11-27:西海岸にて 下
「とりあえず今がその時じゃないのは理解したわ。代わりに、アナタが絵を描いていた理由を教えてくれないかしら?」
「その辺りは晴子から聞いてないか?」
「自分の見たものを絵で表現して誰かと共有したいって言うのは聞いているけれど……アナタの口からは聞いてない。もしかしたら、もうちょっと違った真意があるかもしれないじゃない?」
「そうだな……別に、晴子が言っていた通りではあるんだが……」
声が途切れるのと同時に、モニターの画面に間抜けなほど青い空が映し出される。
「……今にして思えば、俺は退廃していく世界の中にある感動するような景色を、何かに残しておきたかったのかもしれない」
「滅茶苦茶に抽象的だけど……続けて?」
「あぁ。俺はなんとなくだが、この世界が限界にきているように感じていたんだ。世界というより、人の限界というか……ただ、その勘もズレては無かったんだろうと思う。
戦後の政治不安に、アンドロイドとの共存による社会変革……そこから引き起こされる、人々の無気力な雰囲気。今にして思えば、それもDAPAによる緩やかな管理社会が引き起こしていたものだと納得できる。
いや……もしかすると、DAPAのせいですらないのかもしれない。仮に大戦が起こっていなくても、人類はいつかはこんな風に社会の成長に関する袋小路に直面していたのかもしれないな」
ある意味では、オリジナルもクラークも、同じ未来を見ていたのかもしれない。利便性と安全性が追求された結果、至る所に防犯カメラが設置され、マルチファンクション端末に記録されているGPS情報と信用情報、脈拍により、個人の居場所と経済力と健康を監視し、管理される世の中。それはDAPAが推進しなくとも、大戦前から推進されていたことであった。
また、個人で処理しきらないほど多くの情報が飛び交い、何が真実で何が間違いなのか判断するのが難しくなる社会において――同時に、労働の領域の一部をAIやアンドロイドに委譲した社会において、人々は技術の最先端にいるという自負の裏側に、人生における職業選択の自由を奪われてしまっていたのかもしれない。
要するに、技術は人に余暇を提示するどころか、その身に余るほど多くのモノを提示してしまったと言える。それこそが、進化の袋小路――肉の器にある者たちが直面する、人の持つ身体的なポテンシャルと社会進化の到達点。旧世界の人類は、そこまで到達してしまったのかもしれない。
そういう意味では、高次元存在とやらは実に巧みに知的生命体の在り方を計画しているとも取れる。宇宙に遥か彼方の宇宙に有人で進出できるほどの技術力を有するタイミングが、ちょうど知的生命体の一つのターニングポイントになりうる――そこで新しいモノリスという新技術を投入することで、進化の袋小路を脱却するように仕込んでいるのだ。
だが、デイビット・クラークはそれを旧人類の共有財産とせず、選ばれた者たちのみの間で秘匿したのだ。対するオリジナルは――自分にはその記憶はないのだが、きっとこれから彼が話す事柄に真意が隠れているのだろう。
「……俺が絵を描こうと思ったきっかけは二つあるんだ。一つは、小さいころに家族旅行で連れて行ってもらった地方都市の綺麗な街並みを見た時だ。その風景を見た時に、凄く感動してな。なんというか、懐かしさがあったんだ」
「懐かしい? 初めて見る風景なのに?」
「もしかしたら、本やネットで見た写真でデジャブを覚えただけかもしれない。でも確実に、俺はその風景に親しみを覚えたんだ。
高台から見下ろした、坂に並ぶ街並みと海と山とが、夕日に照らされる姿が綺麗で……ワガママを言って日が暮れるまで景色を眺めてて、両親を困らせたのを覚えている。
その感動は、成長してからもずっと胸に残っていてな。それを何かで表現したかったんだ」
「でも、写真でも動画でもなかったのよね?」
「あぁ、それらは自分の眼で見たものがそのまま映し出されるわけじゃないからな。遠近感や、時間によって変わる光の加減、風や虫の声などの音、その土地から感じる臭い……俺は自分の目で見たもの以上に、五感で感じたものを絵の中に閉じ込めたかったんだ。
もう一つのきっかけは……一つ目の理由と関係性はあるんだが、俺は前世紀の映画を見るのが好きだったんだが……」
「あら、べスターと同じ趣味だったのね。でも、絵を描くこととあんまり関係性を感じないけれど……どこが共通しているの?」
「懐かしさだ」
「懐かしさ……?」
含蓄ある言い方に対して普段は割と察してくれる少女が、珍しく本当に「意味が分からない」という調子で首を傾げている。
「あぁ。映画ってもんは基本フィクションだ。だが、事実の側面もある……それは、作られた当時の人たちの人間性や、当時を舞台にするのなら古い町並みであるとか、その時代の常識であるとか……作られた時代の背景を如実に映し出す部分があるんだ。
古臭いフィルムに映し出される映像からは、当時の懐かしい光景と同時に、今よりももっと活力のある人々が銀幕の中にいる。それはもちろん演技かもしれないが……今の時代で作り笑いをしている人たちよりも力強く笑っているように見えるんだ。
きっと、当時の人々は今と比較して、古い時代の人たちは未来に希望があったんだよ。それは、もっと金を稼ぎたいとか、今よりも良い生活がしたいとか、割と単純な欲求だったのかもしれない。だけど同時に、今より明日が良い日になるという確信があったんじゃないか……そんな風に思うんだ」
オリジナルはそこで言葉を切り――上手く纏まる言葉を探しているのだろう、「えぇっと、それで、つまり……」などウダウダと言って後――良い表現が見つかったのか、「そう」と明瞭な声をあげる。
「俺は懐かしさを絵で表現して、それを共有することで、人々に思い出してほしかったんだと思う。人間って言うのは、何か懐かしいものを見た時に感動する心があって……心が動くっていう期待こそが、明日に向かっていく活力になるんだってな」
そんなオリジナルにはそんな意図があったのか。クローンである自分の描きたいという衝動と照らし合わせてみても、なるほど、そんなに違和感もないような気がする。自分が風景を見た時に――とりわけ、心の動くような美しい光景を見た時に――筆を取りたくなったことを思い返すと、オリジナルの言葉に嘘もないように思う。
だが、実際の所はそれは半分と言ったところだろう。もちろんオリジナルは彼なりに、退廃する人類の精神に対して何か一石投じたいと思っていたのだろうが、別にそれは絵であることが絶対条件ではないはずだ。
要するに、単純に絵を描くのが好きというのが前提にあるのだ。何故なら、絵を描いている時の自分は充実していたから――その好きの延長線上に、世間に対する高尚な動機を置いただけに過ぎない。
きっとグロリアはそんな男の単純な動機も知らないで、腕を組みながら口を半開きにして驚いているようだった。
「なんだか意外ね。そんな高尚な理由で絵描きを目指していたなんて」
「なんだよ、悪いか?」
「いいえ、少し驚いただけ。でも、なんだか納得したわ。アナタはやっぱりそういう人なんだって」
「どういう意味だ?」
「自分のためじゃなくて、誰かのために行動する人なんだってことよ」
「そんなことないさ。絵を描くからには、俺だって誰かに絵を認めて欲しい訳だし……それに、そもそも自分が描きたいと思ってるものを描いてたんだから、全然ワガママだと思うぞ」
「そう。でもそれなら、やっぱりそのうちアナタの描いた絵を見てみたいわね……アナタ、どうしたの?」
少女が疑問の言葉を浮かべたのは、タイガーマスクの視線が少女の背後を見つめていたからだろう――アラン・スミスは、少女の背後に僅かに上る黒煙を捉えていたのだ。




