9-53:Slapstick Escape 下
「そうやって、アナタはいつも私以外のことに執心している。私にはアナタしか見えていないというのに……」
そこまで言って顔を上げ、リーゼロッテは一層不機嫌そうにこちらを見据えてくる。
「決めたわ。私は絶対にこの娘から出ていかない。右京やゴードンのやろうとしていることなんてどうでも良いし、この娘に執心することもなかったんだけれど……アナタが私だけを見てくれるまで、この器を有効に活用させてもらうことにするわ!」
背筋に冷たいものが走り、怒り調子の語尾に合わせてADAMsを起動して大きく横に跳躍する。リーゼロッテが振り抜いた切っ先からは、なんだか彼女の感情が乗っていると言わんばかりの巨大な光波が突き抜けていき、遥か彼方の空を切り裂いて飛んでいった。
『無駄な交渉をしたせいで状況が悪化したな』
『くそっ……何が悪かったんだ?』
『それは本気で聞いているのか?』
べスターの質問に答えている余裕などない。話をするために平坦な足場に移動してきた故、彼女は重力剣で足場を生成する必要が無くなった訳だ。そうなると、彼女を中心にドーム状の巨大な力場が生成され、自分の身体に本来なら立っていられないほどの重みがのしかかってきた。
檻から抜け出すため、ひとまず全力で敵に後ろを向けて走り出す――彼女の攻撃は気配で避けることは出来る。ジグザクに芝生の上を走り、剣閃を避けながら移動を続けて力場を抜け、空中に掛かる石橋を走り抜けた先にある建物の屋根に飛び乗る。
一度加速を切ったタイミングで、石橋が崩落する音が聞こえ――身を翻して光波を避け、またすぐに奥歯を噛んで、今度は上へ上へと移動を始める。上を選んだのは、立体的な構造物の間に身を潜めてリーゼロッテの目線から隠れるのが目的だ。
その目論見は半分うまくいった。尖塔を背に一瞬だけリーゼロッテの死角に入り――その尖塔も一瞬で両断されたが――とにかく相手の視界から一度は消えることに成功した。そのまま一度加速を切って気配を消し、ゆっくりと移動するが、彼女もまた気配に敏感なのか、それとも執念ゆえに自分を探り当てたのか、加速を切ったままでは緑の光に切り裂かれる未来が脳裏に浮かび、またすぐに加速を始める。
ともかく、接近する重力の軛から逃れるため、再度上へ上へと移動する――そして一定の高さまで辿り着いた瞬間に、眼下で戦っている仲間たちの姿が視界に飛び込んできた。
まだADAMsを起動しているので、彼らの動きはスローモーションとして自分には見えるのだが――その中でもただ一つ、銀の流線だけは通常通りの速度だが――かなりの数の敵に囲まれているものの、どうやら今のところはこちらが優勢のようだ。
とはいえ、なんだか妙な胸騒ぎがするのも確かだ。違和感の正体にはすぐに気が付く――アルジャーノンがまだ出てきていないのだ。先日の第八階層はヘイムダルごと吹き飛ばすであろうから使ってはこないだろうが、それでもありとあらゆる魔術を使いこなす魔術神が合流するだけで戦局は一変するだろう。何故、アルジャーノンが出てきていないのか――別の場所で何かをしているのか。その理由までは自分には分からないが――。
それに、結局自分にだって変身のタイムリミットはある。この後に右京を倒しに行かなければならないことを鑑みれば、いつまでもリーゼロッテと鬼ごっこをしている訳にもいかないだろう。
『アラン、そろそろ覚悟を決めなければ』
『あぁ、そうだな……』
もちろん、最後まで彼女を傷つけずに捕らえることを諦めるつもりはないが――丸い屋根の塔の上へと跳躍し、加速を切って虎の爪を構えて武神の到来を待つ。リーゼロッテは数十メートル離れた別の塔の上へと着地して微笑を浮かべた。
「やっと戦う気になってくれた?」
「勘違いするな、仕方なくだ」
「そう、残念……でも、状況ゆえに本気になったのなら、少しは右京にも感謝しないとね」
剣士は自分と同じように双剣を構えて、こちらをじっと見つめてくる――しかし、リーゼロッテはこちらへ攻撃してくるわけでなく、一度殺気を抑えて剣を降ろした。
「ねぇ、坊や」
「……なんだ?」
「アランって呼んでいいかしら?」
「……なんで?」
あまりに場違いな提案に、こちらも思わず間抜けな返事を返してしまう。先ほどまで見境なく殺意を剥き出しにしていたのに、今などいじらしい雰囲気で、リーゼロッテはなんだか恥ずかしそうにしている。
「だって……いつまでもタイガーマスクって渾名呼びじゃ味気ないじゃない? 本当はアナタの本当の名前を知りたいけれど……」
「残念ながら、それは俺も知らないんだ」
今ならべスターに聞けば分かるだろうが、わざわざコイツに教えるために確認を取る必要もないだろう。対するリーゼロッテは「そうでしょう?」と小さく頷き返してくる。
「だからせめて、アナタのコードネームで呼ばせてもらおうかと思って」
「あぁ、そうかよ……好きにしな」
「えぇ、それじゃあアラン……」
女は満足そうに頷いて、再び二対の神剣を構えなおした。今までに見たことがない構え――ハインラインの剣には神剣二刀十文字を除いて特定の型はないとエルが言っていたが、身体を落として力を溜めているあの感じは、何かしらの技を繰り出そうとしている様に見える。
「この技は、夢の中でアナタを超えるために創り出した必殺の剣。一万年の時の中で、音速の虎と踊るために編み出された舞踏……さぁ、漆黒の檻の中で殺し合いましょう?」
妖しく笑う女の方から、強烈な殺気が押し寄せてくる。まるで、身体が両断されたかと錯覚するほど鋭い気配――来る、そう察して奥歯を噛もうとした瞬間のことだった。事態が再び急転したおかげで、自分は奥歯を噛むことも、リーゼロッテが必殺の一撃を放つこともなかった。
「……そこまで」
その声が聞こえた瞬間、自分も、リーゼロッテも、下で戦っている仲間達や第五世代たちも戦う手を止めた。声のした方を見ると、先ほどまでレムに捕らえられていた右京が居り――少年の手は妻であるはずの女神の首を掴んでいるのだった。
すいません、またちょっと曜日を変えて、次回投稿は10/22(日)を予定しています!




