9-14:分かたれた魂のポートレート 下
「本当は、気晴らしに……アラン君の気分転換になればと思ってお願いしたのに、なんだかボクばかりもらってしまったね」
「いいや、俺からもありがとう。実際、いい気分転換になったよ」
「ふふ、そうかい? それなら良いんだけど」
ティアは椅子の後ろにある机の上に絵をゆっくりと置いて立ち上がり、おもむろにこちらへ歩いてきて自分の隣へと腰かけた。
「アラン君、ボクはね。クラウが言っていた言葉の意味を、ずっと考えていたんだ……アガタとアラン君を支えてあげて欲しいって。
それがクラウの願いなら、ボクはその想いに準じようと思った。でも、今はそれだけじゃないんだ。ボク自身が、君の支えになりたいと……アラン君がボクを見てくれて、少し欲が出てきたのかもしれないね?」
気が付くと、自分の腕は彼女の細い腕に絡めとられ――そのまま、ティアはこちらに体重を預けてきた。
「もう一つ、ボクの我儘を聞いてほしい。アラン君、君は自分のことを大切にして欲しいんだ。アラン君まで居なくなったら、ボクは本当にどうすればいいのか……何をすればいいのか、困ってしまうからさ」
ティアは小さく、すがるような声でそう言って、こちらの腕を力強く抱きしめてきた。以前にもこんなことがあった。アレは孤児院を目指している時の野営中のことであったか。月明かりの下でティアが隣に座って、こんな風にくっつかれた記憶があるが――今はあの時よりも距離が近い、というかもはやゼロ距離だ。
とはいえ、あの時よりは自分自身は緊張していなかった。以前のティアはこちらをからかうような調子もあって、かえって圧倒されていた部分はあったのだが――今の彼女は不安に揺れる子供のようであり、腕を貸すことでその不安が紛れるのなら、それでいいと思えるおかげかもしれない。
「自分を大切に、ね……努力はするよ。だけど、確約は出来ないな。命を掛けて戦って、勝てるかどうかの相手だ。でも、きっと君を一人にしないよう、最後まで抗って見せるさ」
「複雑だね。その言葉は嬉しいけれど……でも、きっとアラン君は無茶をするからさ。安心はできないな」
そこで一度言葉を切ると、ティアは一層強くこちらの腕を抱きしめてくる。
「……皆の気持ち、今ならわかるよ。アラン君はこうやって繋ぎとめておかないと、どこか遠くへ行ってしまいそうだって……」
段々と声が近づいてくる――最後など、耳元に彼女の吐息があたるほどだった。前言撤回、さすがにこの事態に段々と緊張が湧き出てきてしまう。首を僅かに回して隣を見ると、すぐそこに潤んだティアの瞳があった。
「今は、こんな風にうわついた気持じゃダメだって言うのも分かっているつもりだけど……
もう一度言うよ……今は、ボクだけを見て……」
少女は段々と瞼を降ろし、唇をこちらへ近づけてくる。こうなっては覚悟を決めるべきか。ティアのことも他の子同様、妹のように思っているのは事実だが、それよりも今の雰囲気と、彼女の女性的な魅力を前にすれば、もはや流れに呑まれてしまいそうだ。
とはいえ、きちんと心に決めた相手とした上ででないと不誠実でないのか――脳裏にそんな考えが思い浮かんだのとタイミングを同じくして、何者かによって部屋の扉があけ放たれた。
「ティア、アランさん、戻ってきているんですわよね!? チェンが呼んでい……ますわよ?」
普段ならもう少し早く気配を察知できると思うのだが、今回は色々と混乱していたせいで遅れたのかもしれない。ともかく、アガタは部屋に一歩足を踏み入れたタイミングで固まってしまった。自分がアガタの立場だったら、こんな密着している二人を見れば、今の彼女と同じようにフリーズするだろう。
超至近距離にいたティアはため息を吐き、自分から離れて皮肉気に笑いながら扉の方を見つめた。
「アガタ。なかなか凄いタイミングで割り込んできてくれたね」
「……えぇっと、その……ごめんなさい……?」
「まぁ、いいさ……アラン君も助かったって顔しているしね」
その言葉にぎくりとし――あぁいったことはきちんとした手順を踏むべきだと思うので助かったと思ったのは事実だが――ティアの方を見ると、彼女は真剣な面持ちでこちらをじっと見つめていた。
「でも、さっき言ったことは覚えておいて欲しい。自分のことは大切にして欲しいという約束は、しっかり守ってくれないと困るな」
「あぁ、肝に銘じておくよ」
「うん……それで、落ち着いたら、さっきの続きをしよう」
ティアは意地の悪い笑みを浮かべて立ち上がった。先ほどは幼さを感じたように思うが、やはりティアはティアだ――その魔性、恐るべし。
そう思いながら彼女の所作を見ていると、ティアは絵具の乾いた絵を大切そうに抱きしめて、またはにかむように笑っていたのだった。
次回投稿は9/12(火)を予定しています!




