表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
45/992

2-6:展望台にて エリザベート・フォン・ハインラインの場合 下

「ほい、どうぞ」

「えぇ、ありがとう」


 先にベンチに座っていたエルに暖かいコーヒーを手渡して、こちらもその横に座る。眼下には、坂の途中でも見た景観が、より高い位置から――今度は、城壁の奥、地平線まで見渡せる高さになっている。


「……大昔の人は、ここから魔族の侵攻を監視してたんでしょうね」


 吹き付ける風が冷たいせいか、エルは使い捨てのコップをカイロ代わりにするかのように両手で挟んで呟いた。


「この絶景を見て、色気のない発言だなぁ」

「色気が無くて悪かったわね……綺麗、素敵、とか言ってほしいの?」

「いや、エルらしくて良かった」


 歴史が好きだからこそ、大昔の人に自分を重ね合わせてこの景色を見たのだろう。眼下に広がる街並みは三千年前と違っても、城壁の奥に見える景色は、きっと昔も今も変わらない――そう思ってこの景色を見るのも、また趣があって良い気がする。


「……ねぇ、アラン。アナタ、記憶を取り戻したくはないの?」


 ふと、横から呟くように、小さく疑問があがってきた。言われてみれば、自分の前世がどうであったかは気にはしているのに、記憶に対する執着はあまりない自分に気づく。ただまぁ、気にはしているというのなら、取り戻したいのと同義か。


「あ、えーと……取り戻したいが?」

「……あんまり、その気じゃなさそうね」


 景色から目を離して横を向くと、いつの間にかベンチの上で体育座りをしているエルと視線が合った。どことなく彼女が虚ろ気なのは、おそらく外の空気に触れているから――深い意味もないのだろう、ただ何となく知りたい、そんな顔をしている。


 さて、実際には、レムに聞けば凡そのことは分かるはずなのだ。アイツが答える気になれば、の話ではあるが。逆に、この世界に自分の痕跡はないはず。そうなれば、記憶を求めて彷徨ったところで多分無駄。探し物は目の前にあるのに、その箱の鍵をお預けにされているだけ――だから、慌てることもない、ただ女神の気まぐれを待つしかないのだ。


 しかし、それは彼女からしたら異質に映るかもしれない。己が何者か分からないことを、もし俺以外の誰かが慌てもせずに受け入れていたとしたら、それはおかしいと思うだろうし。


「……なるようにしかならないからな」


 色々考えた結果、出た答えがこれだった。ひとまず、自分が転生者というアイデンティティだけは確立されている今、取り急ぎ自分が何者かを知る意味もあまりない。かといって、一応自分が何者か、そのうち知れるなら知りたい、これくらいの調子なのだから。


「何、それ……アナタ、やっぱり変な奴ね」

「凡庸と言われるよりはマシかな?」

「はぁ……訳分からない」


 改めて彼女のほうを見ると、体育座りのまま、膝に顔を埋める姿勢に変わっている。


「……私も、自分が何者か分からなくなったら、もう少しマシになるのかしらね」


 唐突な発言に、彼女の真意を掴めず、こちらとしても押し黙ることしかできない。二の句を待っていると、エルは少しだけ首を動かし左目だけでこちらをチラ、と伺ってくる。


「ごめん、ちょっと、他人事だと思って、あまり真剣にならずに聞いてほしいのだけれど……」


 こちらが頷くと、エルは再び地平線にその視線を向ける。


「……正直、本当に正直に言えば、四年前の時と今では、気持ちの大きさが違うの……あの時は、復讐してやるって、本気で思った。だから、宝剣を持ち去ることに疑問もなかったし、絶対に、アイツを殺してやるって……それは、今も変わらないのだけれど……」


 そこで、エルは再び顔を膝にうずめてしまった。風が強い――その音に書き消えてしまいそうな言葉を聞き逃さないよう、耳をすませる。


「日に日に、憎しみの気持ちが薄れていくのを感じる。それ自体、私にとっては自分を許し難いことで……私の気持ちはそんなものだったのかって、その弱さが嫌になる。そしてそれに反比例して、私は、自分のしでかしたことの罪の大きさに、頭を抱えている……。

 宝剣を持ち去るというのは、世界の危機を無視したのと同義。お義父様がこれを知ったら、何と言うか……うぅん、私は、自分がしでかしたことを周りにバレないように、ずっと逃げていたんだわ。なんだか、子供よね……自分ばっかり可愛くて、自分が、嫌になる」


 そこまで言い切って、彼女は強く、その両腕で膝を抱え込んでいるように見えた。しかし、なんとなくだが分かった。同じ気持ちをずっと持ち続けることは難しい。そしてその気持ちの変化を、彼女はずっと自分の胸にだけ閉まっていたのだ。誰にも話すことが出来なかったから――悩みを抱えたまま、それを発散することもできず、ずっと孤独にいたのだろう。


