9-68:私たちの旅路の果て 上
頬を撫でる冷たい風に眼を開くと、目の前には彼の顔があった。その視線ははるか遠くの彼方を見つめており――気配に敏感な彼にしては珍しく、こちらが目を覚ましたことに気づいていないらしかった。
「アラン……」
「……エルか」
声をかけると、アラン・スミスはこちらへ視線を落として微笑みを浮かべた。ベアヴォルフエアヴァッフェンを使用していた時と同様に、今回も意識はずっとあった――武神リーゼロッテ・ハインラインが見た風景や聞いた音、そしてその感情もずっと共有されていたのだ。
本来、器である自分の人格は消すことも可能であるとリーゼロッテからは言われていた。しかし、敢えてそれはしないと。
『私の邪魔をしないのであれば、わざわざ人格をイレースする意味もない。それに、アナタのぐちゃぐちゃな感情、結構好きだからね……敢えて消さないでおくことにする。
もちろん、アナタが消滅を望むのなら、いつでも人格と記憶を消去してあげるわ。消えたくなったら言って頂戴』
情けをかけられているとも思ったが、同時に自ら消えたいと言うだけの勇気もなく――結局こうやって、いつものようにただ流されるままここまで来て、リーゼロッテが意識を失ったのと同時に現れた形だ。
そんな浅ましい自分に自己嫌悪を感じつつも、目を覚まさずにはいられなかった。これが、最後のチャンスだと思ったから――彼に謝るのも、そして彼と話せるのも。自分を抱えてくれている彼の身体がボロボロなことも、自分は既に知っているのだから。
「えぇ……その……」
「謝らなくていい。君は君にできる全てのことをしたんだ。悪いのは七柱と……君を護れなかった俺自身だ」
彼は首を振りながら自責の言葉を口にするが、それに関しては釈然としないものがある。敵に利用されている自分が何かを言う権利もないのかもしれないが、彼だって自身にできる最善を尽くしてきたはずなのだから。
単純に、彼の最善が星右京に届かなかっただけ――いいや、そんな風にも思いたくない。事態はもっと単純なのだ。アラン・スミスはその身一つには有り余る程の奇跡をたくさん起こしてきた。要するに、足らなかったのは彼の実力ではなく、むしろ彼の周りに居る者の実力という方が正確なように思う。
もちろん、一万年の時を生きてきた七柱の創造神という存在は、ただの地方領主の娘に過ぎなかった自分の手に負えるものではなかったと言えばそれまでかもしれない。ソフィアだってクラウだって、そんな中で出来ることはしてきた――そのうえで、自分たちの力が届かなかっただけと言えばそれまでかもしれない。
それでも――彼が自分を責めることだけは違うと思うのだ。一番ボロボロになりながら戦い続けた彼が責められるのは――それが自責であっても――違うと思うのだ。そして同時に釈然としない気持ちが沸いてくるのは、恐らくだが彼の傲慢に向けられたものでもあると思う。
アラン・スミスという男は、自分さえ頑張れば世界を変えられると思っている節がある。いつだって俺が悪いと言う彼は――ある意味では優しく自責の念が強い人とも言えるが、それは同時に誰のことも信用していないことの裏返しでもあるのではないか。だから、彼は他人を責めることはしないのだ。
とはいえ、他人を変えることは難しいし、結局自分しか世界は変えられないと言えばそれまで――そのうえ、彼にはそれだけの実力もあったのだから、こんな風に怒りの感情を覚えるのも違うかもしれない。
結局、彼が背中を預けられるだけの実力のある者が、自分たちの中に居なかったのが悪い。だから、彼は全てを一人で背負いこみ、一人で走り続けるしかなかったのだ。
そもそもとして、彼や仲間たちに憤ることだって筋違いなのだろう。七柱の創造神たちがこのような計画を立てなければ――リーゼロッテ・ハインラインと記憶が共有されたことで、ある程度の事情は自分も認識済みだ――誰も彼もがここまで苦しむこともなかったのだから。
しかし、その苦しみだって、今終わる。感情は落ち着かないまま思考が一巡し、彼の腕から離れ、座ったまま彼が真剣な眼差しで見つめる先を自分も眺めた。
「光の巨人……世界の終りね」
自分はこの光景を見るのは初めてのはずだが、記憶の中には類似するものが存在する。リーゼロッテ・ハインラインがエディ・べスターを倒した後、終わり行く世界の中で一人眺めた金色の巨人。正確に言うと、その身体の密度はそこまでではなく、目を凝らしてみれば透けて見えるほどだ。粒子が流体のように蠢いており、皮膚を剥き出しにした動物のようなグロテスクさと、同時にどこか神秘的な雰囲気を併せ持つフォルムをしている。
人智を超えた存在を形容するのには、自分の語彙では少々足らないように思えるが――ともかく、アレが世界に終わりをもたし、本来なら自分たちになど扱えない絶対的な存在であるということは、本能的に察知することが出来た。
しかし、こんなことを思うのは不謹慎かもしれないが、自分は幸運であったと思う。世界の終わりを彼と見届けることが出来るのだから。もちろん、この後は右京達がアレを海に閉じ込めようと画策しているのだし、本当に全てが終わるわけではないのだが――彼の最後の時に、自分は側に居られるのだから。
最後の時が終わったのなら、後はリーゼロッテに意識を消去してもらうように頼めばいい。もし彼女も消滅を望むのなら――今度こそ勇気を出して自刃するのも覚悟しなくては。結局いつも自分は優柔不断で、最後の最後には決意も揺らぐかもしれないが――ともかく、今は彼との最後の時を大事にしたい。
そんな自分の気持ちも知らないで、アラン・スミスはおもむろに立ち上がった。そしてあろうことか、残っている左腕をゆっくり回し、拳を開いたり握ったりしていた。何より、巨人を見つめるその眼には、絶望の色も諦念の色も浮かんでいなかった。




