8-85:虎の牢獄 下
「おい、いるんだろう? シンイチ……」
昇降機の扉に背中を預け、天井をボンヤリと見上げる――しばらくの間は返信もなかったが、目線を動かしてスピーカーらしきものを見つけた瞬間、天から声が聞こえだした。
「……流石は先輩。僕の気配を探り当てたのかい?」
降り注いできた声は、記憶にあるシンイチの声とほとんど一致していた。本体である右京の声なのか、それともシンイチのクローン的なものに人格を転写しているせいか、何なら以前の声に似せた合成音声辺りをスピーカーから流しているのか、どれかは分からないが――いずれにしても、身動きが取れないと言われていたアルファルド神が、実はレムの目を欺いて復活していた、ということだけは確からしかった。
「いいや……単純な消去法だ。チェン・ジュンダーを欺いて好き勝手出来るやつは、俺の知っている者の中に一人しかいない」
「はは、そうかい……そうだね、先輩も結構頭が切れるから。これだけ材料が揃ってれば推理は容易か」
自分がシンイチと呼んだ存在は以前と変わらず、飄々とした調子で喋っている。一瞬、こちらもその調子に釣られそうになってしまう。ダメだ、今のアイツは――いや、本当は元から――敵なのだから。
恐らくだが、そもそもウリエルの襲撃自体が陽動だったのだろう。熾天使を使ってこちらを消耗させ、基地内のシステムを誰にもバレないように手中に収める――ウリエルやイスラーフィールを撃破されたのは想定内なのか想定外なのかは分からないが、恐らくどちらの場合も想定したいたのだろうし、失っても問題ないという判断をしていたに違いない。
今回の基地襲撃には、それだけの価値があると判断したのだろうし、それを成すのに彼自身の力が必要と判断し、暗躍のヴェールを脱いだのだろうと想定された。
「……どうして俺をエルと一緒に運ばなかったんだ? エルを回収するがてらに、俺を殺せばよかっただろうに」
消耗した自分をこんな風にエルと別れさせるのは、慎重を期しているとしても少々回りくどいように思う。こちらの質問に対して答えるか少し悩んでいるのかもしれない――確かに答える意味もないのかもしれないが――ややあってから再度スピーカーから声が聞こえ始めた。
「ハインラインの器とアナタを一緒に連れて来れば、何が引き起こされるか分からないからね。デイビット・クラークが言っていたんだよ。原初の虎には上位存在の加護があるから、未来視に近い直感を持っているのだろうと。
そう、アナタは自分で自分の道を決めた気になっているかもしれないけれど……アナタの意志は、上位存在によって歪められているんだ」
「……なんだと?」
「そういう意味じゃ、先輩も第六世代型アンドロイドもあまり変わり無いさ……もっと言えば、僕らもね。自分の意志を自分の行動を決められず、そんな中で何とか自己らしいものを見出して、自分という存在を好き勝手している連中を倒そうとしている……ある種、子が親を超えていくのが本能だとでもいうかのように」
この世界で意識を持ってから幾度となく意味が分からないことを言われたが、今のシンイチの言ったことはとりわけ意味が分からなかった。ただ、自分の意志が歪められているという言葉だけが脳内に反響し――何の心当たりもなくても、コイツが言うと何か真実味を帯びているような気がして――不思議な嫌悪感だけが胸に残った。
「さて、お喋りしている暇はなかったね。まだ、僕にはやらなきゃならないことが残っているから……一つ試してみようか。アナタが本当に高次元存在の加護を有しているのか……」
「お、おい待て! テメェ、エルたちに何かしたらタダじゃおかねぇぞ!?」
そう叫びながら立ち上がったが、シンイチからの返答は無かった。そうだ、こんなところで油を売っている暇はない。薬の効果で身体も癒えてきたところだ――立ち上がったままの勢いで昇降機から離れ、この部屋の本来の扉の方へと急いで向かう。
想像していた通り、本来なら近づけば自動で開くはずのその扉はうんともすんとも反応しなかった。とはいえ、向こうに通路があるのは間違いないのだ。カランビットナイフを取り出して乱暴に扉を叩いてもみるが、何の加護もない自分の力では破壊することもできず、肩から思いっきりぶつかってみてもそれは変わらなかった。
「……アラン・スミス。落ち着いてください」
扉を壊すことに没頭していると、スピーカーからゲンブの声が聞こえ出す。声のしたほうを見ると、雪原を背後に浮かぶ人形がモニターに映し出されている――どうやら本物で間違いなさそうだ。
「おいゲンブ! お前の方でこの扉を開けられないか!?」
「残念ながら、その扉のコントロールの回復は難しそうです……代わりにセブンスをそちらへ向かわせています。ミストルテインなら、扉を切断することは可能でしょう」
「……くそっ、他のみんなは無事なんだろうな!?」
自分の質問に対し、人形はただ押し黙っており――そして数秒の後にモニターも真っ黒に戻ってしまった。
「おい、何で答えないんだ!? まさか……!!」
すでに犠牲者が出てしまったのか、それとも単純にこちらに応答している暇がないのか。どちらにしても好ましい状況でないことだけは確かであり――牢獄に捕らえられたままの自分に出来ることは無く、不安と焦燥感は増していく一方だった。
次回投稿は8/1(火)を予定しています!