 そうなれば、どう反応するのが正解か。きっと、彼女は正解を求めているわけじゃない。少し話して、自分の気持ちと向き合いたいだけ。それならば、こちらとしては、下手に意見を言わない方が良い。ただ、自分が向き合えるように、適度な距離を保ってあげればいい。


「なるほど……それで記憶の一つでも無くせば、悩まずに済む、とかそんな感じか?」

「ふぅ……端的に言えば、そんな感じかも。ただ、実際に言語化されると、余計に自分の浅はかさが嫌になるわ……」

「いいんじゃないか? 俺の能天気さがうらやましかったんだろ」


 こちらの言葉に、彼女は膝から顔を離して、はっとした表情でこちらを見た。何か飲み込めた訳でもないのだろうが、何かがすっきりもしたのだろう。


「ま、まぁ、そうかも……?」

「ただまぁ、記憶ってやつは、勝手に失ったりは出来ないからな」

「アナタがそれ言うの……いえ、まぁ、好きで失った訳じゃないでしょうし、こんなこというのも失礼かもだけれど……」

「気にしないさ、能天気だからな。ただ、一個だけ言っていいか?」

「な、何よ」


 あまり行儀が良くないのも承知だが、右手の人差し指を訝し気な表情をしているエルに向ける。


「君が記憶を失ったら、こんなに能天気じゃいらんないさ。何せ、君は俺と違って能天気じゃないからな」


 自分で言っておいてなんだが、自分でも訳が分からなかった。とはいえ、人差し指に面食らっていたエルは、こちらの阿保さ加減がおかしくなってきたのか、小さく笑い始めてくれる。


「ふ、ふふ……確かに。危なかったわ、アナタと同列の所まで落ちようとするなんて、私も気持ちが弱っていたのね……」

「うん、それこそ失礼だと自覚してほしいけどな? まぁともかく、そこはソフィアが上手くまとめてくれただろう。世界の危機に宝剣は間に合うわけだし、大貴族を殺したエルフが許されるわけでもないんだ、きちんと制裁は加えないといけない。

 君が龍を倒すときに覚悟を決めたから、君にとって良いように風向きが変わってる。そう思えばいいんじゃないかな」

「えぇ、そうね……」


 そこでやっと、彼女は体育座りを解いて脚を伸ばした。腕も上げて伸びて、風を一身に集めているようだった。


「なんだか、悪かったわね。こっちが見舞いをするつもりで、気を使わせてしまって」

「なんだ、やっぱり見舞いに来てくれてたんだな」

「なっ……ち、ちが……わなくはないけれど……」


 さすがに自分で言ってしまった以上、引っ込めることが出来なくなってしまったのか、エルは顔を赤くしてうろたえている。


「あはは、君のその表情を見れたのが、最高の見舞いだな」

「……ふん、調子に乗って。こんなやつに話さなければ良かった」


 そう言いながら、エルは横髪を抑えながら顔を隠してしまう。とはいえ、声色は暗いものではなかったので、話して少しすっきりできたようではあった。


「あーそう言えばなんだが、ソフィアにこれから皆で泊る宿を決めておいてくれって言われててな? エル、良い場所あるかな」

「えぇ……別に、各々宿を取ればいいんじゃないの?」

「そこはクラウが、楽しそうだからって」

「はぁ……あの子らしいわね」


 そう言いながらも、彼女としても同意できるところはあったのだろう、とくに否定はせず、少し考えこんでいるようだった。


「うーん、私もレヴァルの宿事情に詳しい訳ではないから。一応、男が雑魚寝しているようなところは遠慮したいわね」

「まぁ、それならまた全員集まってから考えればいいか。一応、クラウがジャンヌさんに聞いてくれるって話だし、そのへん含めてみんなで考えればいいだろ」

「えぇ、そうね……みんなで、ね」


 呟く彼女は、どことなく嬉しそうだった。思えば、エルが一番孤独だったのだろう。クラウには自分の内とはいえティアが居たし、ソフィアには周りに大人が居た。また、クラウとソフィアは自分にやましいところがあったわけではない。ただ彼女だけが――――エリザベート・フォン・ハインラインに戻ることもできず、ただのエルとして、一人でいる他に無かったのだ。


 気が付けば、遠景の色彩が、徐々に緑から赤色に近づいてきている。背後の日が落ち始めているのだろう、コーヒーもすっかり飲み切り、徐々に気温も下がってきているようだった。


「さて、そろそろ戻るか」

「えぇ、そうしましょうか」


 先にエルが立ち上がり、西日に向かって歩き出した。


「……ねぇ、アラン」

「うん?」

「ありがとう、ね」


 そう言って振り返った彼女の頬が赤かったのは、日のせいなのか、はたまた慣れないことを言ったせいなのか――どちらか分からないまま、彼女の背を追うべく、こちらも立ち上がることにした。

【作者よりお願い】

もし面白いと思っていただけたなら、ブックマーク登録や評価の方をよろしくお願いします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