9-73:The Boy and the Tigers 下
「ひとまず、霧散しそうになった第六世代たちの魂をモノリスを利用して海に封じたよ」
「ふぅん……それは使い物になるのかい?」
「少し待ってくれ……今解析するから」
少年が解析を進める間、アルジャーノンは空中で胡坐をかき、頬杖をつきながらヘイムダルを眺めた。メインコントロールをアルフレッド・セオメイルに破壊されたものの、あの巨大要塞が空中に浮かべるのは人工の月からの特殊な重力と引力の操作によるものであり、落下は免れているようだった。フレデリック・キーツの助力なしには修復も大変そうだが――ひとまずは通信系が使えないだけで、軌道エレベーターとしての役割は保持できるだろう。
同時に、魔術神はヘイムダルに置いてきたルーナの動向を手繰った。先ほどのアズラエルの爆発に巻き込まれたはずだが、寸でのところで結界を張り、何とか生き残ったようだ。そこまで確認が済むと同時に、モニターの向こうから「簡単な試算は済んだよ」と少年の声が上がった。
「やはり想定していた量を確保できなかったせいか、このまま高次元存在の全容を捕まえるのは厳しそうだ。一応、魔術的なエネルギーに転換することも出来そうだけれど……」
「安易に使うのは止めておいた方が良いだろうな。折角集めたものを無為に消費することもあるまい……それで、計画の再開は可能なのかい?」
「残った第六世代たちの魂を採集出来れば、再開は可能だ。しかし、次はそう簡単にはいかないかもしれない……残った者たちは恩寵が一から三の者だけだからね」
「はは、恩寵、恩寵ね……僕らにとっては都合の良い数値だけど、第六世代たちにとってはそうでもあるまいに」
七柱の創造神たちは、管理しやすいように第六世代たちの各々の能力を数値化していた。その中でもとりわけ、恩寵とは信心深さを表す指標だ。高いものほど神や権威などの言葉に流されやすく、低いものほど己の信念を持っており流されにくい――ソフィア・オーウェルなど理性的で懐疑的なタイプが低く設定されているのはそのためだ。
実際に、黄金症に優先的に罹っていた者たちは、恩寵の数値が高い傾向にある。ジャンヌ・アウィケンナ・ネストリウスなど、恩寵が高くとも世界の真理に気付いた場合も例外ではない。彼女は世界から排斥されて育ってきた自らの出自を、チェン・ジュンダーの言葉を信じ込むことで正当化しただけなのだから。
此度の計画においても、恩寵の数値が一の者は高次元存在に取り込めないと試算はされていた。逆に、二以上の数値の者達を全て取り込むことで規定値に達すると見込んでいたので、今回は高次元存在を自在に操れるほどの数に満たなかったという訳だ。
ともかく、二匹の虎により、七柱の創造神たちの計画は中断を余儀なくされた。再開可能と言えども、障害もあるはず――ゴードンはそう思いながら後ろ髪を掻いた。
「今回生き延びた第六世代たちは、アラン・スミスの足掻きを見て生き残ろうと決意した者たちだ。かなりしぶといんじゃないかい?」
「あぁ、そうだね……とはいえ、彼らが迷える子羊であるということは変わり無いよ。感情なんて一時の物だ。今は強く心を持っていても、明日がそうとは限らないさ」
「ま、君のいうことも分かるがね。そう言った慢心が今回の失敗を招いた。その事実も認識しとかなきゃあなるまいよ」
「……楽しそうだね、ゴードン」
少年にそう言われて、魔術神は自分が自然とにやけていたことに気付いた。あと一歩のところで高次元存在を閉じ込めるという目的を達せなかったというのに、どうして自分は笑っていたのだろうか?
