9-7:機人のコーヒーとクロスカウンター 上
「どうぞ」
自分とセブンスとの間に、無機質な声と共に義手が伸びてきた。義手の先には二つのカップが握られており――恐らくまだ力の加減が難しいのだろう、カップを握る手は小刻みに揺れている――イスラーフィールは机の上にゆっくりとそれらを置いた。
「毒など盛っていないだろうな?」
自分の質問に対してはイスラーフィールは無感情な瞳でこちらを見つめてくるだけだ。むしろ反応したのは目の前に腰かける銀髪の少女だった。
「T3さん! どうしていつもそう発想が物騒なんですか!?」
「元々敵なのだから、警戒するのは当たり前だ」
無意識と善意で毒に近いものを生成し、それを周りに食わせるよりはマシだろう、というのは言わずに呑み込んでおいた。ただでさえ怒り顔の少女の機嫌をより損ねる必要もないだろう――ひとまず怒りは収まるだろうが、代わりに意気消沈してしまいかねない。
そんな風に思考する自分をよそに、セブンスはイスラーフィールの方へ向き直って「そんなことしないよね?」と質問していた。すると、水色髪の第五世代型アンドロイドは無感情な瞳を自分の方へとむけてきた。
「毒殺することに対するメリットがありませんね。ここで毒を盛ってアナタ達を亡き者にしたとて、嫌疑は真っ先に私に掛けられるし……何より、私の目的が達成される可能性が低下しますから」
目標の部分に関しては真偽が分からないので納得しかねるが、前者に関しては納得できる――どの道、先ほどからイスラーフィールに怪しい動きが無かったのは監視していたし、端から毒が入っているなどと思っていた訳ではない。
アシモフによる処置を受けて目覚めたイスラーフィールが最初に発した一言が「ジブリールを助けてあげて欲しい」だった。主君の命令に絶対服従という制限はあったものの、高度に発達した人工知能を持つ彼女らはルーナに対して懐疑的な思考を持ち続けていたらしい。
ゲンブの調査によりルーナがこの星で悪逆の限りを尽くしていたのは――というよりは、堕落していたという方が正しいのだろうが――知っていたが、イスラーフィールの報告を聞いたことにより新たに浮き彫りになった部分もある。
元々のルーナは――ローザ・オールディスは、旧世界においては社会心理学を専攻し、DAPAによるデマゴーグを担当していたらしい。とはいえ、旧世界においては彼女なりに社会を良くしようという意識はあったようだ。
惑星レムにおいても、元来は高次元存在の降臨よりは、寡頭による管理社会を実践することで、自由は無いが平等な社会を作るという意識から、月と教会の管理という面倒を買って出ていたほどらしい。魔王征伐による人口の剪定についても反対意見を出していたほどとのこと。
しかし、何度か器を乗り換えているうちに、段々と肉の欲に溺れていってしまったのだ。管理の効率をあげるために若い器を用意してそれを繰り返すうちに、若く美しい自分の肉体に溺れるようになり――社会の管理は杜撰になっていき、己の快楽に耽ることに腐心するようになってしまったと。
ローザ・オールディスは、最初は我々の中で最も誠実で真面目な人だった――というのはアシモフの談。同時に、そういった人間が神に近しい力を持ち、創り出した命に対して絶対的な支配権を持つ場合、抑えられていた欲求が倫理という枷を破って享楽にふけるというのはゲンブの談だ。
何より、ルーナは他の七柱を出し抜いて、高次元存在の力を独り占めしようとしていたというのはイスラーフィールから聞かされた初めての報告だった。ゲンブとアシモフの見立てでは、アルファルドとアルジャーノンが抑止力になって野望を抑えているだろうと予測はしていたが――ルーナが七柱の中で圧倒的に性根が腐っているというのは間違いなさそうだ。
ともかく、そんな主の下で露払いとして長らく使われていたのだから、イスラーフィールらが主人に対して納得できなかったという部分は理解できる。同時に、苦難を共にしてきた僚機を救いたいというイスラーフィールの思考も納得できないではない――むしろ意外に思うのは、第五世代型アンドロイドに仲間を思いやる感情のような物があるという点か。
確かにジブリールなどは憎悪や傲慢といった感情や個性が現れていたように思うが、それは第六世代型アンドロイドや旧世界の人類に対する優位性から現れる攻撃的な思考の処理のように思う。
一方で、イスラーフィールのジブリールを救いたいという想いは、他者に対する憐憫から来るものだろう。アシモフ曰く、人と近い容姿を持ち、自然言語処理を可能とする熾天使は人に近い感情を抱くというが、まさしくその通りなのかもしれない。
お人よしで感情的なセブンスなどは、仲間を救いたいという想いに共感して、イスラーフィールに力を貸したいなどと言っている。自分としては仇敵は七柱であり、第五世代型アンドロイドの趨勢など知ったことではないから邪魔をする気もないし、先日ジブリールと激戦を繰り広げたホークウィンドなどは「ナナコの好きなようにするがいい」と寛大な態度を見せている。
しかし、イスラーフィールを快く思わないものが、この船には間違いなく三人乗っている――その三人とはイスラーフィールの暗躍が原因で、近しい者を窮地に追いやられたものたちだ。
結果としては、クラウディア・アリギエーリの主人格はイスラーフィールと関係ない所で喪失されたわけだが――それでも感情は別だろう。アガタ・ペトラルカなど露骨にイスラーフィールがいる空間は避けるし、残りの二人は艦内に今はいない。
しかし、そろそろ帰ってくる頃合いか。そう思いながらカップを煽って時計を見ると、ちょうど休憩室の扉があけ放たれた。




