8-95:決別 下
「ちょっと待ってください。永久って……」
「あぁ、そうだね。そこの説明をしていなかった……まぁ、しばらくはそのままで居てもらうつもりさ。まだ思春期にある君の脳は構造的に安定していないからね。
ただ、もう少しして安定をしたら、まずは脳神経を取り出してだね。僕と同じように本体は月で永遠に保管するんだよ。そうすれば、悠久の時を真理の探究に費やすことが出来るからね。
いやぁ、これはなかなか凄いことだぞ! 君は第六世代の中で、唯一我々と並びたてるんだから……うん? ソフィア君? 話を聞いている……」
「……いや!!」
相手の提案してきたことのおぞましさに、思わず口から拒絶の言葉が出てしまい、そのまま後ずさってしまう。魔術神はこちらの気持ちが一切理解できないのだろう、今までに見たことないほど拍子抜けした表情で「どうして?」と言いながら首を傾げた。
「わ、私は……私は、確かに勉強は好きですけれど、そんな風になってまで生き永らえたいとか、研究をしたい訳ではありません!」
「いやいや、考えてみたまえ……肉体なんぞ、劣化していく不便な器に過ぎない。確かに、成程、肉の器に宿ることで、生物は意味を見出そうとする。肉体を維持するために否が応でも動かなければならないし、高次元存在の介入があったと言えども、人が知能を発展させたのは、言ってしまえば集団を餓えや危険から効率的に護るところが出発点なわけだからね。
だから、学問の追及には器があった方が良いというのは、僕も認める所さ……でも、それはこうやって何者かに人格を転写してもいいし、何ならルーナみたいに遺伝子培養で器を作ったって良い……ま、あんまルーナみたくやるのは反対だけどね。彼女も最初はあんな奴じゃなかったのに、若いぴちぴちな器に味を占めてから堕落してしまったから……」
「そ、そういう問題じゃないんです……私は、私という個は、この肉体にあるからこそ存在していると思うので……」
「そうかな? 僕を見給えよ。別に、誰に宿ったって本質は一切変わっていない……まぁ、器の肉体的な状態が、僕の精神に多少の影響があるのは認める所だけれど、そんなものは長い時と繰り返される転写の中でどうでもよくなっていくことだよ」
「イヤなものはイヤなんです!!」
首を振りながら後ろへ下がり、魔術杖を回して第一と第七階層の魔術弾を入れる。もう、これ以上は話を聞きたくないし、この男に喋って欲しくもない。こんな気持ちになるくらいなら、話など聞かなければ良かったと後悔するほどだ。
アルジャーノンはこちらの拒絶を目をぱちくりさせながら眺めていたが、途中で得心したように頷き、同時に大きなため息を吐いた。
「はぁ……成程、アルファルドの言っていたように、随分と虎に入れ込んでいるように見える。これだから若い子は。
いいかね、恋愛感情なんぞ脳のバグだ……要するにアレだろう、君は今の君のまま、アラン・スミスに愛して欲しいんだろう? まぁ、分からないでもないさ、僕にもそういう幻想に取りつかれていた時期が無かったわけじゃないからね。
たださ、結局愛情なんてものは一時の物に過ぎないよ。相互理解に努めている間だけは高揚するかもしれないが、それを過ぎたらただの他人。分かり合えるだなんて幻想で、ある程度の理解が進むと、待っているのは永久に分かり合えないという事実だけだ……伊達に一万年生きていない僕だから言えることだけれど、要するに、恋愛なんぞ時間の無駄なのさ」
自分を理屈で説き伏せようとそれらしいことを言っているが、自分の胸には何一つ響かなかった。むしろ、図星を突かれたような居心地の悪さすらある。自分のまま、彼に愛して欲しい、それはまさしくその通りなのだ。
ただ、それの何が悪いのだろう? 自分にとっての最優先順位は、彼が孤独に戦わずに済むように支えることだ。愛してくれなくても良い、とは言わないけれど――あの人の役に立つことだけが、今の自分の存在意義なのだから。
それは確かに刹那の感情かもしれない。何年もすれば、この胸にある燃えるような熱い思いは消え失せてしまうのかも――悠久の時を生きてきた魔術神にとっては、今の自分が抱く感情など、その眼には文字通り幼稚な考えと写るに違いない。
