9-71:The Boy and the Tigers 上
海と月の塔の最下層、海底に位置するその場所で、少年は無数のモニターと機械に囲まれて一人作業を続けていた。本来ならばAIの力を借りるべき作業量なのだが、彼はそれをしない――少年は自分以外の何者をも信じないからだ。
とはいえ、彼はこの状況を三百年前から予見していたのであり、モノリスを動作し高次元存在を海の降臨させるための無数のプログラムを製作していた。彼はそれらのプログラムを起動し、制御し、時に修正するだけで良い――それ故に一人でどうにか作業を進められる形を取っていた。
惑星レムの海に高次元存在を降臨させると言っても、全時空間を股に掛ける絶対的存在の全てを降ろせるわけではない。しかし、まずは全体の内の幾分かを捕らえるだけでも良い。高次元存在の欠点は、全ての時空間に存在するという点にあるのだから。
どこにでも存在するが故、本来ならばどこからでも介入できるはず――それこそ、少年に宿る魂からでも動作は出来るはずなのだ。しかし、人一人の存在は全宇宙、全時間、全空間という規模間に対して余りに無力であり、神に働きかけるには一定の規定値を超えるだけの量を捕らえる必要があったのだ。
同時に、魂を――便宜上魂と読んでいるが、実体としては世界に意味をもたらす理性という方が正しい――能動的に捕えて制御することは難しい。主神から分けられた理性というものは光よりも微細な素粒子と考えられており、それを一つの場所に捕らえられるだけの器は本来存在しないのだ。ただ一つ、光の巨人という存在を除いて。
そして、その規定値はもう少しで超えそうだった。惑星レムに置ける知的生命体のうち、既に全体の六割が既に魂を返し、高次元存在がそれらを取りまとめている。規定値を超えるにはもう少し――それも、次第に肥沃化していく巨人に当てられれば、残りの第六世代たちも生きる希望を失い、その理性を神へと還すだろう。少年はモニターに表示される、第六世代型アンドロイドが黄金症に罹る数を現すデジタル盤を見ながら満足げに頷いた。
ようやく自分の宿願が果たされる。それは正常な倫理観からはかけ離れており、何度かその願いを諦めようと思ったことはあった。しかし、結局は巡り巡って、少年の心はある種の積極的な破滅願望へと立ち返ってしまう。
それは主に彼自身のためであるが、同時に少年は心のどこかで、その破滅は全ての知的生命体の救済に繋がるとも確信していた。妻を愛していたのも本当だし、子を不憫に思う気持ちだって嘘ではない。
それと同じくらい、少年には虎を悼む気持ちがあった。アラン・スミスを存分に利用したのは自分自身であっても、同時に彼の在り方があまりにも不憫だった。願ってもいないのに蘇らせられ、しかし不平の一つも漏らさず、誰かのために走り続けなければならないなどと言うのは、あまりにも不条理であるようにも思っていたのだ。
それだけが本心なわけではないのだが――そしてそのことは、聡明な少年は自覚しているのだが――それでも我が宿願は彼を救い出すことでもあるのだと自身を納得させ、かような決断をしたのだった。
少年の本当の目的を知っているのは、世界でたった三人しかいない。正確には、現存するのは一人――魔術神アルジャーノンこと、ゴードンだけだ。彼に本心を伝えたことがある訳ではないが、彼と自分は幾分か性質も近い部分もあり、また万年という時間もあったのだから、彼ならば察しているだろう、少年はそう確信していた。
「首尾はどうだい?」
作業を続ける傍ら、少年の顔の近くに通信用のホログラムモニターが現れる。そこにはアレイスター・ディックに宿るゴードンの顔が、広大な空を背景に映し出されていた。
「順調さ。想定通りの動きを指し示している。そちらは?」
「ホークウィンドとアズラエルは仕留めた……というより、両者とも自爆だがね。女子供は脱出したようだ」
「アルフレッド・セオメイルは?」
「今から追うところだが……屋内だと探すのが大変だ。君の方で何とかできないか?」
「残念ながら、こちらは手が離せない。位置は教えるから……」
少年はそこで言葉を切って、エルフの復讐者を探すために別のモニターに視線を戻す。その瞬間、デジタル盤に浮かぶ数字の上昇スピードが露骨に低下していることに気付いた。ゴードンの「どうしたんだい?」という質問に対して少年は振り向かないまま、ただじっと数字を凝視し続けた。
「第六世代型達の魂が収束するスピードが落ちている。これは一体……」
「……まさか、アレが原因か?」
ゴードンの言葉に別のモニターに視線を移すと、そこには光の巨人が映し出されていた。正確には、光の巨人の周りを走る、燃えるように走る赤々とした流線が眼に入ってきたのだ。
「……先輩!?」
予想外の光景に、少年は珍しく驚愕の声を上げた。まだ動けたというのか。それより、どうして彼はあんな所にいるのか――少年に思い当たる節は無かったが、ゴードンにはあるようであり、モニターの奥の壮年は顎鬚を撫でながら口を開いた。
「先ほど、リーズがヘイムダルの残骸を撃ちだしているのが見えた。決着を台無しにされて、腹いせに物にでも当たっているのかと思ったら……」
「つまりリーズが、アラン・スミスに助力したと?」
そう互いに話しながらも、音速を超えて燃え続ける虎から視線を離せなかった。世界の終焉に絶望することなく、神にすら抗い、たった一人で走り続けるその姿は、あまりにも強く、峻烈であり――世界を終わらせようとした側の少年ですら、その力強さに心を打たれるものがあった。
(あぁ、アナタは本当に……)
自分ですらこみ上げてくるものがあるのだから、この映像を見ている他の知的生命体達も同様の気持ちを抱いているに違いない。ともかく、第六世代型達の絶望を加速させるために映像を世界中に流していたのだが、それが仇になった訳だ。
そうとなれば、この映像は早々に切るべきだ。少年はそう判断し、ヘイムダルのコントロールから映像を切るよう操作を始める。世界中に流されている映像は、ヘイムダルのシステムで撮影されたものを世界中に映し出しているものだからだ。
しかし、何者かがヘイムダルのメインシステムを動作をしているらしく、こちらからのコントールを受け付けなくなっていた。本気でハッキングを仕掛ければ、わざわざ出向く必要もないのだが無いはずなのだが――焦りもあったのだろう、少年は直々にメインシステムを操作している者を止めるため、先ほど妻とその兄と邂逅したヘイムダルの最深部へとJaUNTした。
空間の亀裂から覗くのは、荘厳な機械群の前で機材を操作する銀髪の男だった。




