2-5:展望台にて エリザベート・フォン・ハインラインの場合 上
クラウはエルも見舞いに来ると言っていたが、現在午後二時、一向に彼女は現れない。体調はだいぶ良くなり、少し体も動かしたいのが正直なところだ。何より、なんの娯楽もない部屋の中で、一人でゴロゴロしていても退屈だ。
もちろん、体調を考えれば、ゆっくりしていろという話なのかもしれないが、案外頑丈らしいこの体を、そこまで甘やかす必要も無いと思う。しかし、エルが来るかもしれないことを考えると、部屋を留守にしたら行き違いになる可能性があり、動くに動けない。
こういう時、恐らく前世では、携帯電話で連絡を入れていたのだろう。不幸な行き違いを無くすことが出来るのだから、文明の利器様様と言ったところか。とはいえ、アレのせいで常に何かに拘束されているような気分にもなるような気もするので、一長一短か。
ともかく、宿の中を移動する分には問題ないだろう。先ほど昼食を摂りに一階の食堂に行ったが、コーヒーの一つでも部屋に持ち帰ってのんびりするか。ギルドのバーンズに声をかけ、借りられるなら何か本でも借りるのもよいかもしれない。部屋に鍵を掛け、一階に移動することにする。
宿の二階は吹き抜けのような形になっており、ホールを通して一階の様子が見える。階段は入口よりやや右手、食堂カウンターの左手にある。そこから下っていくと、都合掲示板の方が見えるのだが――その前には見慣れた黒髪があった。せっかくなので気配をなるべく消して、彼女に近づき――。
「……よっ」
「きゃっ……!?」
背後から声を掛けると、エルは可愛い声を上げながら体を跳ねさせ、急旋回してこちらに向き直った。左手が短剣に掛かっているのが目に入るが、流石は一流の剣士と褒めるべきなのか、物騒な奴だなと突っ込むべきなのか少々悩んでしまう。
「……あ、アナタねぇ、気配もなく背後に回るの止めてくれない?」
「階段降りてくるとき、視界には入ってたはずだぞ……なんか掲示板に面白いもんでもあったのか? ここでずっとうろうろしてたみたいだが」
「別に……暇つぶしに見てただけよ」
そういう彼女は、すっとぼけたような調子で視線を逸らした。まぁ、なんとなくだが、彼女が掲示板の前にいた理由は分かっている。
エル、本名はエリザベート・フォン・ハインライン、この世界で目が覚めた時に、俺を救ってくれた女剣士。彼女と出会っていなければ、今頃あの海岸で干からびていたか、魔族か魔獣にでも襲われて土に還っていた可能性もある。
彼女の旅の目標は、養父を殺した相手への復讐――その切り札である、腰に携えている宝剣ヘカトグラムを個人的な理由で持ち出しているため、誰とも手を組まずにここまで生きてきた猛者でもある。
復讐に関してはとやかく言うべきでもないし、ひとまずソフィアに手綱を握られ、協力をこぎつけている形になっている。しかし、エルはなんやかんやでお人よしだ。同時に、あまり自分から他人に声を掛けるタイプでもない。
だから、ギルドの入口で悩んでいたのだろう。俺を見舞いに来てくれたが、どう声をかけたものかと、掲示板の前でうろうろしていたに違いない。
「……なによ、ニヤニヤして」
「おぉ、悪い悪い……そうだ、俺、暇なんだ。良かったら、散歩にでも付き合ってくれないか?」
「はぁ? なんで私が……」
「受ける気もない依頼を眺めて暇つぶしするくらいなら、多少有意義かと思うんだがな」
「ぐっ……でも、ソフィアやクラウが来たりしないかしら?」
「あの二人なら、昨日と今朝、それぞれ見舞いに来てくれた」
「そう……それなら、私は必要なかったかしらね」
恐らくは私と話してても楽しくないでしょうから、とか思っているのだろう。こちらとしてはエルと話していて退屈もしないし、心配してきてくれたのならむしろありがたい限りなのだが。
「まぁ、そう言わずに……街でも案内してくれよ。俺、全然レヴァルの街を周れてないからさ。観光とかしてみたいんだ」
「ソフィアとかクラウと一緒のほうが楽しんじゃないの?」
「あの二人とも楽しいと思うがな、まぁなんだ、エルは落ち着くから」
「……訳が分からないわ」
横髪を抑えて、エルは視線を逸らしてしまう。悪い気はしてなさそうだし、後は無理やり押せばなんとかなるだろう。
「よし、決まりだ。世話になってるから、なんならお茶でもおごるよ。さ、行こうぜ」
そう言いながらギルドの扉を開けると、「ちょっと、待ちなさいよ」と言いながらエルは着いて来てくれる。自然と大通りを大聖堂側に進んでいるうちに、エルが横に並ぶ。
「はぁ……それで、どこに行きたいの?」
「それすら分からんからなぁ……エル、お気に入りの場所とかあるか?」
「……別に、そんなものは無いわ」
そう言いながらも、彼女は大聖堂の更に奥、城塞の中に佇む小高い丘の方を見ている。多分、あそこがお気に入りのスポットなのだろう。
「んじゃ、見晴らしのいいところにでも行こうぜ」
こちらが敢えて小高い丘を指さすと、エルは小さく笑った。
「ふぅ……何とやらは高いところが好きっていうものね」
「とか言って、実はエルも好きなんじゃないか?」
「そ、そんなことは無いわ……案内するの、止めるわよ?」
「うひぃ、ごめんなさい、口を慎みます」
「よろしい。それじゃあ、行きましょうか」
ちょっと押してからさっと引くと、良い感じの距離感になる。気難しそうに見えて、案外ちょろいかもしれない。
「……アナタ、失礼なこと考えてない?」
「いやいや全然もうまったく、これっぽっちも?」
「本当かしら……」
ぶつぶつ言いながらも着いて来てくれるので、やっぱりなんやかんやちょろいに違いない。
しばらく進むと大聖堂を超え、自分にとって未開の場所を進むことになる。以前この辺りに来た時は朝だったので店も閉まっていたが、今は午後の丁度良い時間、店も点々とだが開いている。しかし、活気は正門近くのほうがやはりあるか。
恐らく、こちらは冒険者向けの場所ではなく、レヴァルの住民が集まる場所なのだろう。普段着で軽装の人たちが多く、また店も食品店や洋服店など、小さい個人商店と言った趣の店舗が多い。それでも人の行き来がやや少ないのは、やはり戦時中であり、売れる物も買えるお金も少ないからと予想される。
「……レヴァルの街は、元々あの丘を起点に発展した街なの。最初はあそこの周りに城塞を築き、外敵の侵入を防いでいたのね。段々と城塞を広げていき、今では大聖堂のある広場が中心地になっているけれど……まずは、西側にある港と丘を繋げるように城塞を拡大していったのよ」
時々、レヴァルの街の歴史や、風土の解説がエルから入る。そういえば、出会った時も色々教えてもらった。今にして思えば、彼女が元々貴族というのも納得する。恐らく、平民であればここまで教養も無いし、うまく説明もできないだろう。
「詳しいんだな」
「そうでもないと思うけれど……それこそ、ソフィアの方が色々知っていると思うわよ」
「確かにあの子も詳しそうだが……学院じゃ魔術をメインで勉強するだろうから、地理や歴史となると、また違うんじゃないか?」
「そうね、そうかも……まぁ、歴史は結構好きだったわ。女だてらにって自分でいう事でもないかもしれないけれど、戦記とか、古の英雄の物語とか……」
エルの表情が柔らかい。恐らくだが、きっと敬愛していた養父の影響なのではないか――剣聖テオドール・フォン・ハインライン、辺境伯の娘ともなれば、自然と歴史や戦記などを父から教えられる機会もあったのではないかと思う。
丘のふもとまで来ると、少し入り組んだ道を行くことになる。左右を石造りの壁に挟まれた路地はまさしくファンタジーといった趣で、テンションも少し上がってしまう。
石段を上がり続けてしばらく進むと、拓けた道になり、崖際に店舗が並ぶような場所に出る。ちょうど、前世でいうところの高名な神社仏閣への参詣道の雰囲気に近い。きっと、戦時中でなければ、土産屋が開いており、観光客などで賑わっていたのだろう、しかし今は人もまばらである。逆に、この景色を独り占め――は言いすぎか、エルもいるのだ――できるので、それはそれで良い。
まだ坂の途中でも、眼下にはレヴァルの街が広がっており、すでにかなり見晴らしは良い。大聖堂を起点とする、四方のメインストリート沿いは区画がある程度整理されているが、少し内に入れば雑多に住居が並んでいる。ただ、その整理されていない街並みが、また人々が生き、継ぎ足していったものという証拠のように思われ――人々の生活の結晶のように感ぜられ、何故だか胸を締め付けらるような気持ちになる。
(こんな時……こんな景色を見た時、俺はどうしていたんだろう?)
何故だか、唐突にそんな疑問が思い浮かんだ。カメラで景観を撮っていたりしただろうか? それとは、また別のことをしていたような気がする。何か、自然とやっていたことが、記憶が無いせいで抜け落ちているような、そんな感覚――。
「……アラン? 大丈夫?」
坂の上から掛けられた声に現実に戻される。エルの方を見ると、心配そうにこちらを見つめてくれている。
「……あぁ、大丈夫だ。ケガの後遺症で、ちょっと体力が落ちてるのかもな」
「そういう感じじゃなかったけれど……まぁ、アナタがそういうなら、そういう事にしておきましょうか。さぁ、もう少しで頂上よ」
振り向いて坂を登り始めるエルの歩調は少しゆっくりだ。その歩みに追いついて、肩を並べて少し歩くと、見上げた先にはまっさらな青い空が一面に広がった。
視線を下に戻すと、丘の上は転落防止のためか、簡易な柵で囲われている台地が目に入る。右手には海と港が見え、中央にはもう少し高くなっている場所があり、そこにはここを拠点として立てた人類が最初に建てた遺跡――神殿なのか、それとも防衛拠点だったことから詰所のような場所なのか――が、おそらく数千年の雨風に晒された結果として、朽ちてその基幹がのみが残っているのが見えた。
遺跡の下には簡易な売店のようなものがあり、そこで飲み物を調達し、崖付近の展望台まで移動する。日も少し傾いてきており、恐らく時刻も四時前といったところ。恐らく、一時間半は歩いてきたことになる。




