9-60:二度目の落日 下
右京の狙いはこれだったのだ。狙いは二つ――ひとつは邪神が敗れたという喧伝をして一瞬の希望を持たせること。そしてその希望を、神々の怒りという素早く筋書で折りにかかったのだ。
信心深いレムリアの民にとって、神々に見放されるということが――しかもそれが、魔王征伐後で社会が疲弊しているこのタイミングでは――どれ程の失望感にさいなまれるかは自分には想像できない。
そして神々の怒りという筋書きは、すでにアルジャーノンの第八階層魔術によって引き起こされた災害と、各地に放たれた第五世代型アンドロイド達によって実演済み。何より、創造神に自身が無価値と言い放たれることは――自らの親に存在価値を否定されることは、被造物である第六世代型アンドロイド達にとって耐えがたい絶望に感じられるのではないか。
旧世界の宗教では、神々の怒りで世界が滅ぶというのはよくある筋書きだった。そうすることで宗教者は自分たちの権威を高め、為政者は人々の行動を律しようとしたのだろうが――この世界の聖典には、神々の勝利という記述しかなかったはずだ。そうなれば、神々が自分たちに失望していると告げられるなど、レムリアの民たちは露にも思っていなかったはずであり、唐突な創造主の裏切りは、世情と併せて彼らの心に深い絶望を落とすに違いない。
この筋書きは、アシモフから共有はされていなかった。彼女が隠していた訳ではなく、恐らくこの構想は右京の中だけにあったのだろう。本来なら三千年かかる人々の精神的な停滞感を、彼は神々の失望という演説の中で演出してみせたのだ。
しかし、嘘ばかりの右京の演説の中には、幾分か真実も含まれているように思える。力ある者に頼り、何も成さない人々に対する絶望というくだりには、彼の本心のように思うのだ。その証拠に――。
「君たちが真に祈るべきは、我々でなく彼のような英雄にだったんだろう。君たちがどんなに弱くとも、どんなに憐れでも、どんなに愚かでも……彼は決して君たちを見放さなかった。そして、仲間たちを失ってなお、たった一人で戦い続けた……そんな彼の末路がこれだ。
あまりに悲しいだろう? 世界でたった一人、彼だけが全ての命の重責を背負って、戦い続けていたなんて。君たちはそんな事実も知らないで、ただのうのうと生き、誰かが世界を勝手によくしてくれるのを期待していただけ……そんな愚かさこそ、救い難い罪だと思うね」
言葉の中に現れる彼というのは、自分のことを――アラン・スミスを指しているのだろう。聞こえてくる音声は無機質なままだが、何となくだが感情が籠っているような感じがした。
『……勝手に憐れんでるんじゃねぇぞ、右京』
自分は別に、世界に対する責任を負おうなどと自惚れているつもりはない。ただ、手の届く範囲で――自分が駆けつけられる範囲で、やれることをしてきただけだ。それを、アイツは勝手に拡大解釈している、それが気に食わなかった。
同時に、やはり彼の本心を知りたいとも思った。彼の行動や言葉にはあまりに嘘が多すぎて、その心を見通すことが全くできない――しかし、もし彼が真に独善的で傲慢な人間であるのなら、きっと自分の行為を憐れむ様なことをせず、無意味と一笑に付したと思う。
恐らく、右京の失望は本物なのだ。日の当たらない場所で、誰かのために戦い続ける者が居る――人々はそれを知らずに生き続けている。みずから世界を良くしようとするわけでもなく、誰かの血によって築き上げられた平和にただ乗りする人々に対する失望がある、そんな風に思う。
もしかすると、右京は期待をしていたのかもしれない。こんな管理社会を創り出した張本人がそんなことを考えるなどと矛盾している気もするし、同時に無茶な期待をするんじゃないと言いたいところだが――むしろこんな世界だからこそ、肉の器にある人という存在が強い心を持ち、自らの足で立ち上がることを右京は期待していた、何故だかそんな風にすら思える。
しかし、すべてが遅かったのだろう。再び鐘の音が聞こえ始めると同時に、突如として天から雲海へと金色の光が降り注いできた。その光は雲を割り、下界の様子が一気に顕わになる――降り注いだ煌めきは海面へと広がったかと思うと、そこに集まるように金色の粒子が集まってきていた。
そして、自分を映し出していたスクリーンが切り替わり、世界各地の様子が点々と映し出される。王都で、海都で、自分が旅をしてきた街や村で、人々の体が金色の羽毛へと呑み込まれ、そしてそこからあふれ出る粒子が、海中に射す光の柱へ向けて飛ばされてきているのだ。
「さぁ……失敗作諸君。君たちの魂を主神へ……あるべき場所へと還すがいい」
その言葉と共にスクリーンが光の柱付近の映像に切り替わり、世界中から集まった光が柱を中心に形をとり、それは次第に四肢と頭を持つ、巨人のような姿へと変わっていった。恐らく、これは宇宙が体験する二度目の落日だ――旧世界を終わらせた光の巨人が、レムの海に降り立ったのだから。
次回投稿は10/29(土)を予定しています!




