7-70:漆黒の戦狼 中
「今にして思えば、お前にはこんな風に何度も剣を突きつけられてきたな……今度ばかりは威嚇じゃないみたいだが」
「滅茶苦茶な動き、やはり原初の虎……!」
「おいおい、俺の言うことは無視か?」
いつもは悪態をつかれる立場なのに、こちらが言う時に限っては無反応。それどころか、エルは口角を上げて――何となく、恍惚したような表情を浮かべ、こちらをじっと見つめている。
べスターが言ったように、リーゼロッテとやらの殺意が引き継がれているというのは本当なのだろう。先ほどから殺気をビンビンに感じているところだ。恐らくエルの背後にいるリーゼロッテ・ハインラインとやらの執念が、悠久の時を経てもなお、虎との決着を望んでいたということか。
俺の肉を裂き、この心臓に刃を突き入れることを――もう敵わない願いと知りながらも、原初の虎を自分の手で倒すことを夢見て――そして今がその時だと、その歓びに身体が打ち震えているのかもしれない。
「そんな色っぽい表情で見られると、なんだか緊張するが……まぁいい、かかってきな、エル……いや、エリザベート・フォン・ハインライン!! 俺がテメェのお尻をぺんぺんしてやる!!」
そう言いながらエルの方を指さすと、どこか惚けた表情はなりを潜めて無表情になり――だが、本当に微細だが、本来の黄金色の右目の眉を潜めたように見える。お尻ぺんぺんという言葉に呆れた様子を見せたのだ――そう思うと、アレはエルじゃない何かだが、同時に間違いなくエルも宿している、そんな風に感じられた。
べスターの言う通りに余裕のある相手でないのは間違いないが、先ほどのクラウの時ほどの絶望を感じないのはそのおかげだろう。エルの心は操作されたり、壊されたりしているわけではない。ただ、その闘争本能が表に出てきているだけ――ハインラインの器として、虎の喉を噛みちぎってやるという本能が、彼女が本来持つ理性を覆い隠しているだけ。何なら、クラウの迷いのある哀しい怒気よりも、エルから発せられる純粋な獣のような殺気は心地が良いくらいだ。
一瞬の静寂、互いの間に風が吹き抜け――刹那、真紅の宝石が月明かりの下で煌めき、黒衣の剣士の周りをなお黒い重力の渦が覆い始める。そしてこちらもADAMsを起動し、剣士の待つ力場を目指して駆けだした。
『な、近づく馬鹿があるか!?』
『馬鹿野郎、だからいいんだろ!?』
実際、重力波の中ではADAMsのスピードは下げられてしまうが、それを嫌って距離を取ったところで向こうの光波を避け続けるという単純な構図になるだけだ。それに、あの重力波の中に投擲をしたところで無駄だし、威力のある攻撃を繰り出すには結局のところ接近せざるを得ない。
何より、変身の限界が近づいているというのなら、逃げ回って様子を見るなどしてられないのが現実だ。そうなれば、勝負は一瞬。この加速で決めるくらいの覚悟がなければ活路を見出すことも不可能だろう。
重力の渦の中に足を踏み入れると、やはり身体にかなりの負荷が掛かる――力場の範囲を狭める代わりに重力が増しているせいもあるのか、これはレッドタイガー無しではすぐに身体がひしゃげて潰れていただろう。
だが、同時にチャンスでもある。やはり、こちらから接近してくるとは予想もしていなかったのか、エルはこちらの接近に対して驚愕に金銀の双眸を見開いている。とはいえ、挨拶代わりに振り下ろした短剣の一撃に――軛の中でも自分の速度は音速と等倍程度は出ているはずだ――反応したのだから、エルの身体能力が爆発的に向上しているのは間違いなさそうだ。
『はは、ビックリしたか!?』
『それはそうだ……こんな戦い方、ハインラインもされたのは初めてだろうからな』
口ぶり的には、重力剣へカトグラムが完成した時には、自分は既に死んでいたということか。そうなると、自分の身体も重力下の戦いは初めてということになる――しかし、普段から凄まじいGを身体に掛けながら戦っていることを考えれば、この重力波も耐えられないほどではない。
重力の軛の中でも動くことが可能なら――彼女の方が虎の爪より長物を持っている分、より内側へ入っていくべきだ。左斜め前方からくる光波の袈裟切りを超低姿勢になって躱しながら相手の懐に飛び込み、下からアッパーの要領で拳を突き出す。超音速で殴れば即死の可能性もあるが、恐らくハインラインの力で強化されている今なら、加減すれば気絶させる程度で済ますことが可能だろう。
だが、こちらの踏み込みを読んでいたのか、エルが僅かに身を引いたせいで、拳は空を切る形になる――とはいえ、二の矢がある。加減したおかげで身体のばねが伸びきっていないので、すぐに拳を振り下ろす方へとシフトし、握っていたナイフを振り下ろして重力剣の柄を狙う。
宝剣へカトグラムさえなければ、大分有利な戦いをすることが出来るはずだ――そう思って左手を狙ったのだが、相手はこちらの攻撃を避けることをしないで、宝剣の刃でこちらのナイフを迎撃し――それだけに留まらず、相手の馬鹿力によって押し返される形になってしまった。