それでも、自分はまだ見ていない。信じたいのだ――きっと想いが通じ合い、そしてそれがいつまでもこの想いが続いていくということを。自分はこの感情に振り回されこそしても、まだ裏切られていない――だから、諦めることはできない。
どちらにしても、この男に着いて行くべきという道理はない。自分は倫理観ですべきことを決めるほど熱い人間ではないが、同時にここまでエゴイスティックな存在を許容できるほど冷たい人間でもない――この男はここで倒さなければ。
いや、まずは爆弾を凍らせるという、ここに来た使命を果たさなければならない。しかし、単純に魔術を撃つだけではダメだ。こちらの最大の魔術ですら一瞬でディスペルされるというのなら、策なしに撃っても無効化されるだけだ。
何より、こちらの闘志を察して警戒しているのか、男は「ふぅ……分かった分かった」とおどけた様子であっても、既に手は魔術杖のレバーに添えられており――その所作には隙が無かった。
「ダメだな、話し相手の女性がババアばかりだったから、若い子の感情に対する配慮が欠けていたね……君みたいに未来しかないような子にとっては、まぁ脳みそだけになれ、なんていうのは抵抗があったか。
それじゃ、こういうのはどうだろう? ひとまず僕に着いてきてさ、そのまま老いさらばえてさ、気が変わってからの施術でも……」
「もう話すことはありません!」
「ガーン……ここまでへりくだってもダメとか、ショックだねぇ……ま、それならそれでいいさ……むしろ失望だね。肉の器の見せる虚像に惑わされているせいで、求道者としての狂気が足りていないようだったからさ。
しかし……君の撃った第七階層……やはりアレには興味がある。友だちになりたくないというのなら仕方がない、共に歩む道は諦めるが……君の脳は置いて行ってもらうよ」
アルジャーノンは低い声で言葉を続ける。そこには、先ほどまで感じていた無邪気な様子は見られず――ただ自分に対して冷たい殺気が向けられていた。
対する自分は、会話を続けている中で幾分か練った勝ち筋を――ひとまず相手の付近で光源の魔術を点灯させ目くらましをし、一度距離を取ってから第七階層を打ち込む――実行するために魔術杖を突き出し――いや、突き出すことが出来なかった。
「……えっ?」
嫌な感じがして、魔術杖を持っていたはずの左腕の方へと視線を降ろす。そこには、本来あるべき自分の腕が、肘から先がすっかりなくなっているのが視界に入ってきた。
次いで、乾いた音――恐らく、吹き飛ばされた魔術杖が――自分の左腕が背後に落ちた音が鼓膜を揺らした。そして視線を男の方へと戻すと、杖の先端から廃莢を済ませており――その瞬間、彼が自分の見えないところで風の魔術を編み、こちらに放っていたのだと気付いた。
事態を認識した瞬間、左腕から血が噴き出し始め、同時に左腕の末端から今まで感じたことのないほどの痛みが走る。次いで、野生の動物が苦しむ様な大きな叫び声が聞こえ――それが自分の口から出ているものだと気付くのにも少し時間を要した。
思わずその場に跪いてしまい――頭上からレバーを操作する音が聞こえ、下がったままの視線の先では男の靴がどんどんこちらへ近づいてくるのが見えた。
「うるさいねぇ……君が決めたことだぞ? 僕と事を構えるってね。もはや僕が興味があるのは、君の脳みそだけさ。脳死しないようにこの場で命までは取らないようにするつもりだが……動き回れないように四肢を削ぎ落すくらいはさせてもらうよ」
男の煽り建てるような口上に、返って思考はクリアになってくる――そうだ、自分はソフィア・オーウェルだ。生れた時から戦う事を余儀なくされた戦う機械。腕一本を失った程度で、戦意を失うわけにはいかない。
だが、どうする――悔しいかな、自分は魔術杖が無ければ何もできない。ここから引いて、まずは何とか杖を回収する必要があるが、この男がそんなことを許してくれるとも思えない。
そんな時、頭上から「ソフィア!!」と自分を呼ぶ女性の声が響き――なんとか残っている右手で床をついて一気に立ち上がり、そのまま後ろへと下がる。直後、自分とアルジャーノンとの間に、渦巻く炎の柱が割って入ってきたのだった。
次回投稿は8/12(土)を予定しています!




