8-7:ソフィア・オーウェルの思考と記憶について 中
「え、えとえと、ソフィア、大丈夫ですよね……?」
「えぇ、問題ないわ。覚醒状態だとコードの書き換え時にエラーが出る恐れがあるから、眠ってもらってただけ……直に目を覚ますはずよ。
さて、アナタは色々と呼び名があるようだけれど……私からは何と呼ぶべきかしら?」
「あ、それじゃあナナコでお願いします!」
「そう、分かったわ。それじゃあナナコ、一つお願いがあるのだけれど」
「はい! なんでしょう?」
「彼女が寝ている間に、アガタを呼んできてほしいの。恐らく、彼女はレムから色々と聞かされているはずだから、この先の話をするのに居るとスムーズになるはずだわ」
「分かりました! 他の人は呼ばなくて大丈夫でしょうか?」
「アガタさえいれば良いけれど……他の者が居てくれても問題はないわ。ただ……」
穏かに話していたアシモフの表情に陰りが見え――先ほどの一件を見るに、グロリアが居ると困る、ということなのだろう。
「その、差し出がましいようですが……今回でなくてもそのうち、ゆっくりと話す時間があっても良いのでは? 私はお二人の関係については詳しくはないですけど、ファラさんを見ている感じでは悪い人には見えませんし。だから、お互いに話し合えば、きっと……」
「ありがとうナナコ。でも、アナタが思っている以上に、私は酷いことをしてきたの……だから、彼らも私を狙っていた訳だしね。でも、アナタの言うことも一理あるわ。確約は出来ないけれど、きっとそのうちあの子とは話し合ってみることにする」
「はい! それじゃあ、私はアガタさんを呼んできますね!」
ファラ・アシモフの懸念は杞憂だった。医務室へ移動してアガタに声をかけても、グロリアはアランの側を離れようとしなかったからだ。代わりに、ティアがアガタと一緒に自分についてくることになった。
施術室に戻っても、まだソフィアは眠っているようだった――機材のあるガラス越しの部屋へとアシモフとゲンブが移動していたため、自分たちもそちらの部屋へと移動する。そしてその数分後にソフィアが目を覚まし、目元を抑えながら上半身を起こした。
「施術は問題なく終わったはずだけれど。おかしなところは無いかしら?」
「はい、大丈夫です……少し頭は痛みますけど、これは問題ありませんか?」
「えぇ、直ぐに収まると思うわ。もし治らなかったら言って頂戴、再診するから。それで、まずはアナタにいくつか質問したいことがあるのだけれど……まずは、アナタの目的について教えて欲しいわ、ソフィア・オーウェル」
「私は……」
ソフィアは言葉を切って辺りを見回し――アガタが頷いたのを確認してから、エルフの老婆の方へと視線を戻した。
「私は、アランさんの支えになりたい……もしあの人が邪神ティグリスの化身であり、七柱の創造神と戦うつもりであるとしても、私は付き従うつもりでいました」
「そのようね。悪いけれど、アナタの記憶を少し覗かせてもらったから知っているわ……でも不思議なの。もしレムリアの民が一定ラインの危険思想を持った場合、それはレムに伝わるはずなのだけれど、私はそのような報告は受けていなかった……アガタ?」
アシモフは一度ソフィアから視線を外し、壁際で腕組みをしている薄紫の髪を見た。
「私もレムからは聞かされておりません。彼女が敢えて私には言っていなかっただけ、という可能性もありますが……」
「いいえ、恐らくそう言うわけでもないでしょう。単純に、この子は私たちの目すら欺いていたのだと思います……実際、この子の本心は記憶領域の最下層に埋もれており、直接記憶を垣間見なければ露見することはなかった……アナタ、何をしていたの?」
エルフの老婆はそう言いながら、金髪の少女の隣に腰かけた。
「アランさんから聞いたんです。ジャンヌさんは二重思考を使ってアナタ達の目を欺いてたと……その詳細は分からなかったですが、ひとまず言葉通りに思考を二つに分割して、片方で模範的なレムリアの民を演じ、もう片方でこの世界の歪みについて思考をしていたんです。
直感的にですが、上手く欺ける予感はありました。一つの体で二つの思考を持つ前例はありましたし……」
ソフィアは一度言葉を切り、アガタの隣に立つティアの方を一瞬だけ見て、すぐに視線をアシモフの方へと戻す。
「クラウさんが追放されたのは、異端の神を信奉していたからじゃない。ティアさんの思考をルーナ神が制御出来ないから……ゲンブ……さんがそのようなことを言っていましたよね?」
人形の方を見るとき、ソフィアは一瞬だけ躊躇したように見えた。恐らく、今まで敵対していた相手に敬称を付けるべきかどうか悩んだのだろうが――対するフリフリ人形は、カタカタと音を立てながらソフィアに向かって首を縦に振り、すぐにアガタの方を向く。
「えぇ、よく覚えていましたね。しかし、実際の所はどうなんですか?」
「レムの目的は全く違うところにありましたが、ルーナがクラウディア・アリギエーリを追放せざるを得なかった理由はまさしくそれです」
「結構」
ゲンブはアガタに向かって頷いた後、視線をソフィアの方へ戻した。
「しかし成程、これで魔術の連射も得心しました。アナタは分割した二つの思考で、別々の魔術を処理していたと」
「はい。そういうことになります」
「ですが、随分と滅茶苦茶ですねぇ……そもそも、二重思考の定義が間違っていますから」
「違うんですか?」
「はい。二重思考は思考そのものが二つになる、という意味ではありません。背反する二つの概念の双方を自己の中で矛盾なく思考すること……要するに概念的な意味での二重なんです。そもそも、アナタのように脳みそを無理やり二つ持つようなやり方は、普通は出来ませんよ」
「なるほど……私もちょっと難しいと思ってました」
「ちょっと、ねぇ……まぁ、実際できてしまっていたのだから、末恐ろしいと言いますか。さすが、魔術神アルジャーノンが目を見張るだけの演算能力を持っている、と言ったところでしょうか」
魔術神とやらに並ぶ演算能力とやらが――そもそも、先ほどから話が難しくてちんぷんかんぷんだ――どれだけ凄いのかは分からないが、思考を二つに分割する、というのが「ちょっと」難しい程度で済むはずがない。そういう意味では、やはりソフィアは凄い。凄く頭が良い。とりあえずそれだけは分かるし、それだけ分かればまぁいいかとも思う。
自分がそんな風に思っている傍で、アシモフが隣に座るソフィアに「一応断りを入れておくと」と話しかけ始める。




