重力下では音速の三倍を超えるのですらやっとだ。要するに、我々の進化はこの辺りが頭打ちなのだよ」
「そんな……戦争前と比べたら、技術は格段に進歩している」
「それは、AIやアンドロイドなど電子計算に付随する技術や、通信系に関する技術ではな。ミクロの世界ではまだ発展する余地はあるだろうが、物質世界の壁を超えるという点では限界が見えている。
それに、ミクロの進化は、結局はある一定のルールの中でナンセンスに帰結する……人が自らの既得権益を守ろうとするがあまりに、人工知能の進化に抑制をかけるからな。ちょうど私が人類にやっているのと同じことだ。
それに、君自身が今、半分答えを出した……戦争が終わって二十年だ。そこから技術は飛躍的には進歩していない。要するに、人類は進化の袋小路に到達したんだ。それを打開するためのモノリスではあるのだが……同時に、上位存在達は我々人類に重い枷を課したのだよ」
「……枷だと?」
「一定ラインの進化を認められた知的生命体は、上位存在から独立した存在となる。我々は幼年期の終わりまでは……進化の袋小路に居るというのに高次元存在からしたら幼いというのも皮肉だが……神との繋がりがあるが、それを超えれば一つの独立した存在となるのだ」
右往左往していたクラークは、そこまで話したタイミングで椅子へと戻って深く腰掛けた。背後のスクリーンの半分にはモノリスの研究結果らしき文字列が、残り半分には旧世界の最後の世代達の生活の様子が映し出された。
「成程、モノリスの解析を進めれば、我々は停滞を超えて新たな境地へと達するだろう。しかし、それは三次元という枠の中での話だ……逆を言えば、我々は三次元の檻の中に閉じ込められることとなる。
もちろん、三次元の檻を超える一定の可能性はある。とくに魔術などは異次元の可能性を引き出す技術であり、突き詰めれば次元の壁を突破することも可能かもしれない。しかし、そんなことよりも早々に、全時空間を掌握できる可能性が目の前に転がっているのだ」
「それがお前の言う、高次元存在を降ろして我が物にする、ということか」
「うむ。高次元存在は、全ての時空間に干渉する力を持つ……それを手中に収めれば、高次元存在と同等の力を得ることとなる」
「……ますます分からん。それがテロリズムとどう関係性があるんだ?」
「それに関しては、まず停滞の先に何があるのかを説明する必要があるな。そもそも知的生命体とは、高次元存在の微細な粒子を肉の器に適応させた突然変異体だ。高次元存在の目的は、知的生命体を観察することで意味を定義すること……彼らは超常的な存在であるため、善悪の定義ができない故、三次元存在である我々を創り出すことにより、宇宙に意味を見出そうとしている。
だが、意味を生み出さなくなった知的生命体は失敗作として原初へと還される……つまり、進化を停滞させた人類を滅亡させるため、高次元存在がこの星に降りてくる。そのタイミングを狙って上位存在を逆にとらえてやろういうことだ」
クラークはそこまでほとんど呼吸を挟まず矢継ぎ早に言い切り、ようやっと一呼吸置いたと思うと、机の上で手を交差させ話を続ける。
「簡易な試算ではあるものの、モノリスの存在さえ秘匿し続ければ、悲観的に見てあと五十年、楽観的に見れば二十年もすれば人々の進化は真に限界に到達する。現に、その兆候はすでに見え始めている……先ほども言ったように、技術的な進歩は頭打ちに近い。そうでなくとも、ミクロ世界の発達に人類はついていけていないのだ。
人の脳が処理できる遥かに多い情報が一秒単位で飛び交う世の中、百億の人口が一斉に電子の世界で発言しうる世界において、人は何が善で何が悪で、何が良くて何が悪いかの判別すらできなくなってきている……いいや、元来から人は自分で何かを判別する力など持ち合わせていないとも言える。
思い返せばネットが発達する以前の世界では、マスメディアが情報の王だった。その前は政治的な権威が、その前は各国の王や宗教的な権威が……原点を辿れば、それは群れのリーダーであったかもしれない。
ともかく、百年以上前の世界は、ある程度は情報が統制されていた。人々は情報の権威者によって支配され、それらの中で善悪を判断すればよかった……一部の先進的なリーダーを除き、多くの者たちが考えなければならないことは非情にシンプルで明快だった。
しかし、今の世の中ではそれが破壊されてしまった。戦争により政治的権威たちの信頼は失墜し、マスメディアは前時代からその影響力を低下させ続けていた。
価値観が目まぐるしく変わる世の中に対し、自己を明確に持っていない弱者たちは、結局人々は特定のクラスターに所属し、影響力を持つ者の言うことを自分の意見と錯覚しながら、なんとか自らを賢いと思い込みながら生きているが……」
男の口元は手元で隠れていて見えないが、頬が僅かに釣りあがっているのだけは確認できる――何が面白いというのか、恐らくは人の愚かさをあざ笑っているのだろう。
「……そんな中で弱者が到達する最後の場所は、陰謀論であるとか終末思想であるとか、そういった荒唐無稽な破滅思想だ。言ってしまえば、思考の放棄ではあるのだが……彼らの中にあるちっぽけなプライドが、自分は世界の真理に気付いており、騙されているわけではないのだという唾棄すべきような自己弁護の殻にこもり、自分の無力感を肯定しているのだ。
自分が幸福でないのは怠慢によるものでなく、世界の構造にこそ問題があるのだという他責思考に縛られて、ちっぽけな自己を正当化しているのだ。そんな思想の行き着く先は停滞どころか破滅だ。私はテロリズムにより、そんな彼らの思い込みを後押ししているだけなのだよ」
そこまで言ってクラークは背もたれにその身を預け、虎の方へと手を差し出した。




