9-52:Slapstick Escape 上
『どうすればアイツを……リーゼロッテを追い出せると思う?』
『力技なら、月に居る本体を倒すことだろうが……どうだ、月まで行けそうか?』
べスターが軽口を叩いた瞬間、重力波がこちらまで広がってきた。足場が落ちる前に何とか離脱し、次の足場へと移動するが、こちらの着地点を読んでいたのだろう――僅かに身を引いたおかげで翡翠の剣閃を避けることには成功するが、鼻先を掠めたせいで背筋に冷たい物が走った。
『冗談を言っている暇はないぜべスター!』
『あぁ、そのようだな……だが、人格投射というのに関してオレは専門家ではないからな。手っ取り早そうなのは、レムに方法を尋ねることだろう』
『それじゃあ、それまでの間は……』
『何とか無力化して、もう一度冷凍睡眠に入っていてもらうのが関の山だろうな』
確かに、べスターの意見はもっともな様に思う。しかし同時に、リーゼロッテを無力化すること自体が難しいだろう――体よく気絶させてもピークォド号まで運ばなければならないし、冷凍睡眠に入る前に起きられたら反撃されるのは必至だ。二対の神剣を奪ったとて、今の彼女の闘争心を見れば、徒手空拳でも戦いを挑んでくるだろう。
そもそも、無力化しようということ自体が自惚れも甚だしいと思われる。今は逃げに徹しているからなんとかなっているのであり、近接戦闘に持ち込んだとして絶対に勝てるという見込みは無い――むしろ、至近距離での打ち合いは、接近戦のプロフェッショナルであるリーゼロッテに対しては不利とすら思う。
恐らく単純にいえば、向こうの方が実力は上だ。自分はADAMsによる速度とそれに乗算された破壊力、また右京の言う未来予知による先読みのおかげで戦えているのであり、戦士としての技量自体はリーゼロッテが上回っているのだから。
二対の神剣により、こちらの速度と攻撃力を抑えられる彼女との戦いは、全力でいって勝つか負けるかの瀬戸際なのだ。そこに手心を加えるなどという余裕は無い。
何より、もうエルに氷の棺で眠って欲しくないという想いもある――そう、リーゼロッテを無力化できたとしても、その身体がエルのモノであるという事実は変わらないのだ。
考え事をしているさなかにも、重力波はどんどんと広がり、神剣の光波の精度も上がってきている。このままでは逃げ場が無くなる、そう判断して空中要塞の外壁から飛び出る僅かな足場を移動して駆けあがり、一旦拓けた場所に躍り出る。
同時に神経に限界を感じ――背後から凄まじい勢いで飛び掛かってくる女剣士の方へと加速が切れる前に振り返り、振り下ろされる神剣を短剣を交差させて受け止める。
加速が切れるのと同時に、刃がぶつかり合う轟音が響き渡り――平地を覆う草が吹き飛び、自分の足元には相手の馬鹿力のせいでクレーターが出来上がった。それほどの力で押し込まれたのだから、身体が真っ二つになるかと思うほどの衝撃が身体を走る。変身による強化が無ければ、本当に身体が真っ二つになっていただろう。
そのままこちらも力に任せ、なんとかアウローラを押し返し、後ろにバク転しながらEMPナイフを一本放り投げる。自分が投擲した短剣は、リーゼロッテが振りだしていた宝剣に当たり――なんとか重力波の発生を止めることが出来た。
そして着地をした瞬間、自分はすぐに「リーゼロッテ!」と声を掛ける。相手もこちらの話を聞いてくれる気があるのか、投擲を弾いて重力波を発生させようとしていた左手の動きを止めてくれた。
「どうしたらエルの体から出て行ってくれる!?」
「方法は二つあるわ……私がアナタを殺すか、アナタが私を殺すか……いずれかよ」
「それ以外に満足してもらう方法はないのか!?」
「そういう所が気に食わないのよ!」
こちらの質問がお気に召さなかったのか、リーゼロッテは眉をひそめて不機嫌そうに怒鳴った。そしてすぐに宝剣が妖しく煌めき――手遅れになる前にADAMsを起動し、すぐにその場を離脱することにする。
前言撤回、話など聞いてくれる気など彼女には無い。武神ハインラインにあるのは、邪神ティグリスとの決着だけなのだから。
もちろん、頼んでその身体から出て行ってくれるなどと安易に思っているわけではない。とはいえ、交渉次第では停戦くらいには持ち込めるかもしれない。先ほどのリーゼロッテと右京の会話を見るに、七柱の創造神たちは結束した仲間という感じではなかった。
彼女は本当に自分との決着以外に興味は無い――勝負することさえ確約できれば、ひとまず休戦くらいには持ち込めるのではないか。そう判断し、相手が距離を離すこちらへ重力波を投げつけるタイミングで踵を返し、一旦身体に溜まったエネルギーを放出して、バーニングブライトで漆黒の球体に飛び込んだ。
体中が悲鳴を上げるが、この身に蓄えられたエネルギーは確かな推進力となって、重力波を抜けることに成功した。そのまま加速を切って――とは言ってもリーゼロッテに近づく速度はそのままだが――爪を振り下ろすと、今度は相手の二対の剣に虎の爪を止められることになる。
「別に今でなくたっていいだろう!? 右京をぶっ飛ばしたら、全力で相手をするから!」
「私は一万年待ったの!」
リーゼロッテに押し返されて後方で着地し、次の攻撃に備える――しかし、女は追撃してくることなく、俯きながらぶつぶつと何やら呟きだした。




