9-72:The Boy and the Tigers 中
「アルフレッド・セオメイル……!」
少年がその名を呼んだ瞬間、銀の流線が室内を走り――高速演算によりその速度に反応し、再度JaUNTをして跳躍して機材の方へと飛ぶと、エルフの男と位置が入れ替わる形になる。
「貴様に刃を向けるのは、これで二度目だな」
エルフの男は外套で口元を隠し、冷静な声で弓を番えている。しかし、その声色とは裏腹に、その眼には怒りの炎が燃え上がっていた。
「何故、アラン・スミスの映像を世界中に流し続けたんだい?」
「何故だろうな……私にも分からん。だが、生きとし生ける全ての者達が、あの声を聞く価値があると……そう思ったのだ」
「……声?」
音速で動いているアラン・スミスの言葉は、音にならないはず――そう少年が訝しく思っているのと同時に、頭の中に聞きなれたあの人の声が聞こえ始めた。
『……俺は諦めねぇぞ!!』
何故突然あの人の声が聞こえ始めるのか――詳細は不明だが、少年は一つの仮説を立てた。恐らく、健在した高次元存在を通して、今この星に残る全ての者たちに対してアラン・スミスの声が――正確に言えば思考が共有されているのではないかと。
その仮説は正解だった。虎の声は、この星の全ての者たちに聞こえている――それは虎が旅してきた全ての村や街で黄金症に落ちずに残る僅かな人々や、脱出ポッドの中で目を覚ました銀の髪の少女も例外ではなく――セブンスは意識を取り戻すとすぐに、脱出装置の小さな丸い窓に張り付いた。
彼女は直感から、今の声がアラン・スミスの物であることと、彼が命を掛けて最後の戦いに挑んでいることに気が付いた。同時に、友であるソフィアとの約束を――彼の支えになるという誓いを反故にしてしまったことを悔いた。
『この世界は終わりなんかじゃない! この世界に生きる人々は、愚かなんかじゃない! ただ、そう見せかけられたいただけだ!』
同時に、狭い脱出装置の中で、エルフの老婆は自らのしわがれた手をじっと見つめながら男の声を聞いた。我が子らの本来あるべき成長の姿を阻害していた自分を責められているようで顔を上げられなかったのだ。
しかし、それでは道を切り開いてくれた者たちに申し訳が立たない。アズラエルの言う通り、何の因果か残ってしまったこの命にも、きっとまだ役割がある――それに、本来は同じ世代を生きた原初の虎は、自分の子供たちの未来を諦めていないのだ。
それならば、今ここで後悔に溺れて潰えるのではなく、子供たちの可能性を信じなければならない。そう決意を新たにし、老婆は顔を上げた。
『確かに、この星の人々は過ちだって犯すことだってある……まだ己の力で立つだけの強さはないかもしれない。それでも、きっといつか成長して、自分の足で立ち、進んでいくことが出来るはずなんだ!』
雲を突き抜けて落下を続ける二人の少女にも、虎の声は届いていた。ティアは彼の最後の時に駆けつけられなかった悔恨を感じつつも、彼の強さに熱い物がこみ上げてきていた。絶対的な存在に対して、ただ一人駆け抜ける赤い炎を見つめていると、まだ世界は終わっていないのだと――いや、終わらせるものかという想いが沸いてくる。
刹那、聞こえなくなったはずの半身の存在を強く感じた気がした。心の中で彼女の名を呼んでも返事は返ってこないが――きっと、クラウもどこかで彼のことを感じているのだ。大切な半身を取り戻すまで潰えるわけにはいかない。
ティアの手に力が籠ると、アガタは頷きながらその手を強く握り返す。そして海面に激突する直前で、アガタは友の体を強く抱きよせ――水面に六枚の結界を展開させたのだった。
『俺が可能性を見せてやる……だからこの星から立ち去れ! 光の巨人!』
その声が聞こえたと同時に、なお一層熱く燃える輝きが光の巨人の心臓部分へと突き刺さる。虎の咆哮に呼応するように、集合していた金色の粒子が分裂を始めている。このままでは全てが水泡に帰す、少年はそう判断し、次善策を打つために海と月の塔へと戻ろうとする、その瞬間――。
「星右京、覚悟!」
空間へと亀裂を作った瞬間、少年の背後でもう一匹の虎が吠えた。復讐者の矢は少年を穿つことなく、右京は跳躍に成功し――波動砲がヘイムダルのメインシステムを呑み込み、同空中要塞の最下層で大爆発が巻き起こった。
その爆発に巻き込まれるよりも早く、T3は奥歯を噛み、先ほどリーゼロッテが切り開いた穴から外へと脱出した。
「アルフレッド・セオメイル……やってくれたね」
T3は聞こえてきた声の方へと振り向くと、魔術神アルジャーノンが笑いながら――そう、計画を邪魔された怒りでもなく、夢の実現が遠ざかった悲しみでもなく、ただ純粋に楽しそうに目を細めている――レバーを引きながら杖の先端を突き出してきた。
「僕らは君たち二匹の虎にしてやられた訳だけれど、これは偏に僕らが慢心し、君たちを過小評価していた報いってわけだ……しかし、僕の時間を奪ったその罪、命を持って償ってもらおうか!」
叫ぶのに合わせ、壮年の周りに七つの魔法陣が浮かび上がる。空中戦では足場がない分、こちらの分が悪い。絶体絶命か――T3の脳裏には一瞬だけ諦めが浮かんだが、先ほどのアラン・スミスの諦めの悪さを思い出すと同時に、反射的に奥歯を噛んでいた。
見れば、先ほどの爆発のおかげか、辺りには足場になりそうな破片が舞っているではないか。魔術神に肉薄するには位置が遠く、同時に奴は精霊弓の一撃を曲げるので、この場は退散を選ぶべきか――T3はそう判断し、近場にある足場を蹴って、下へ下へと跳躍を繰り返した。
アルジャーノンの側としても、虎が撤退することを考慮に入れ、追尾性の高い光弾の渦を発射していた。それらの内、何発かはエルフの青年の身体に命中した手ごたえはあったが、同時に大半は波動弓により相殺されたようだった。
「……やったかい?」
少年から入った通信に対し、魔術神はため息混じりに首を振った。
「いいや、逃げられたようだ……だが、何発かは当たったし、この高度から海に激突するんだ。無事では済まないだろう」
アルジャーノンは杖から排莢しつつ、隣に浮かんでいる小さなホログラムのディスプレイに視線を移す。その先では、星右京が海と月の塔のコンソールに向かって何かを高速で打ち込んでいるのが見えた。
「それで? 今回の実験も失敗かい? この星のモノリス群を考えれば、今回以上の好条件は中々厳しいと思うが……」
「いや、こんなこともあろうかと、策は用意しているよ」
少年がキーボードを強く打ち込んだ瞬間、海面が妖しく煌めき始める――正確には、深海に群立しているモノリスが、少年の出した指令を基に何かの動作をし始めたのだろう。
少しすると、霧散しかけていた金色の粒子たちが、海に誘われて溶けていき――空の青を写していたはずの海面は、淡く金色の光を放って輝きだした。




