幕間:地下室にて
「それではゲンブ……ハイデル渓谷のオークが全滅したのは、改造魔獣の暴走だと言うのだな?」
その声は、暗がりの奥から聞こえた。暗がりと言っても、空間全体が見えるほどの明かりはある。松明でうすぼんやりと照らされて見える壁には、一面に黒い文様が刻まれている。アレは、干渉を防ぐための防護であり――我々がこの地下室で会合していることを、何者にも知られないようにするための処置だ。
そして、自分の先には巨漢が一人、玉座に腕を組みながら座っている。筋肉より身にまとっているマントが大きく隆起しており、一部に覗く素肌は青白い――その皮膚の色が、彼が人間でないことを物語っていた。
「はい、その通りでございます、魔王様」
まぁ、嘘なのだが。実際、魔王軍の食糧を減らすだけ減らして役に立たないスノウオークを間引くため、魔獣に命令して敢えてハイデル渓谷を襲わせた。そもそも、ハイデル渓谷の占拠自体が、今日のための計画だった――魔獣の炎の逃げ場のない渓谷はうってつけの場所なのだから。
「ふむ、良かろう、そういうことにしよう……だが……」
巨漢は組んでいた腕を解いて左腕を突き出し、その手で宙を握る。すると、こちらの体の自由が奪われる。今使っている自分の体は仮の物で、道化師の人形を操っているだけなのであり、そのコントロールが効かなくなったというのが正しいのだが――指の一つも動かせなくなってしまう。
「仮に貴様の言う事が本当だとしても……多くの同胞を失ったのだ、その責任は取ってもらう」
今度は男の右腕に、黒いオーラ状の物が現れる。アレはエネルギー衝撃波が――魔王の無限の生命力を波動とし、音速を超える速度で打ち出す技――浮き出てくる。それは彼の右腕に纏わりつくように少しのあいだ動き回り、そしてこちらへ向かって放出された。
実は束縛を解くのも、攻撃を防ぐのも簡単。だが、これは受けるのに意味がある。
視界一杯に黒の衝撃が広がった直後、胴体部分が衝撃波に無残に砕かれてしまう。しかし、相手の慈悲なのか、頭だけは砕かれずに済んだようだ。とはいえ、残った頭も無様に床を転がり、ちょうど魔王の体が横向きに見える所で止まってくれた。
「ははは、これならまだお喋りが出来ますね、魔王様」
「……何故防がなかった?」
男の金色の眼球と黒い瞳孔がこちらを捉える。そこに怒りの色は無い――単純に、何の抵抗もせずに攻撃を受け入れたことを疑問に思っているようだ。
「いえいえ、アナタの怒りはもっともだと思っただけです。ですが、そうですね、あえて諫言をするなら……お仲間に対して慈悲深いのも結構ですが、それで種全体を危険にさらしては本末転倒ですよ」
「だが、それでは……」
「奴らと一緒、と言いたいのでしょう? 確かに、命の剪定など、傲慢な所業ともいえるかもしれない……ですが、時に果断な決断が必要なのも事実です。それほど、アナタ方には余裕がないのですからね」
自分の反論に、魔王は目を瞑って押し黙った。つまり、魔王ブラッドベリも分かっているのだ――全てを救うことなど出来はしないと。だが、それを彼自身が口にすることは出来ない理由も分かる。彼は王だから。
「そんなこんなで、私みたいなものも必要な時はあるのです……王は王でなければならない……王には、自らに付き従うものたちを救うという責務がある。ですから、悪いことは、臣下が勝手にやること……それで、王の正当性は保たれるというものです。まぁ、魔獣が勝手に暴走しただけなので、私も悪くないのですが」
「……ふん。だから、そういう事にしてやると言った」
魔王の声に感情は籠っていなかった。だが、大局が見えないほど、彼は愚かではない――だから、彼は自分を徹底的に破壊はしなかった。そういうことなのだろう。
魔王はついていた肘を外し――これでこの話は終わり、という合図なのだろう――手を組んでこちらを見つめてくる。
「……それで、龍を落としたのは何者だ?」
そう、問題はそこだ。自分も改造魔獣が落とされるのは想定外だった。そして、龍と対峙たい者の内、二名は納得でき、もう一人は行方を眩ませていた人物だった。
「ソフィア・オーウェルにクラウディア・アリギエーリ。この二名は、本来なら此度の勇者の供に選抜されていたほどの実力者です。それにエルという冒険者崩れ……どうやら、彼女もそれに比肩する人物だったようで」
「……報告には上がっていたな。しかし、その三人は別行動をしていたのではないのか?」
「えぇ……少女たちを引き合わせた人物がいるのでしょう。もう一人居たのです」
「……何者だ?」
「アランと呼ばれていましたが……それが、全く情報が無い、得体のしれない人物です」
「成程、要注意人物ではなかった者か」
実際、状況を把握できたのは魔獣が氷の檻にとらわれる瞬間まで。他に分かるのは、苦労して作った改造魔獣がやられたという事実くらいのものだ。逆を言えば、龍が沈む瞬間までの状況はこちらも把握している。
「……しかし、居た、ということは……」
「はい、龍の爪に抉られ、致命傷を負ったはず……ですが一応、私はネストリウスを当たってみます。アラン・スミスの情報を、少しでも集めたい」
「ほぉ……死してなお、軍師ゲンブを警戒させる人物か」
「ははは……実力的にはそこまで警戒するほどの人物ではなさそうなのですが……それでも経験則上、死んでいて欲しい者ほど、生きているモノなので」
念動力で残っている人形の頭を浮かせ、振り返って地下室の出口の方へとゆっくりと向かっていく――そう、嫌な予感がする。ここまで慎重に進めた計画を一気に破壊する不確定要素、それは今は小さなほころびであっても、大きな渦となって自分の障害になるのではないか――そんな予感がするのだ。
「それに……巷では割と死体は動くようですから。死んだと思っていた者が動くほど、厄介なことはありませんよ」
実際に自分も一人、妄執に取りつかれた死者を蘇らせているし――そしてある種、皮肉を込めて。奴らも、自分の存在には感づいてはいるはずだ。そして奴らとしては、もう死んだと思っていた自分がこうやって暗躍しているのだから、厄介に思っているに違いない。
「……貴様のことを全面的に信頼しているわけではないが、敵の敵は味方……今は手を組もう」
去り行く前に、背中に――いや、今は頭しかないから、後頭部というのが正しいか――魔王から声をかけられる。
「ははは、結構結構……信頼できない、よく言われます。それでは、お暇させていただきますよ。偽りの神々を滅ぼし、真実の世界を取り戻すために」
「あぁ……偽りの神々を滅ぼし、真実の世界を取り戻すために」
そう、我々には共通の敵がいる。だから、自分は人類でなく、魔族の側についた――自分も彼らを利用しているが、彼らもまた自分を利用している、それ以上でも、それ以下でもない。
お互いにそれでいい。だが、今回自分がハイデル渓谷を魔獣に襲わせたことは、彼の立場からするとお目こぼしする訳にはいかなかった。その清算として、彼はこちらの体を砕き、こちらも誠意としてそれを甘んじて受けたまで。
さて、次の自分の体はどうしようか。一応、人型のほうが動きやすいのは確かだ。道化の身は、自分の性に合っていて気に入っていたのだが――まぁ、適当に次の依り代を見繕うことにしよう。そう思いながら、自分は地下室を後にした。
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