ゴードンは少し思案して、聡明な頭脳を持ってすぐに答えを見つけた。
「アンドロイドの爆発力には目を見張るものがあるからね。研究に明け暮れるのではなく、もう少し彼らを観察しておくんだったな」
元々、彼の目的は高次元存在を利用することではない。むしろ、永久に封印しようとしていただけ――彼の宿願は、絶対の存在と同等の力と知識を得ることであり、アンドロイド達の見せた爆発力こそ自身の目的に関する糸口になるのではと感じていることに気付いたのだった。
別に慌てることは無い。計画自体はあと一歩のところまで来ているのだから。自分はそれまでの間に、残ったアンドロイド達を研究するのも悪くない、ダニエル・ゴードンはそのように思い立ったのだ。
同時に、アンドロイド達がその魂を失墜させないかった原因を作った男――原初の虎に関して、ゴードンには不可解な点があった。
「しかし、高次元存在と繋がりがあると推定される彼が、なんでその高次元存在に歯向かったんだろうね?」
もう少し、彼のことを知っていれば判断もできたのかもしれないが――DAPA時代のゴードンは、アラン・スミスとの接点が無かった。旧世界においては魔術という存在がようやっと解明され始め、実戦投入されたのは彼の死後であり、きちんと会話をしたのは時計塔が初めてであったと言っていい。
ともかく、彼は何故に高次元存在の化身たる光の巨人に対して攻撃ができたのだろうか。高次元存在ならば彼の思想そのものに介入し、反抗するなどという考えを持たなくさせることもできたはずだが。
もちろん、高次元存在がアラン・スミスに力を与えているというのは、遥かの昔にデイビット・クラークがたてた仮説の一つにすぎないのであり、実際の所は違うのかもしれない――仮説の信奉者である少年もゴードンの疑問は解消できないのか、口元に手を当てて何かを考えているようだった。
そんな折、ゴードンの隣にもう一つのホロモニターが姿を現し――「そんなの簡単よ」という女性の声が聞こえ始めた。
「アナタ達と一緒で、親にたてついてるのよ。別に関係が良好だからと言って、喧嘩しない理由にはならないじゃない? まぁ、危険思想を管理していたアナタ達からすれば、高次元存在の考えなんて分からないって話でしょうけれど」
モニターに映る女性、リーゼロッテ・ハインラインは皮肉気に口元を釣り上げた。彼女の言葉が気に食わなかったのか、少年は無表情で――彼は平静に努めようとするとき、不愛想になる癖がある――口を開いた。
「リーズ……厄介なことをしてくれたね」
「虎を送り出したのは、私じゃなくてエリザベートよ」
「しかし、君はそれを止めることもできたはずだ」
「私の決着の邪魔をしたアナタがそれを言うの?」
女の返答に対して反論が思い浮かばなかったのか、はたまた何を言っても無駄と判断したのか、星右京はため息を吐いて口をつぐんだ。一方、リーゼロッテ・ハインラインは星右京に眼もくれず、先ほど光の巨人が健在していた方角を見つめ、光悦した表情を浮かべた。
「やっぱり、彼は最高だわ。まさか本物の神に喧嘩を売るだなんてね」
リーゼロッテはそう呟いて後、しばらく虎が消えた虚空を見つめ――自嘲気味な笑みを浮かべてから、モニターの方へと視線を戻した。
「それで、これからなんだけど……アナタ達に協力することにする」
「どういう心境の変化だい?」
「理由は単純。高次元存在を利用すれば、全時空間を掌握することが出来る……つまり、全盛期のアラン・スミスを蘇らせることだって可能よね?」
「……それを僕が許すとでも?」
旧世界における彼の活躍を見ても、先ほどの奇跡を見ても、原初の虎という不確定因子があることは――感情は別として――計画において望ましくない。合理的な星右京がそのように考えるのは自然な流れだった。
同時に、少年がそのように考えていることなど、リーゼロッテ・ハインラインは見透かしている――それ故、女は肩をすくめながら首を振った。
「思わないわ。でも、どうせ我々は蠱毒の虫……人類の持つ欲望の坩堝の中で生き残り、己の欲を満たすためにたった一つの空席を狙っている卑しい存在に過ぎない。どうせアナタ達も事が終われば周りを欺き、邪魔者を排除しようとしているのでしょう?」
「……違いない。要するに、高次元存在を降臨させるまでの協力関係か」
「えぇ……まぁ、そんなことは今に始まったわけではないけれど」
そう、最初から七柱の創造神たちの協力関係など、見せかけの物であった――この世界のシステムに懐疑的だった伊藤晴子に欲のないフレデリック・キーツ、研究欲から協力していたファラ・アシモフを除いて、星右京、ダニエル・ゴードン、ローザ・オールディスら残った者たちは、己の目的を満たすために相互に各々を利用していた。ただそこに、高次元存在に興味のなかったリーゼロッテ・ハインラインが加わったに過ぎない。
要するに、最後に笑う者は一人という構図に関しては、何一つ変化はないのだ――むしろ、レムのAIを停止してしまった今、星右京はモノリスの制御に手一杯であり、高次元存在を降ろすまでは協力者が増えるほうがありがたいのは確かだった。
「それじゃあ……今しばらく、見せかけの協力関係は継続だ。どうか頼むよ、ゴードン、リーズ」
二人が頷いたのを見送ってから、少年は宙を指で切ってモニターを閉じた。そしてただ一人残る塔の最下層で、永久に眠る妻の棺の前までゆっくりと歩き――自分のしたことに吐きそうな心地になるのを抑えながら、宇宙に沈黙をもたらす決意を新たにするのだった。
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