9-54:星と海の神々 上
アランとリーズが去って後、管制室には自分と右京のみが残った。右京のみと言った方が正確ではあるが――自分の姿はホログラムであり実態もないのだから。
とはいえ、自分が意識を目の前の男に注いでいることには変わりない。本来は自分の管理者である右京を捕えておくには、リソースの多くを彼に対抗するのに割く必要がある。天才ハッカー星右京は、こうしている間にもこちらの術式を破り、レムのモノリスのプログラムを突破しようと電脳戦を仕掛けてきているのだから。
しかし、水面下では恐ろしいほどの速度で拘束を解く演算をしているはずなのに、右京は涼しい顔をして笑っていた。
「何がおかしいんですか?」
「ふふ……いや、君のそういうところは、改めて良いなと思ってさ」
「そう……私はアナタのそういうところ、改めて良くないと思いますよ」
自分の返答がお気に召したのか、右京は微笑んだまま頷いた。
「しかし、こう夫婦水入らずで話すなんて、実に三千年ぶりか。どうだい、調子は」
「……まだ私のことを妻と思っているんですね、アナタは」
「もちろん。君は自分をAIだと思って謙遜しているようだが、あの頃と何一つ変わらない……芯が強くて、なかなか僕の思い通りになってくれない」
微笑む少年の顔を見るのは、胸が痛む思いがする――その理由は余裕な表情を見せていることに対してというよりも、彼の姿そのものにある。
「……怒っているのかい? この素体を利用していることをさ」
「気分が良いとは言えませんね。何せ、生まれてこれなかった我が子の遺伝子から創り上げた素体に、他人の脳が移植されているのですから」
右京が宿っている素体の正体はそれだ。元々、自分のオリジナルである晴子の身体が事故の後遺症により母体として適切でなかったということもあり、死産してしまった我が子――その遺伝子を培養し、少年の姿を取っているのが、今の星右京という訳だ。
彼が自分たちの子を脳を移植した理由も推察は出来る。彼は恐ろしいまでに自己肯定感が低かった。だから、自分自身のクローンを素体とするのは耐えられなかったのだろう。同時に、死産したこの成長した姿を知る者は誰もいなかったのも、此度の偽装工作に一役買っていたのだ。
そして、自分がDAPAに与していたのはこのことも無関係ではなかった――そのきっかけ自体が彼であり、向こう当然こちらの事情だって認識している。
「君だって一度、いや二度は高次元存在を追い求めたんだ。まさか、今更になって罪滅ぼしっていうのも、都合が良いんじゃないかい?」
「それは、アナタが誘ったから!」
オリジナルである晴子がDAPAに与したのは――この星に来てまで高次元存在を求めたのは、兄と我が子を蘇らせたかったからというのが理由だ。旧世界においては兄のため、星間移動中には我が子のためと動機が変わっていったが――確かに彼の言うよう、晴子が高次元存在を求めたのは事実だ。
しかし、レムのモノリスと繋がった時に事実を知り――そもそも兄を殺したのがこの男であるということを知り、星右京に着いて行くことに疑問を抱いた。同時に、この星で行われている管理社会が、伊藤晴子の倫理観を元にすれば正しいとも思えなかった――それが、自分がアラン・スミスを蘇らせ、此度の反乱を企てた動機だった。
視線を戻すと、右京はこちらの荒げた声に対してバツの悪そうに「それはそうだけれど……」と呟き、そのまま押し黙った。いつもそうだ――こちらが少し感情的になると「議論は無駄だ」と言わんばかりに、彼は押し黙ってしまう。
「……無知は罪、とでも言いたいんですか?」
「そこまでは言ってないさ……でもまぁ、自分の行動には責任を持つべきだと思うけどね」
相手の言い草が気に食わなくて――正論ではあるのだろうが、それ故に納得できない時だってある――彼を拘束している術式を強める。右京は一瞬苦しそうに呻き、額に汗を見せながら、しかしまたすぐに不敵な笑みを浮かべながらこちらを見据えてきた。
「……権利者である僕に対して君が出来ることは、こうやって拘束することくらい……先輩が戻ってくるまで時間稼ぎをするつもりかな?」
「えぇ、半分は……アナタの処断に関してはその通りです。ですが、残り半分は……私の手で決着をつけます」
「レムのモノリスの全機能を停止するつもりかい?」
やはり、この男ならそれくらいは読んでいるか。右京の言う通り、レムのモノリスを停止させれば、高次元存在を降ろす檻が無くなる。本来なら他の七柱を――とくにアルファルド、アルジャーノン、ルーナ、ハインラインの四名を止めてから停止するのが望ましいが、緊急手段としての切り札とはなりうる。
正確には、未だ全容の掴めないモノリスを停止する手段はない。より正確に言えば、モノリスをコントロールしている海と月の塔の機能を停止させる――仮に停止させたとしても、右京ならばその機能を復活させるくらいのことはするだろうが、幾分かの時間稼ぎにはなるだろう。
とはいえ、わざわざこちらの意図を言う必要もない。こちらが押し黙っていると、右京は瞼を閉じながらゆっくりと首を横に振った。




