9-21:七柱による人格の転写について 下
「酋長の息子であるシモンも亡くなってしまったのなら……ガングヘイムを継ぐ人物はいなくなってしまったわね」
アシモフはそう呟き終わると、どこかやつれた横顔でため息を吐いた。
「ガングヘイムはどうなるんだ?」
「そうね、ルーナたちを倒した暁には、残ったドワーフの中から代表者を立てて街を纏めてもらうことになると思う」
「ダンに次の器を用意するんじゃだめなのか?」
「彼はそれを望まないでしょう。元々、何者かの身体を乗っ取ることだって良しとしていなかったし……我々が勝利すれば、世界を管理する必要も無くなる。そうなれば、彼も復活を望みはしないと思うわ」
「アイツらしいな……しかし、誰かを乗っ取るっていうんじゃなくてさ、一から専用の器を作るんじゃダメなのか?」
「彼が胎児に人格を転写するのを良しとすれば、不可能ではないわね。人格の転写には、元の人格と共存するパターンと、レムリアの民の人格を上書きするか、眠らせて続けておくパターンとがある……前者を採用するのはアルジャーノンだけで、フレディは後者よ。
つまり、フレディが受肉しようとすれば、基本的には誰かの人格を乗っ取る必要がある……それを避けるなら、器に自我のない内に人格を転写しておく必要があるわね」
ちなみに人格がいつから形成されるのかという哲学的な問答は止めて頂戴、アシモフはそう付け加えた。しかし、フレデリック・キーツがもはや誰かの人格を奪う気が無いというのなら、もう彼が肉の器に収まることは無いだろう。
ガングヘイムの地下にあるフレデリック・キーツの本体をこちらに迎えられれば協力はしてくれるかもしれないが、人格の転写先がない。近いうちに決着をつけるというのに、赤子から育てているのでは遅すぎるし――決着が着いた後なら、器に収まる理由が無くなるのだ。
しかし、同時に一つの疑問が生じた。それは、ダンのことでなく――。
「……ハインラインが人格を転写させる場合はどうなんだ?」
恐らく、次に相まみえる時には、エルはリーゼロッテ・ハインラインの器として人格を転写されているはずだ。しかし、月にある本体を倒せば、エルを救うことは可能だと思っていたのだ。
しかし、もしエルの人格が乗っ取られてしまうというのなら――イヤな予感がして質問したのだが、その勘を裏付けるように老婆は瞳を伏せた。
「繰り返しになるけれど、元の人格を残せるのは、アルジャーノンだけよ。人格が複数共存する状態は、互いに協力的でないと身体のコントロールを奪われる危険性がある……それはゴードンも変わらないけれど、彼の場合は複数の思考領域で魔術の演算が可能だから、多少は別人格にコントロールを阻害されても問題ない、というのが正しいわね」
「それじゃあ、リーゼロッテ・ハインラインが起動すれば……」
「えぇ……エリザベート・フォン・ハインラインの人格は失われてしまう可能性が高い。リーズがエリザベートの人格を消さずに眠らせて保管しておいてくれるなら消えることは無いけれど……残っていれば身体のコントロールを奪われる危険性があるから、合理的に判断するならば消去するでしょう」
アシモフはそこで言葉を切り、椅子を回してこちらから視線を逸らしてきた。自分はリーゼロッテ・ハインラインの人となりを知らないので確実なことは言えないが、付き合いの長いアシモフが言い淀むということは、人格を消去されてしまう危険性が高いということだろう。
「なんとか、リーゼロッテを起動させないように出来ないか?」
「それは難しいわね……そもそも、リーズの起動の権限は右京が持っている。恐らく、我々と万全の状態で戦うためにエリザベートを回収したのだろうから」
「起動させないという選択肢はあり得ないよな……クソっ!」
ティアのおかげで少し落ち着いていたのだが、認めたくない事実を知らされたせいで思わずひじ掛けを叩きながら悪態をついてしまう。アシモフはこちらの怒りに対してもどこか落ち着いた様子で「とはいえ……」と話し始める。
「希望が全くない訳ではないわ。グロリアの例を思い出してもらえば分かると思うけれど、リーズがエリザベートに人格を転写したとしても、しばらくの間は二つの人格が共存することになる。
これは、元々の身体の主をすぐに消去してしまうと、拒絶反応が出るケースがあるから。我々最後の世代が身体になじむまでは元の人格を残しておくという処置なのだけれど……グロリアのケースと異なるのは、恐らくリーゼロッテは元の人格を消去してしまうであろうという点ね」
「エルの人格が消去されるまでには、どれくらいの時間が必要なんだ?」
「完全に消去されるまでにはあと一週間といったところ……そして恐らく、ヘイムダルへの攻撃は右京達も予想しています。ですから……」
「なるほど……次がリーゼロッテ・ハインラインを止める最後のチャンスな訳か」
まだ、エルを取り戻すチャンスはある。一度は奪われてしまったが、それなら今度は奪い返すまで――右の拳を左の掌に打ち付けて気合を入れていると、アシモフは眩しそうな視線をこちらへと投げかけてきた。
今回は1日分での投稿分を2日に分けたので、次回投稿は明日9/16(土)にします!




