8-86:二重思考の少女 上
アランとスザクがエルを移送する準備をしている間、自分はアガタとナナコと共に襲ってくる第五世代との戦闘を続けていた。ナナコが来てからは、スザクに代わってナナコが前衛に立って敵と戦ってくれている状態だ。
『先ほどの一発で、第三階層の魔術弾も残弾がゼロに』
『第四も打ち止め……でも、もう敵の数自体が大分減っているみたいだね』
脳内に創り出したもう一つの思考領域と会話をしながら魔術杖を振り回し、まだ一発ずつ残っている第二と第五を再装填する。以前は強力な敵と戦う時には第四から第六までの消費が多かったものだが、今は妨害も並行するので第七を除いて全ての階層の魔術弾が均等に消費していくケースが多い。
ともかく、残り使えるのは第二が一発に第五と第六が一発。第一と第七は八発残っているが妨害魔術には使えないし、第一階層については機械の体を撃ち倒せるほどの威力は無いので使うのは厳しく、第七は威力がありすぎて、本来なら狭い空間では使いにくい――そう思えば、これ以上の戦闘は自分には厳しいといった状況だった。
「……ナナコ、残弾が多くないの! 少し頑張ってもらって大丈夫!?」
「うん! あと残りも少ないみたいだし、任せて!」
ナナコは元気に答えてくれ、結った髪を振りかざしながら虚空に向かって巨大な剣を一薙ぎにする。切り裂いた後には空間が歪み、両断された第五世代型が現れて動かなくなっていた。
『ナナコは頼りになるね』
『うん。もはや敵対する理由もないはずだし、彼女の剣と技は確かだから』
『それに、アランさんのことも大丈夫そうだしね』
『……うん』
元々、自分はナナコのことをかなり警戒していた。セブンスとして現れた時に彼女に敗北したことは純粋に悔しかったし――王都襲撃後、七柱の創造神とゲンブ一派、どちらとも戦うことを想定していた時には、最悪の場合は彼女の息の根を止めることだって想定していた。
ガングヘイムでその場面に立ち会ったあの時、エルやクラウがいなければ、自分はあのまま彼女に向かって無慈悲に稲妻を浴びせていただろう――魔族を倒すことに躊躇のない正常なソフィア・オーウェルなら、そうしなければ七柱に違和感をもたれるという判断もあったから。
あの当時としては、彼女を生かすも殺すもどちらでも良かったのだ。要するに、自分の精神に干渉されるリスクを抑えるため、自分は一つの命を躊躇なく奪ってみせようとしていただけ。そして、別にそのことを後悔しているわけでもない――自分には絶対に護らないといけないものがあり、そこに対して合理的な決断を下していただけなのだから。
ただ、彼女が記憶を失って、快活な少女になるとは全く想定していなかった。思い返せば、初めてあった時にもアランに対して旧知であるようなことを仄めかしていたし、その視点でももっと警戒をしておくべきだったかもしれないが――その辺りでまた警戒してしまったものの、彼女が自分の味方をしてくれるということで解決した。
ともかく色々とあったが、結果的には今の彼女は頼れる仲間と思っている。同世代とのやり取りが少なかった自分の不器用さも受け止めてくれるし、そう言う意味でもありがたいのだが――それでもたまに、彼女は自分のコンプレックスを刺激してくるので、そう言う意味では厄介なことには変わらなかった。
『ナナコは私と違って優しいから。見ていると辛いときはあるよね』
『うん……』
さて、自分が勘違いで生み出した二重思考だが、こと魔術を扱う場合には合理的であったとも思う。怪我の功名と言えばそれまでだが、おかげでこのように魔術を二連続で扱えるようになったのだから。
自分の主人格は機械的な方である。社交性を持っている思考領域を切り離して、人との会話やそれらしい情動に当てているという形である。端的に言えば人間らしい思考領域でこの世界の歪みを追究する客観的な自己をカモフラージュし、七柱に思考を読まれるのを避けていた訳だ。
元々、自分の社交性というもの自体が虚像だった――大人と接するのに円滑にするには、どのように言葉を選んで、どのような態度や表情を作れば良いのか、それらも経験と計算から行っていただけなのだから。そう言う意味では、計算された自己を切り離すのはそんなに難しくもなかった。
『……本当の私は冷たい人間?』
本来の自己が機械的であり、人間らしい感情を持っていないというのなら、自分は他の人と比べたら冷血な人間なのだろう。もちろん、如何に人間らしい部分を切り離したと言っても、本来的な自己に感情が全くなかったわけではない――シンイチに追放された時のやるせなさや、母に対して感じる怒りや悲しみは、自分でコントロールできない感情だったから。
しかし、それも肉の器の防衛本能みたいなものかもしれない。快か不快かを判別する脳の機能が無ければ、自己を守るためにをどう行動するべきかという判断軸が生まれないからだ。
そう思えば、多かれ少なかれ、自分以外の人だって本能に従属する機械みたいなものなはず。ただ、それを俯瞰して見るか見ないかの差であって――むしろ、自己の思考に対する分析が甘く、本能の奴隷になっている人ほど感情的な人と言えるかもしれない。
同時に、そう言う人ほど自己の感情が豊かで情動にあふれている人間だという錯覚に陥ってるとも――そこで自分の思考は一時中断されることになった。理由としては二点あり、一つはナナコが大剣を置いて一息ついていることと、もう一つはそのナナコの視線の先――要するに自分の背後から、誰かが慌てたように掛けてくる音が聞こえたからだ。




