9-69:私たちの旅路の果て 中
「ちょっとアナタ、何をするつもり?」
「あと一回だけ、ADAMsを起動できる……それなら、最後まで抗って見せないとな」
「……もういいじゃない!」
相手の言葉を脳内で処理するよりも早く、感情が自分の口を動かしていた。先ほどの釈然としない気持ちが尾を引いていたせいか、はたまた一緒に終わろうと思っていた所を台無しにされたことに自分は逆上してしまったのか――いや、もっと単純な理由だ。
「アナタだって、出来ることをやってきた……いつだって、誰かのために必死で、何度も死にかけて……なんでアナタばかりが辛い思いをしないといけないの!?」
そう、もう彼にこれ以上の無理をして欲しくなかったのが一番。いつだって誰かのためにボロボロになっている彼だけが、まだ諦めずにいる。それが理不尽で、悲しくて、切なくて、つい大きな声が出てしまったのだ。
こちらの必死の言葉にアランは一度驚いた表情を浮かべるものの、またいつもの微笑に――私を安心させるために、無理してないという調子の作り笑顔で口を開く。
「ありがとう、エル。でも、俺は何もしないまま終わりたくないんだ」
「馬鹿! アレを相手に何をしようっていうの!? あんな巨大で、実体もない、光の塊を相手に何ができるって言うのよ!」
「そんなの、やって見なきゃわからないさ」
「分からない……分からないわ。私は、アナタのこと、全然分かってなかった……」
「何って、誰かが一人でも生き残れるように……」
「私が聞きたいのはそんなことじゃない! アナタは、なんでそんな風に……誰かのために戦っているのよ……アナタに何の得も無いじゃない……」
度々不思議に思っていた。それを、彼はそういう人だからと考えないようにしていたのだが――実際の所、彼の正義感は行き過ぎているように思う。我欲が無さ過ぎると言い換えても良いだろう。
貴族の生まれであり、同時に冒険者稼業もそれなりに長かった自分としては、人見知りなりに多くの人々を見てきたはずだ。彼はその見てきた人々の中でも、群を抜いて欲が無いのだ。
もう少し正確に表現するならば、彼の一挙一動は誰かのためにあろうとする。それも徹底的にだ。口調や態度は乱暴な面もあるが、それでもその行動のほとんどが滅私奉公であり、自分の願望というものが見えない。
乱暴な言い方をすれば、彼は異常だ。それはある意味、類まれなる暗殺術を操り、武神と対等に渡り合うほどの実力を持っていること以上にあり得ないことのように思う。
万年を生きてきた七柱達だって、己の欲を捨てきれていないのに――いや、それはむしろ健常なことだろう。誰だって願望があるから生きている。それは、死にたくないとか、消滅することが恐ろしいとか、消極的な願望だって良い。しかし、己が傷つくことを恐れず、時には心臓すら捧げる彼には、生物として最低限の欲求すら希薄であるように思う。
そう、彼はいつだって自分のことは後回しなのだ。彼の主体性はただ「誰かのため」という一点にあり、自身のことなどついでくらいにしか考えていない。むしろ誰かのためなら己の危険など顧みず、渦中に踏み出していってしまう。
そんな思考が一気に押し寄せ――怒ればいいのか、憐れめばいいのか、悲しめばいいのか――感情を処理しきれなくなったせいか、気が付けば視界がにじんでしまった。同時に、涙の先にある彼の不器用な作り笑いをしているのが、ありありと想像できた。
「……あるさ。俺は、この世界と、君たちのことが好きだからな。まぁ、守れなかったモノもたくさんあるが……」
「そんなの理由になってない! 誰がアナタに戦ってってお願いしたの!? この世界の終わりに……いいえ、だってもう一度走ったら、アナタは、もう……!」
「俺にはそれしかないんだ。記憶のない俺にとっては、この星で目が覚めて、君たちと出会ったことが全てなんだから」
そこまで言って、彼は跪いて自分の頬を伝うものを残った右手で拭ってくれた。そして再び立ち上がると、また寂しげな笑顔を浮かべながらどこか遠くを見つめた。
「もしかしたら、オリジナルには夢があったのかもな……それがなんだかは、なんとなくだが分かってるんだ。でも、それは俺の夢じゃない。名も知らないオリジナルが見たものであって、俺はその夢の残滓に過ぎないんだ」
ふと、今更になって思い出す――私は、彼が絵を描いている時が好きだったことを。それはきっと、彼の人間性が垣間見える時だったからだろう。絵を描いている時だけは、彼は自分のためだけの時間を過ごしていたから。
大自然を背景に、カンバスに向かっている時だけが、唯一彼の人間性が垣間見えた瞬間なのかもしれない。そしてきっと、それこそが、彼の言う夢の残滓なのではないか。
(別にいいじゃない……オリジナルは既にいないのなら、アナタがその夢を引き継いだって……)
そう喉から出掛かったが、そんなことを言うことは今の状況において余りにもナンセンスだろう。今、まさしく世界が終わろうというのに、夢だ何だというだなんて、余りにも悠長過ぎる。
「今の俺は、原初の虎……アラン・スミス。旧DAPAの幹部を暗殺するために磨いた暗殺術と、戦う力を引き継いだ、ただのクローン……そんな男の願いはただ一つの願いは、この世界の破滅を防ぐこと……それだけだ」
男はそう言いながら、金色の巨人を真剣な面持ちでじっと見つめていた。その顔を見ていると、癪な気持ちがふつふつと湧き上がってくる――彼は結局、自分だけを見てくれなどしてはくれない。
彼の優しさや親愛の情は、公平なのだ。独り占めなどできない。それが最後の時であっても――いや、最後の時であるからこそか。
(でも、私はそんなアナタのことが……)
結局、私が求め続けたアラン・スミスとは、こういう男なのだ。いつだって誰かのために一生懸命で、何かを守るために走り続ける――そんなところに惹かれたのだから。
こちらの気も知らないで、アラン・スミスはなんだか間抜けな表情で、巨人の方を指さし始めた。




