8-84:虎の牢獄 上
昇降機の中にある灯りは、エルの眠るシリンダーが放つ生命維持装置の淡い光のみ。そのために中は薄暗く――ほとんど視覚が役に立たないとなれば、確かにここに乗るのは自分で正解だったかもしれない。
そして、この機械は単純に上下に動くだけのものではないらしい。機材をありとあらゆる場所へ運べるパイプラインの中にあるせいだろうか、時には横にも移動しているようだ。それも、ゆっくりとであり――このペースであると、まだまだ格納庫へは着きそうになかった。
時間が経つのと比例して、先ほどのイヤな感じが増しているようにも思う。このイヤな予感の正体は一体何なのだろうか?
たとえば、第五世代型が眠り姫が居ると知らず、この昇降機を外から破壊するなどの可能性もあるだろう。そうなれば、文字通りこの鉄の箱が自分の棺になる訳だが――しかし自分の不安は、外部からの攻撃の可能性に起因するものではないように思う。
(この基地全体に、何か大きな意志が渦巻いているような……)
そう、この悪寒は、自らの行動を規定できないAIが巻き起こすものではない。同時に、殺意や憎悪といった悪意でもない。ただ、何かを成し遂げようという強い意志が――それは、自分たちにとっては障害となるようなものであり――停電が明けてからずっと、この基地を取り巻いているように感じるのだ。
ふと、昇降機の動きが止まった。上昇分に対しては少々早い到着だ。そうなれば、ここは恐らく格納庫ではないと思われる。スザクが操作をミスしたのか? それもきっとあり得ない。そんな簡単なミスをするくらいなら、そもそも装置の動作を制御できないだろう。
昇降機の扉が開く。予想通り、そこにはピークォド号は控えていなかった。元々、魔獣の生体研究にでも使っていた部屋なのだろう、魔王城のように巨大生物がホルマリン漬けの柱となって陳列している空間――そこに、二体ほどの第五世代型の気配がある。
息を潜めてやり過ごせるか? ダメだ、奴らは何者かから指示を受けて動いているのだろう、徐々にこちらへ接近してきている。このまま中に居れば自分はハチの巣にされるか、最悪の場合はエルにも危害が及ぶ可能性がある。
それなら、迎撃に出てすぐに昇降機に戻るのが最善策か。変身は出来なくても、敵の気配があるならADAMsは使える。二体の動力を切って戻ってくるだけなら、コンマ一秒以内でも可能だろう。
そうと決まれば、善は急げだ。自分は音もなく両脇から虎の爪を取り出し、奥歯を噛む――そして一気に昇降機から抜け出し、左右から接近してきているうちの、まずは右の天使の元へと接近する。
第五世代型は電子の速度で反応こそするものの、超音速の世界に動作は間に合わずに――トリガーに添えた指を数ミリ動かすことが最後の彼の動作になった。首と背部の二か所の動力部を正確に切断し、返す刃で二体目の方へと向かい、同様に天使の動力に爪を突き立てて切り抜いた。
あとは、昇降機に戻るだけだ。振り向き見ると、昇降機の扉は少しずつ閉まり始めている――とはいえ、ADAMsを切らずに走れば十分に滑り込むことが出来る。そう思って走り始めた瞬間、また自分の脊髄に何か冷たいものが走った。
もはや条件反射だった。このまま扉を目指せば死ぬ。慣性が残っている手前、急に止まることもできないため、やむを得ずそのまま上へと飛び、昇降機の遥か上の壁に着地する。
直後、昇降機の扉の前に二本の熱線が降り注ぎ、床を抉っているのが見え――その射線の先には、恐らくゲンブが迎撃用に作っていたブラスターのトラップの銃口があった。
どうして俺はあの銃口に気が付かなかった? 動きさえすれば、僅かな気配でも察することはできたはずだ――そこから導き出される答えはただ一つ。要するにあの銃口は、寸分たがわずに最初から昇降機の手前の一点を狙っていたのだ。
加速を切る前にベルトから投擲用の短剣を取り出し、二つのブラスターに向けて投げ――そこで神経に限界が来たためADAMsが切れ、自分が着地した壁が大きくへこみ、そのまま自分の体は重力に導かれるまま落下することになる。
同時に、銃声とガラスが割れるけたたましい音が鳴り響いた。先ほどの第五世代がこと切れる間際にトリガーを引いていたせいで、機関銃の弾が辺りに散らばっているのだ。次いでブラスターが爆発するボン、という音が聞こえ、最後には薬莢がバラまかれる音と共に自分の体は再び昇降機の前に降り立った。
もはや昇降機の扉は完全に締め切られており――同時に、モーターが動くような僅かな音が壁の向こうから聞こえてき始めていた。
「……おい! クソ、開けろ!!」
そう叫びながら乱暴に昇降機の扉を叩くが、加速も変身も魔法の補助もない自分の腕では、せいぜい少々力のある成人男性程度の力しか出ない。再び加速しようと奥歯を噛もうとするが、想定よりも長く加速したせいか反動が大きく、昇降機の前で大きく吐血してしまう結果となった。
ベルトからクラウの薬を取り出し――これを消費すれば、残りは二本しかない――その液体を乱暴に口から流し込んでから呼吸を整えてから改めて扉の奥に耳を済ませてみても、すでに壁の向こうからは何の音もしなくなっていた。
『くそっ……誰が、こんなことを……』
脳内の共に語り掛けてみるが、すでにどこにも敵の気配はないせいで興奮状態は収まっており、べスターは何も返事をしてくれなかった。
辺りには死した魔獣とホルマリンがぶちまけられたイヤな臭い匂いが充満しており、先ほどの吐血と合わせて気分が悪くなってくる。ともかく、少し身体を休めよう――そう思ってしゃがみ込んだ瞬間、今回の罠を張った人物がようやっと思い浮かんだ。




