8-99:堕ちる片翼 上
テレサの名を呼ぶ声はその発生場所を移動させ続け、徐々に上へ上へと誘導されていく。一度は自分も容認したし、こんなのはあからさまな誘導ではあるが、身体の宿主であるテレサは声の主の元へ辿り着こうとする努力を止めてくれなかった。
天井が近くなってきたタイミングで、近くにあるスピーカーから「スザク、少し待って」というファラ・アシモフの声が聞こえる。自分としては、アイツの声など聞きたくはないが――身体のコントロールを持っているテレサの方が右京の声が聞こえなくなったので、どこへ向かえば良いか分からなかったのだろう、通路に着地してモニターの近くで制止し、モニターを見つめた。
モニターの画面に白髪のエルフの姿が映し出された瞬間――彼女の目が開け広げられ、同時に「グロリア!」という悲痛な叫び声が聞こえた。
胸の中心に何か違和感が走る――視線を降ろすと、乳房のちょうど隙間を縫うように、赤く細長い光が突き出しているのが視界に映った。
「第五世代型アンドロイドたちを基地に侵入させたのは、君たちを倒すためじゃない。基地の構造を余すところなくアンドロイドたちのカメラを通じて確認することだったんだ」
その声は背後から聞こえ――体の主がゆっくりと背後を振り返ると、どこか涼し気な表情をした少年の顔がある。それは、融合したテレサの記憶にあるシンイチの顔と瓜二つであり――当たってしまいそうなほど近くにあった。
『やはり……JaUNT!?』
可能性としてはそれしか考えられない。JaUNT――Jumping at the Unitary Nexus by Trance【精神集中を媒介とする単一地点への跳躍】は、元々はデイビット・クラークの持つ瞬間移動の能力だった。それを、右京がトレースしたのだ。
元々この辺りには誰もいなかったし、接近してくるなら気配や足音が聞こえたはずだ。とはいえ、ADAMsのような加速装置を使えば、ソニックブームの爆音がするはず。音もなくほとんど密着状態の位置に現れるなど、しかも達人の背後を取るなどとなれば難しいはず――そうなると、空間跳躍以外の可能性は思い浮かばなかった。
レーザーブレードが引き抜かれ、宿主の体がバランスを崩してふらふらと後退を始めると、少年は翡翠色の刃の切っ先をつまんでテレサの手から引き抜いた。
「神剣アウローラを回収しに来たんだ……悪いね、テレサ。でもこれは、王家に伝わる由緒正しき宝具である前に、ハインラインに必要だからさ……」
つまり、右京は他の熾天使たちを囮に基地内の構造を把握し、自身は安全にハインラインの器と二対の神剣を回収しに来た――恐らくはこういうことだったのだ。
テレサの足取りはふらふらと、徐々に徐々に後ろに下がり――しかし、その視線は真っすぐに少年の顔を見つめている。
「……シンイチ、さん。アナタは……私を、どう思っていましたか?」
「優しくて温かくて、頼りになる仲間だった。だからありがとう、テレサ」
「そう、ですか……」
にこりと笑う少年に対し、身体の宿主は少しだけ満足そうに、小さく返答し――そこで身体から一気に力が抜け、背中から後ろに倒れ込んでしまう。渡り廊下には手すりや柵は無い。そうなれば、倒れ込んだ身体は通路から落ち、後は下に落下していくだけになる。
なんとか身体のコントロールを自分のものにしようとするが、肉体の損傷のせいで動かすことは出来ない――見開かれたままの視界に映るのはただ、真っ白い天井だけ――ゆっくりと落下を始める瞬間、通路の方から「でも……」とという言葉が聞こえる。
「勇者とお姫様が結ばれるだなんていう、君の夢見がちな恋愛感情には辟易していた……人の心の隙間にずけずけと入り込もうとする君の無神経さには、大分イライラさせられたよ」
『……右京ぅううううううううううううう!!』
声にならないと分かっていても、魂で叫ばずにはいられなかった。コイツは、いたいけなテレサの想いを無碍にし、内心では蔑んでいたのだ――それがどうしようもなく許せなかった。
『私は、私は絶対に消えないわよ! 貴様を殺してやるまでは……貴様らを殺しつくしてやるまでは、必ず消えずに残ってみせるんだから!!』
離れていく天井と、絶対に許せない相手がどんどんと遠ざかっていく中、自分は怨嗟の誓いという焔を胸に、更なる地獄へと落ちていくのだった。




