8-37:解脱症についての一考察 下
「あはは、アラン君。そんなに怖い顔をしないでおくれよ。昨日も言ったけれど、幸い今のクラウもボクのこと自体は友好的に見てくれているようだからさ……また一からでも、関係性を構築していけば良い訳だし。
それにさっきだって、クラウが退行しても感情を出せたのは、なんやかんやでアラン君とアガタを信用しているから……二人には甘えられると思ってるから、大声で泣くことも出来たんじゃないかなと思うんだ」
ティアはこちらに気を使ってくれたのかもしれないが、一応クラウがこちらを信用してくれているのならありがたい――謝ってきたということは先日のことを覚えているか、少なくとも申し訳ないことをしたとは記憶しているだろうが、同時にこちらとの友好関係は改めて構築したいというクラウなりの心の表れでもあるはずだ。
しかし、アガタの件はどうだろうか。先ほどの様子を見るに、想像以上にクラウはアガタに懐いているようだった。事態は色々と複雑なので、今の幼い精神状態のクラウが、諸々の事情を把握しているとは思い難くもあるが。
そんなこちらの疑問を読み取ったのか、アガタはベッドで腕組みをしながらこちらを仰ぎ見て口を開いた。
「クラウは退行の影響か記憶が曖昧で、私が異端審問にかけたことなどは忘れているようなのです。それで、なんとか懐いてくれているようなのですが……」
言いながら、アガタは視線をティアに戻すが――アガタの目は、きっとティアの奥にいる幼い魂を見据えているに違いない。以前、アガタはクラウに許されるつもりは無いと言っていたから、懐かれているのが予想外と言うか、半ば申し訳なさもあるのかもしれない。
「クラウが元に戻っても、ボクからきちんと事情は伝えておくさ……クラウも頑固なところがあるから、すぐには元通りとはならないと思うけど、きっと分かってくれるよ」
「ありがとう、ティア……ですが、私はあの子に許されるつもりは……」
「口では色々言ってたけど、クラウはいつだって君のことを気にかけていたよ。それに、君がいなくっちゃあクラウが信じていた寄る辺も一つなくなってしまうからね。そう言う意味では、支えてくれる人が一人でも増えてくれたらありがたい」
「そう……ですわね。それなら、お言葉に甘えますわ、ティア。私も、出来ればクラウとはキチンと話をしたいですし……」
アガタは胸元に手を置き、柔らかな笑みを浮かべる――今まで見てきた彼女の表情の中でもそれは最も柔らかい物だったように思う。こんなことを思うのも失礼かもしれないが、思い返せばアガタはいつも難しい表情ばかりしていたので、なんだか年頃らしい表情にビックリしてしまったのも確かだ。
それはティアも同じだったのだろう。アガタの笑みを見て一瞬だけ驚いたような表情を浮かべ、次第に納得したように頷き、最終的にはシニカルな笑みを浮かべた。
「君からお礼を聞けるとはね。明日は槍でも降るかな?」
「……もう! 知りませんわ!!」
再び腕を組んでそっぽを向くアガタを見て、ティアは口元に手を当ててくつくつと笑った。ひとしきり笑って落ち着いて後、赤い瞳は自分の方へと向けられる。
「ともかく、クラウの調子はこんな感じさ。一応、小康状態と言ったところだけれど……あまり刺激すると危険かもしれないからね。なるべく眠っていてもらおうと思う」
「あぁ、それが良さそうだな。クラウと話せないのも残念だけど、落ち着いたらゆっくり話せばいいし」
「うん、そうだね……ただ、こうやって室内で落ち着いている時は、少しくらいは気晴らしに起きてもらうのも悪くないと思うんだ。その時は、アガタとアラン君がいると、クラウも喜ぶと思うからさ」
その後、少し三人で会話を続けて一段落したタイミングで、自分は退散することにした。まだまだ、他のメンバーから色々話を聞いた方が良いだろうという判断だが――扉の前に立った時、ティアから「少しだけ待ってくれ」と声を掛けられた。
なんだろうかと振り返ると、そこには想定していた赤い瞳でなく、また不安そうに揺れる青い瞳があった。
「……アランくん、また会いに来てくれますか?」
「……あぁ、もちろんだ」
自分が返事を返すと、不安げだった瞳は輝きを取り戻し――少女は満面の笑みで「えへへ、ぜったいですよ!」と繋げた。自分はそれに対し、「絶対だ」と返して廊下へ出た。
クラウは、きっと救える――眠りについてしまったが、エルだってきっと日常に戻れる。そうなれば、自分は負けるわけにはいかない。改めて決意を胸に、拳を握って歩き出した。
次回投稿は6/4(日)を予定しています!




